コミュ障の人は、会話や大勢の人がいる場面が苦手なために、飲み会のように本来なら楽しく(場合によっては騒げる)場面に対して強い苦手意識を覚える傾向があります。
しかし、多くの人にとって仕事や学業を離れてリフレッシュできるお酒の席は、楽しみや癒しを味わえる至福の時間であり、飲み会が苦手な人を見ても「なんでもこんなに楽しいのに行きたがらないんだろう」と、理解が及ばないことが多いものです。
なお、ネット上では
- 「飲み会なんか行きたくない」
- 「飲み会なんか必要ない」
- 「飲みニケーションなんて時代遅れ
といった、飲み会に対する否定的な意見と言うものが時々話題になり、まるで市民権を得ているかのように感じることもあるかもしれません。
しかし、実際には飲み会や会食といった場は学生(もちろん20歳以上が前提)や社会人の間ではごくごく当たり前の日常だと考えている人の方が多く、飲み会が苦手な人に対する風当たりの強さが依然として残っています。
今回はそんな飲み会に苦手知識を覚えるコミュ障の人の心理についてお話しいたします。
飲み会が嫌いなコミュ障の心理・背景
その場のノリに合わせられないことに自己嫌悪する
飲み会に限ったことではありませんが、コミュニケーションはただ言葉のやりとりだけでなく、その場の雰囲気や話の流れ、いわゆる「ノリ」などの非言語的なコミュニケーションも交えて行われます。
コミュ障の人の中には、ただ自分の気持ちや感情を言葉にして表現するのが苦手なだけでなく、こうした非言語的なコミュニケーションにも苦手意識を覚え、そのことで自己嫌悪するも見られます
飲み会といえば一般的にはワイワイと賑やかに語らったり、なごやかな雰囲気での談笑を楽しむ場。
その雰囲気に合った言葉や行動が出てこない自分に対して「暗い雰囲気を出しているせいで、他の人に迷惑をかけているのではないだろうか」といった罪悪感が、自己嫌悪へとつながるのです。
賑やかすぎる雰囲気に圧倒されて疲れてしまう
賑やかな雰囲気に対して合わせようとするコミュ障騎人もいれば、合わせることすらままならず圧倒されたり、場酔いを起こし疲れ果ててしまう人もいます。
普段の職場の落ち着いた雰囲気とは違い、飲みの席はアルコールが入っていることもあり気分が大きくなって大胆な行動をとる人が出て着やすいものです。そうした雰囲気の上下動に対して、まるでなすすべなく飲み込まれるかのよう不安に、コミュ障の人は悩まされるのです。(なお、気が大きくなるのは集団心理による影響も考慮可)
なお、賑やかな雰囲気には、その場にいる人の声だけでなく、
- 他のお客や店のスタッフの声
- お箸と食器がぶつかる音
- 料理の匂い、アルコール・タバコの匂い
- (場合によっては)店で行われているコンサートや催し物…
などの、各種五感に訴えかける刺激がたくさんあります。
そうした刺激に対する感受性が高いだけでなく、意図的にシャットダウンできないせいで、飲み会が苦手と感じている人は、HSPと呼ばれる敏感で繊細な気質が影響しているとも考えられます。
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あまり親しくない人と話すことに強い緊張感を覚える
飲み会でに、友人や知り合いのようにそれなりに親しい間柄なら緊張しにくいのに、初対面の人やあまり親しくない人との飲み会においては、強い緊張感を覚える人がいます。
これは、単に人と話すのが苦手と言うだけでなく、人見知りによってあまりよく知らない人と話すことに強い緊張感を覚えているといえます。
コミュ障の人にとって親しくない人と話すのは
- どのような話題を振っていいのかわからない。
- そもそも相手のことをよく知らないので、どうしても距離を置いてしまう。
- かといって酒に任せてズケズケと喋ろうものなら、相手に失礼をかけてしまいかねない。
といった不安が多いものです。(もちろん、コミュ障の人だけでなく普通にコミ力がある人でも苦手なことが多いものですが…)
しかし、あまり親しくなくて緊張感覚えているのは、ひょっとしたら相手も同じでかもしれません。
お互いに緊張感を払拭すべく軽く自己紹介や名刺交換等を行って、話のとっかかりを探ってみることで、緊張感を和らげることが可能です。
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過度な気遣い、気配りに神経をすり減らしてしまう
大学の先輩(OB含む)との飲み会、会社の上司・重役・取引先の相手など、明確な立場がある人との飲み会は、相手に失礼を与えてはいけないためにマナーを守ることや、十分に気配りをすることが欠かせません。
