フレネミーとは、「friend(友達)」と「enemy(敵)」を合わせた造語であり、意味としては友達のフリした敵となります。
自分の友達がフレネミーのように感じられたら、当然ながら「裏切られた」とか「そんな風には思えない」と、強いショックを抱くものでしょう。
しかし、フレネミーは必ずしも自分以外の他人が対象になるものではなく、認めたくないことかもしれませんが、自分がフレネミーになることもあります。
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「自分がフレネミーかもしれない」と思った時のチェックリスト
まずはじめに、このチェックリストは筆者が簡易的に作ったものに過ぎません。
そもそも「フレネミー」というは明確な定義は存在しておらず、また医学で扱う病名や症状でもありません。
この記事で紹介しているチェックリストは、参考としてお役立ていただければ幸いです。
友達を自然と見下し、マウントを取っている
友達の容姿、学力、経済力、家庭環境、運動神経、運など、あらゆるものを比較して、自分のほうが友達よりも優れていることに満足感を覚えると同時に、友達が自分よりも優れるような場面になると強い不快感を覚えることです。
自分にとって、友達は自分という人間をよく見せるための引き立て役のように認識し、引き立て役とみなしているからこそ、自分よりも目立つような状況を快く思わず、いつでも自分の方が格上でありたいと感じている。
ただし、ストレートに「俺(私)の方が格上だ」と言えば、友情が崩壊してしまうおそれがあるので、表面的にはよい兄貴分・姉気分というキャラを演じて、お互いに仲がいいことを周囲にアピールしつつも、優越感を満たそうとします。
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友達に対して余計なお世話がやめられない
友達が求めていないのに、友達のやることなすことに対して口を挟まずにはいられなかったり、つい余計なお世話と思われてしまう、行き過ぎた行動をすることです。
友達に対してストレートに邪魔や妨害をしてしまえば、当然ながら「友達に対して嫌がらせをしている」と周囲から見られてしまうので、あくまでも「友達のことを思って…」「友達のことを心配して…」と、善意からくる行動として口を挟もうとします。
また、余計なお世話をする場面で、学力や運動神経など友達の能力を過小評価し「自分の助けが必要なほど弱々しいやつ」「自分がいないとなにもできないダメなやつ」と、ナチュラルに見下すこともあります。
友達のことをとにかく否定する
友達の発言に対していちいち否定的な言葉を投げかけたり、友達の些細なミスや不始末を見つけては、まるでお小言を言うお局様のように、ネチネチとした説教をしてしまうことです。
嫌味ったらしい否定の他にも、お笑い芸人がいじられキャラの芸人をいじるように、茶化して笑い者にするかのような方法で、友達の行動や発言を否定することもあります。
外部からは仲良くワイワイやっていると見られ、友達を否定するためにいじっているという状況が、部外者だけでなく内部の人間からも分かりにくいのが特徴的です。
友達の評判を下げるために、陰湿な嫌がらせをしている
- 友達のいないところで悪口を言う。
- 根も葉もない噂を広める。
- 無視・仲間はずれをするように他の友達に仕向ける。
- 友達に対して辛辣な態度を取る、過小評価をする。
など、友達の評判を下げたり、困らせるために、陰湿な嫌がらせをすることです。
陰で嫌がらせをしつつも、困っている友達に対して優しく声をかけて、あくまでも「自分は味方ですよ」という姿勢を貫く。嫌がらせの首謀者であることを伏せて、困っている友達が自分を頼ってくる様子を楽しむこともあります。
また、嫌がらせ行うのは、学校や職場などのリアルな人間関係だけでなく、SNSやメールなどのネット上の人間関係でも同じです。
(ネットの場合は、個人情報を隠して他人になりすますことが容易であるため、まさに友達のふりをした敵を演じる環境としては最適かもしれません…)
友達の成功や幸福を素直に喜べない
進学・就職・出世・結婚・出産など、友達の成功や幸福に対して素直に喜ぶことができず、素っ気ない態度をとったり、つい余計なお世話として説教めいたことを言ってしまったり、毒のある言葉を吐いてしまうことです。
例えば、友達が有名な大学に合格しても「いい大学に入ったからと言って、将来安泰というわけではないから、頑張らないといけないよね」と、もっともらしい言葉で心配する態度を見せつつも、友達のモチベーションを挫かせるような言葉や態度を口にしてしまうことが、これに当たります。
