HSPとは繊細で何事にも敏感に、それも過剰に反応してしまいやすい気質を持った人を指す言葉です。
HSPの人は、音、温度、匂い、人間関係の雰囲気、ストレスなどあらゆるものに対して敏感に反応してしまうことから、心身ともに疲れを感じやすく生きづらさやしんどさを抱えて日常生活を送っていることがあります。
また、HSPの人はHSPの気質を持たない人(=非HSP)に、自分の繊細な気質や生きづらさを理解してもらいにくく、相談をしても
- それはあなたの思い込みではないの?
- そうやって自分は特別な人だと見られたいんでしょ?
- 気にしすぎだからもっと気楽に生きればいいいのに
と、否定的な反応をつい返してしまうものです。
そのためHSPの人は誰かに生きづらさを打ち明けることを諦めて距離感を取ったり、「自分は他の人と比較すると変なんだ…」と自分で自分を否定してしまうことがあります。
HSPという言葉自体は、本やTVなどでその名称を見聞きした人は多いですが、うつ病や発達障害と比較するとまだまだ知名度は浅く、どうしても周囲の理解が得られにくいのも一因だと思います。
今回は、そんなHSPの人を友人に持つ人、あるいはHSPと思われる友達との付き合い方について、お話いたします。
HSPの人が周囲から理解を得にくい理由
ひとくちに感覚と言っても、辛党、甘党、猫舌、笑いのツボ、感動しやすい(orしにくい)、と人によって感覚の差があることがよくわかるものに対して敏感であれば周囲からの理解も得やすいのものです。
しかし、生きづらさを感じるHSPの人が敏感だと感じるものは、雰囲気などのうまく言葉にしにくいもの、数字や単位に(つまり定量化)できないものが多く、どうしても「気にしすぎ」という言葉で片付けられてしまいやすいのです。
非HSPの人から見ればHSPの人は、
- 自分が全然気にならないことでストレスを感じている人。
- いつも自意識過剰で、神経過敏な人。
- なんかよくわかんないけど、繊細すぎてめんどくさそうな人。
- 繊細過ぎて逆に気を使わなければならず、付き合うこっちが疲れてしまう。
- 理解して欲しいという行動が多くて、承認欲求が強すぎるのでは?
と、違和感や付き合いづらさ、うまく言葉にできない直感から「ちょっと苦手…」と感じてしまうこともあるでしょう。
また、「繊細さ=打たれ弱さ、ストレス耐性の低さ」と考えている人なら、「そんな繊細過ぎたらやっていけない」「なんでも気にしすぎ胸張って生きるべきだ」と言いたくなってしまうこともあるでしょう。
とくに、男性でHSPの場合、繊細過ぎて男らしくない、ナヨナヨしていて女々しい、と言われた経験から「HSPではなく男性としてダメなんだ」と自信を喪失し、恋愛に対しても自信が持てなくなることも考えられます。
なお、最近では草食系男子という言葉も一般的になり、ナヨナヨした男性の社会的な立場はある程度確立されているようには感じます。
しかし、草食系男子は肯定的な意味でも否定的な意味でも使われる言葉だということを踏まえると、「自分は草食系だから…」という言葉は自虐や自信のなさからくるセリフとも見て取れます。
友達がHSPの場合にできること
先入観をなくして受け入れることを心がける
非HSPの人がHSPの人から悩みを打ち明けられても、どうしてもその悩みがうまく理解できないことから、上にも述べた先入観をもとにした反応をしてしまうものです。
しかし、それではHSPの人にとっては「自分の生きづらさは人には理解されなかった」という印象ばかりが残り、悩みを打ち明けても無駄だと学んで何も打ち明ようとしなくなります。
そのため、HSPの人(あるいはHSPだと思われる人)から悩みを打ち明けられたときは、なるべく先入観を排除して、相手の生きづらさや敏感さを受け入れることを心がけるようにしましょう。
もちろん悩みを相談するだけでは、HSPの人が持つ敏感な気質が根本的に改善されるというわけではありませんが「自分の生きづらさが受け入れられた」ということが実感できると、そのことで安心感を得たり、相談した相手のことを信頼できるようになります。
HSPの人は周囲から自身の悩みを受け入れられなかったことから孤独になりがちです。その孤独を解消するためにも、相談してくれたら相手の話を遮ったり、個人的な問題として片付けるのではなく、受け入れるようにしましょう。