特に、空気が読めず不注意から余計なことをいってしまいかねないことを恐れているコミュ障の人にとっては、こうした神経質にならざるを得ない飲み会は、人一倍苦手意識を覚えるものです。
もしも、自分の至らない発言で相手の機嫌を損ねてしまっても、そもそもコミ力が堪能ではないため、その後に話術を用いたリカバリができずに悪い印象ばかりが残ってしまいがち。
だからこそ、下手をこかない用に気を張り詰めてしまった結果、飲み会が終わると精神的な疲労のせいでぐったりとしてしまうのです。
話せない自分が悪目立ちすることに強い不安を感じている
飲み会の場において自分に話題が振られても、その肌に対してうまいトークができずに沈黙を招いてしまう。
自分の声で話の腰を折ってしまったことで悪目立ちしてしまい、周囲から何とも言えない生暖かい眼差しの中に、困惑や動揺の気持ちが混じった刺さるような視線を浴びることに、強い不安を感じるのです。
また、今まで楽しい空気が流れていたのに、自分のせいでそれがなくなってしまうというのは、まるで自分が何かの犯罪を犯したかのような罪悪感に近い感情を抱くこともあります。
集団内で孤立して強い孤独を感じることが不安
歓迎会や送別会のように、どうしても断るとその後の生活に支障が出かねない飲み会に参加するものの、積極的に会話に加わるわけでもなければ、聞き役として参加できるわけでもなく、集団内で孤立する経験はコミュ障あるあるです。
周囲に誰かがいて楽しく交流しているのにもかかわらず自分1人だけが孤立している状況は、自分が孤立していることを強く思い知らされてしまいます。
周囲に誰もおらず自分1人だけが存在している状況よりも、3人組で話しているときに自分1人だけが会話に入れず浮く状況のほうがより強い孤独を感じる…という現象が飲み会でも起きるために、コミュ障の人は飲み会が苦手なのです。
無理にテンションをあげようとして飲み過ぎて不調になる
コミュ障の人であっても、その場の雰囲気に合わせたりテンション上げて羽を盛り上げる努力を怠らない人もいます。
しかし、その過程でお酒を飲み過ぎて気持ち悪くなってしまったり、二日酔いに悩まされて健康的な意味での不調を訴える人も少なくありません。
また、コミュ障の人にとってお酒の力を借りてテンション上げる事は、言い換えれば自分に合っていないキャラを演じる辛さもあります。
本当は静かでおとなしいキャラなのに、その場の雰囲気を盛り上げるために、あえていじられキャラの仮面をかぶって演じる。そうすれば「普段はおとなしいけれども、おちゃらけて周囲を楽しませることができるムードメーカー」へと変身できますが、本当の自分と偽りの自分を演じ続けるうちに、自分らしさ(アイデンティティー,自我同一性)が揺らいでしまいます。
アイデンティティーが揺らぐと、対人恐怖や社会との交わりを過度に恐れること招く事実が研究によりわかっており、無理に自分を演じる事は、メンタルの不調を防ぐ意味でもあまり推奨できるものとは言えません。
しかし、実際にありのままの自分を貫くよりは仮面をかぶった複数の自分を演じる方が、人間関係を構築しやすかったり、自分の所属している集団から受け入れられる(マズローで言えば承認欲求、社会的欲求の充足)メリットもあり、悩ましいものです。
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断れない癖のせいで二次会、三次会に付き合わざるを得ないことが嫌
コミュ障は何も飲み会内で話し合う時だけに辛さがあるわけではありません。
飲み会が終わった後の二次会、三次会のお誘いが断れず、時間と体力を消費してしまうことに辛さを感じているのです。
もちろん、苦手なら断れば良いと言えばその通りですが、コミュ障ゆえに考えすぎてなかなかお断りの言葉が口から出せない。
また言ったもの、小声や滑舌の悪さ、そして相手酔っ払っているせいでちゃんと伝わっておらず、なし崩し的にその後の付き合いに振り回されてしまう事がコミュ障の人が抱える生きづらさともいえます。
静かな飲み会、少人数、サシ飲みなら比較敵安心というコミュ障もいる
なお、コミュ障だからといって全ての飲みの席が苦手と言うわけでもありません。
人によっては、静かな雰囲気や骨折でひっそりと楽しめる飲み会なら落ち着いて楽しめたり、少人数やサシ飲みなら騒々しさがないので大丈夫と言う人もいます。
コミュ障の人が少しでも落ち着いて飲み会に参加してもらうことを考えているのであれば、まずはどういったロケーションなら大丈夫なのかを聞いておき、その意見を反映しコミュ障の人が安心できる飲み会をセッティングしてみるのが良いでしょう。
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