とくに、今まで見下していた友達が成功や幸せを手にする光景に対して、強い嫉妬や羨望の念を抱くものの、その感情を素直に出せば立場関係が本格的に逆転してしまうおそれがある。
そうならないためにも、なんとか冷静さを保ち、友達に対して優位であることを確認したい気持ちが、このようなひねくれた行動に出ているのだと考えることができます。
友達をやたらおだてる、褒め殺す
友達を貶すばかりでなく、やたら大げさに褒めて、おだてて、つけあがらせることで、自分の手を汚さなくとも、友達を破滅へと追い込む…いわゆる「褒め殺し」です。
表面的には、否定や誹謗中傷の言葉が出ないので良好な関係を築いているように見えますが、無責任に褒め続けて増長させ、傲慢な行動に出るように誘導させて、周囲から顰蹙を買わせるように仕向けることもできます。
そして、顰蹙を買って孤立した友達を助けることで貸しを作り、自分の方が優位であるとアピールして上下関係をより強固にすることもあります。
(余談ですが「おだてる」は漢字で書くと「煽てる」と書きます。「煽る(あおる)」とも読み、褒めることとは違い、気分を増長させて油断させる意味合いがあることがはっきりしています。)
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ベタベタとした関係になり、友達の自由を奪う
友達に対してベタベタとくっつくように付きまとい、いつも一緒にいようと距離感を縮めることです。
物理的にも精神的に依存することで、友達が自分以外の友達と付き合うことを妨害するだけでなく、友達自身がプライベートな時間を持つことまでも妨害します。
また、友達のプライベートな時間を奪った結果、例えば勉強をする時間を奪ったことで学業成績の悪化を誘発し、友達の生活に打撃を与えてしまう…という被害をもたらしてしまうこともあります。
でも、そんな友達にどこか依存したり、承認されることを望んでいる節がある
友達に対して陰湿な嫌がらせや嫌われても仕方がないような態度をとり続けるものの、その裏では友達に対して精神的に依存していたり、友達から必要とされること、「友達」として承認されることを望んでいることが原因と考えることができます。
依存は嫌がらせを行なう本人の性格や気質だけ問題があるのではなく、嫌がらせを受けてしまう友達の性格・気質にも現任があったり、嫌がらせを行なう本人を取り巻く環境(家族関係・学校や職場の人間関係など)にも問題がある、簡単に言い切れないほど原因が複雑に絡み合っていることがあります。
例えば、姉貴分なキャラ(Aとする)として、友達を貶す場合…
- A : 姉気分でキツいキャラでも必要としてくれ認めてくれる友達に依存している。
- 友達 : 自分で自分を頼りないと自覚しているから、姉気分なAに対して依存している。
- Aを取り巻く環境 : 姉気分であることを良いこととしてAを褒めた人がいる。頼りない友達を支えているAに、周囲が安心感や信頼を寄せている。
など、様々な行動の結果として、友達間での依存・共依存関係が構築され、たとえフレネミーであっても関係が維持されることがあります。
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自分がフレネミーと思う人に見て欲しいアニメ『宇宙よりも遠い場所』
話がガラッと変わって申し訳ありませんが、もしも自分がフレネミーかもしれないと感じる人におすすめしたいのが、アニメ『宇宙よりも遠い場所(略称:よりもい)』です。
このアニメ内では、主人公の玉木マリ(呼び名はキマリ)の友達である、高橋めぐみ(メガネの娘)が、キマリのやることなすことについて口を挟んでは妨害するシーンが数多く見られます。
めぐみ本人は、冷めた性格で物事を俯瞰的な立場から見る言動が目立つ、どことなく嫌味ったらしく刺のあるキャラであり、優柔不断なキマリを支える良き相談役…というよりは、面倒を見る世話役なキャラとして描かれています。
しかし、面倒を見ると言っても、その言動は上でも触れたように、見下しの意味も込められており、まさにフレネミーと呼ぶにふさわしいものだと感じます。
…なお、その後のめぐみとキマリの関係が作中でどう変化していったかについては、アニメを全話一気見することをおすすめします。
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