(なお、この姿勢は、心理カウンセリングで言うところの「共感的理解」に近いものとも言えます。)
人によって感覚の感じ方が違うことを理解する
大抵の人は味覚や音感といった馴染みのある感覚に個人差があることは理解しやすいですが、雰囲気などの馴染みがなく言葉や数字にしにくいものに関しては「みんな自分と同じような感じ方をしている」と考えがちです。
しかし、うまく言葉にできない感覚でもあっても、笑いのツボ、涙もろさ、打たれ強い(弱い)という言葉にあるように、人間は言葉にしにくい感覚にも感じとり方に差があるということは(なんとなくでもいいので)理解できると思います。
HSPの人と接する上では、この「言葉にしにくい感覚にも個人差がある」という感じ方の違いを理解した上で接することが大事です。
とくに、自分が繊細とは真逆の鈍感さや、多少のことでは気にしない性格だと感じている人ほど、自分の感覚が他の人にも当てはまる絶対的なものである、という考え方ではなく、「自分とは違う感じ方をする人もいるんだ」「独特のセンスや価値観を持っているんだ」と受け入れることを心がけるようにしましょう。
うまく言葉にしづらい生きづらさを感じていることを理解する
HSPの人が皆、自分の言葉にしづらい生きづらさを文字や声にして表現できるというわけではありません。
漠然としているけど、なんとなく生きづらさやしんどさを感じ、またそのことをうまく言葉にできないもどかしさや自分の非力さで、二重に辛さを感じていることもあります。
非HSPの人はそんなHSPの人のことを「うまく言葉にできないけど、繊細な気質で気苦労や生きづらさを抱えているんだ」だと生きづらさを理解して接することが大事です。
うまく言葉にできない生きづらさを抱えていることに共感や理解を示すだけでも、HSPの人からすれば安心感や信頼感を抱くことができるので、根本的な解決に繋がらなくとも自分で自分を責めたり孤立する事態を防ぐことができます。
適度に一人になれる時間を持つようにする
非HSPの人がHSPの人に対して理解や関心を示すことは大事ですが、過度に相手の辛さや悩みを聞き出そうとしたり、急に距離感を詰めてきてべったりと付きまとうような接し方では、HSPの人に過度な気を遣わせてしまうことになります。
友達として仲良くなりたい、理解しようとしたい気持ちが先行するあまりに、相手のプライベートに踏み込みすぎたり、なんでも知って支配・独占しようとすると、お互いにしんどい友達づきあいになります。
とくに「コミュニケーション能力=どれだけ相手と心理的に近づける」と考えている人は、無自覚のうちに人と距離感を詰めるだけ詰めて、相手に余計なプレッシャーを与えていることもあります。
また、HSPの人は人間関係の機微にも敏感なことから、「自分のことを知りたいという気持ちはわかる…けど、あまり近づかれるのは嫌だと言ったら嫌われてしまう」と感じて、本当はいやだけで我慢してしまい、精神的につかれてしまうこともあります。
「親しき仲にも礼儀あり」という諺にもあるように、親しいと間柄と言っても適度な距離感を保ち、場合によってリアルでもネットでもお互いに一人でいられる関係でいること大事と言えます。
HSPの人に対してお節介や押し付けにならないよう気をつける
HSPの人に対して理解したい、仲良くなりたいという気持ちからくる行動、どうしてもお節介や自分の価値観の押し付け、相手への支配浴、独占浴につながりがちです。
これは上司と部下、親と子、教師と生徒などの上下関係のある立場に限らず、友達関係のような対等な人間関係でも同じです。
HSPの人はどうしても非HSPの人と比較すると、些細なことで悩みを抱いていることから劣等感や自己肯定感が低くなりやすく、友達関係であっても「非HSP>HSP」の上下関係や主従といった支配・被支配の関係に発展しやすいのです。
接していくうちにHSPの人に対して建設的なアドバイスをしたり、気にならないためのコツを伝授したくなることもあろうかと思います。
しかし、アドバイスした通りに行動しないからと行って怒ったり、突き放すようなセリフを言うのは、果たして本当にHSPの人に対する理解ある行動と言えるでしょうか?
HSPの人だからと言っても一人の人間として、意思や考え、そして感じ方を尊重して友達関係が長く続けられるように心がけましょう。
参考書籍