友達のように親しく接してくるかと思えば、相手を見下しマウントをとってくる。
対等な関係のはずなのに、「俺(私)の方がお前より格上の存在だ」と威張り散らしてくるような友達は、一緒にいても非常に疲れるものです。
加えて当の本人に誰かを見下したり馬鹿にしている自覚がない場合だと、指摘してもなぜ自分が指摘されているのか理解できず、マウントを取る癖が改善されないまま放置されてしまい面倒です。
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上から目線の友達は疲れる
友達関係と言うのは、基本的にお互いがお互いに対等な関係であり、立場の差はまずないといえます。
立場の差がないために、お互い気兼ねなく打ち明けて話をしたり、ときにはふざけた会話をして楽しむことが許されるものです。
しかし、対等な関係のはずなのに…
- やたらと他人を避けて自分を持ち上げる発言をする。
- 自分が友達グループ内でトップになるように相手の言葉を否定しまくり優位性を誇示しようとする。
- 言葉の節々に「○○してあげた」「○○してやった」と恩着せがましさが伺える。
- 他人をいじり倒してばかりで自分がいじられるのを極端に嫌がる。
と、まるで自分の方が格上であるかのようなマウントポジションを取る言動が目立つと、どうしても不快感を覚えてしまうものです。
最初のうちは比較的対等な関係だったのに、付き合っていくうち油断してボロが出てしまうことで、このようなマウント行為を取るのだと考えることができます。
マウントをとっている友達自身はご満悦かもしれませんが、勝手に見下される側からすれば「迷惑な友達だなぁ」感じたり、自慢のためにいちいち貶されてしまうのでいい思いはしません。見下された経験が続くうちに、自分に自信が持てなくなってしまうことがあります。
マウントを取る友達に感じる嫌悪感の例
いつも自慢や武勇伝ばかりで退屈
マウントでよくあるのが、頼んでもいないのに自慢や武勇伝を語って1人で盛り上がってしまうケースです。
自分を強く見せたい、大きく見せたいと言う欲求を満たすのに自慢話をするのはうってつけで、対等な関係であることを利用してつい調子に乗ってしまい、自慢話に歯止めが掛からなくなります。
もちろん、露骨でしつこい自慢話は煙たがられることが多いので「会話の節々にちょっと自分をよく見せるような自慢を挟む」などの小ワザを用いて(あたかもサブリミナル効果のような)自己アピールする狡猾な一面を見せることもあります。
また、自分の自慢話はなく、自分の友達や知り合いなど自分と関連する人の地盤話で自慢話でマウントとることもあります。
自分の知り合いを自慢することで、自分の人脈の広さをアピールしながら、「自分は知り合いのことをよく知っている情に厚い人」だと重ねてアピールすることができるので、やたらマウントをとりたがる人は多用する傾向があります。
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勝手に引き立て役として利用されている感が否めない
友達のはずなのに、いつしか自分のことを引き立て役のようにうまく利用して、よく見せるための比較対象として利用されていると言うケースです。
マウンティングは自分をより高く見せるための行為。自分の優れている部分をよりわかりやすくアピールするためには比較しやすい他人を側に置く…つまり、引き立て役を用意することが効果的です。
例えば、美人が1人でぽつんと立っているのではなく、美人でもブサイクでもない中間の人と並べて断たせた方が美人の人がより際立つ…と言うように、比較の中で他人を判断しようとする人間の心理うまく利用して、マウンティングを遂行するのです。
当然ですが、知らないうちに引き立て役にされたと知ったらショックですし、納得いかない気持ちで胸がいっぱいになることがあるでしょう。
また、直接「私の引き立て役になってよと」と言わない(というか流石に失礼すぎて言えない…)分、非常に陰湿でいやらしいマウンティングの方法だと考えられます。
友達という間柄を利用して図々しく行動に出る
友達と言う上下関係のない間柄を利用して、相手の好意に甘え、余計な精神的負担をかけながら入り浸る、居座る、付け上がる、などの図々しい行動に出るケースです。
例えば、友達だからといって
- 軽々しく物や金を借りようとする。
- 「一口ちょうだいと」食べているものを横取りしようとする。
- 家に入り浸り冷蔵庫の中を漁ろうとする。
などの行動は、お互いの信頼関係があるからこそできる事かもしれません。
しかし、一方で相手の気持ちや事情を無視し、自分のわがままに他人を巻き込んでいるだけの非常に無神経で自己中心的な行動とも見ることができます。
ことわざの「親しき仲にも礼儀あり」親しい間柄だからこそ礼節を守り、感謝の気持ちを忘れてはいけないものです。
仲の良い関係だからといって礼儀を欠いてしまっては、独りよがりな行動で友達を振り回したり、支配してしまうことにつながります。
すぐに張り合い競争意識をむき出しにする
何気ないことですぐに張り合おうとして競争意識をむき出しにするのマウントを取ろうとするケースです。
例えば、学歴、運動神経、年収、恋人のステータスといった比較的比べやすいものから、SNSの友達の数、いいねの数、自分の趣味にかける想いの丈、自分が夢中になっている事への熱意…などで優劣をつけようとする人は友達でなくても疲れるものです。
競争意識やライバル意識の高さは仕事や学業においては効果的に働きますが、友達関係においては友情崩壊しかねない欠点となりえます。
また、いわゆるオタクやマニアように、ある1つの物事に精通している人の場合だと、自分がどれだけ知識が豊富であるかを語ることがアイデンティティーとなっていることがあり、友達が口にした些細な言葉の節々に、アイデンティティーを揺るがす要素を見つけてしまい、つい感情的になってしまうのだとも考えられます。
頑なに褒めようとしない
マウントの中でも非常に厄介なのが、相手を頑なに褒めようとしないことです。
実際に言葉や態度でマウント仕掛けてくるのと違って、意図的に「褒める」という行動を制限するため、周囲から気づかれにくい上でに、それとなく自分の方が上だとアピールしてくる陰湿さが際立ちます。
また、悪口や文句を言われるのと違って、何も褒めてこないので「ひょっとしたら何か気に障ることを言ってしまったのではないか? 」と罪悪感を抱きやすく、相手が意図的に見下すためにマウントをしているのではないかと言う疑念を持ちにくいのです。
加えて、罪悪感を抱かせることに成功すれば、マウントを取る側がその罪悪感を利用して自分を持ち上げる行動に出るように誘導しやすい。
気がつけば、友達関係から主従関係に移行していたという悲しいオチになることも多いのです。
対等な関係だから友達にマウントを取りたがる
先輩後輩、上司と部下のように上下関係がはっきりしている人間関係では、たとえ上から目線で接することがあっても、そこまで不快感を抱かないものです。
立場の差がある以上、その立場に応じた振る舞いを相手が行う事は自然なことです。また自分が格下の存在だと自覚している場合、格下らしい接し方を受けるのにもそこまで抵抗を感じないのも自然だと感じるものです。
このように自分の立場・役割に応じて行動や考え方を変える事は、(悪名高き心理実験)として有名なスタンフォード監獄実験でも証明されています。
一方で冒上でも触れたように、友達関係は基本的に対等な関係であり、どちらか一方が見下すは見下される(見下される)と言う立場差がある関係ではないと考えている人が大半でしょう。
ですが、その考えを裏切るかのように、マウントをしてくる友達はナチュラルに見下し、まるで自分の友達を子分のように扱おうとするために、「この人は立場に応じた振る舞いをしていない」と不快感を抱いてしまうのです。
また、ある意味友達関係は対等な関係と表現するよりも、上下関係があいまいな不安定な人間関係とも言えます。
不安定であるが故に、立場がはっきりしないことに苛立ちを覚えて自分からマウントを取りに行こうとしゃしゃり出てきたり、悪口や悪質ないじりにより友達の立場を下げて固定させたいという欲求が表面化しやすいのだと考えることもできます。
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マウントを取る友達はフレネミーかもしれない
こうして見ると一応は友達のように見えても、その実態は友達のふりをした敵であるように見えます。ちなみに、友達のふりをした敵は「フレネミー」と呼ばれています。
友達のような親しさこそ見せるものの、その内面は他人を攻撃したい、支配したいという悪意が隠しながら、巧みに近づこうとします。
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