普段の言動からなんとなく「私は友達でいてやっているんだぞ」と、ナチュラルに傲慢で、上から目線が隠せない友達と言うのは、付き合っていて非常に疲れるものであります。
もちろん、一応でも友達なので、乱暴な言葉遣いや露骨なマウントで見下すのはなく、あくまでも友達らしい親しく優しい言葉遣いで接している。しかし、言葉の節々に、友達を見下す気持ちが隠せなかったり、「自分の考えや生き方こそ1番である」と言うプライドの高さが感じ取れると、大変複雑な気持ちになります。
そして何より、当の本人が自分がナチュラルに人を見下していることに無自覚で、「私が『友達でいてやっている』と、ひねくれた目で見ているあなたに幻滅した!」と被害者ぶったり、他の友達を焚き付けて「私は変なこと言ってないよね?何も間違ったこと言ってないよね?」とリアル・ネット問わず味方を作る行動に出られると、非常にめんどくさく友達いるのがアホらしくなってしまうものです。
今回はそんな「友達でいてやっている」と言う態度に関する諸々についてお話しいたします。
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どうして「友達でいてやってる」という態度が疲れるのか
友達をナチュラルに見下しているから
冒頭でも触れましたが、友達でいてやっていると言う態度は、友達を上下関係で捉えていることをが強くうかがえるます。
もちろん、「友達でいてやってる」と言う態度を取っている友達の方が格上です。
自分で自分のことを格上だと感じているからこそ、傲慢な態度が治らないどころか「この態度は傲慢でもなんでもなく普通だし、そんなことにケチをつけるあなたの方がおかしい」と自分に都合よく現実を捻じ曲げてしまうことがあります。
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「妥協して友達になってるんだよ」という横柄な態度だから
友達でいてやっていると言う態度の裏には「本当は貴方よりも素敵で、魅力的で、キラキラとした人と友達になれるんだけど、まぁ昔からの関係があるから、あえて貴方と友達でいてあげてるのよ、感謝してよね」と言う横柄さが伺えます。
また、フラれた時に次に好きになるための恋人候補をキープしている人のように、もしも今の友達関係がうまくいかなかったときの保険として、友達関係をキープしているかのようにも思え、自分が友達としてぞんざいに扱われていることに憤りを覚えてしまうのです。
友達を上下関係で見たり、自分の所有物かのように見られている事が行動から感じ取れてしまうと、そんなぞんざいな扱いをしている人とは対等な友達関係を送れる自信がなくなり、次第に距離を置きたくなるのもいたって自然だと思います。
損得や利益で付き合うかどうか見られているから
友達を、1人の人間として尊重せず、自分にとって利益があるかどうかを基準にし、友達付き合いを続けるかどうかが行われているように見られて、不愉快な気持ちを抱いてしまうのです。
仕事の人間関係ならまだしも、友達という対等(なはず)でプライベートな関係なのに、利益や損得の概念を持ち込まれると、友達としての仲が急に冷めて、付き合うのが億劫になるものです。
また、利益や利益や損得が基準になっているために、もしも自分が友達から見て利益がないと判断されてしまえば簡単に関係を切られてしまう不安を感じたり、場合によればいじられキャラや愚痴聞き役となどの損な役回りを押し付けられてしまう不安があるものです。
目の前にいる友達が、他人を搾取の対象として見て、おいしいところをいただいたらその後は用済みなので捨ててしまう…という、ような恐ろしい一面があるかのように思えて、次第に関係を続けるのが面倒になるのです。
友達付き合いが辛いのに縁を切れない優柔不断さ、八方美人さが見ていてじれったいから
もちろん、利益がないからといっばっさり友達を切れるだけの度胸があれば、わざわざキープして「友達でいてやっているんだぞ」と言う前に、関係は解消されているはずです。
たいていは、友達として付き合いづらいけど、そんなことで縁を切れば自分の評判やイメージが下がる不安があるために、いびつな友達関係が続いているのだと考えることができます。
もちろん、辛い友達関係だからこそ、さっぱり来れればお互い気楽になれるかもしれませんが、そのことを自分から言い出せる勇気は無く優柔不断である。
また、何より「友達を切った」と言う負のイメージが付くの恐れ、苦手な人に対してもいい顔を作ってしまう八方美人さが、見ていてもどかしくて、じれったくて、痒い手が届かずイライラするかのような不快な気持ちになってしまうのです。
「友達でいてやってる」という態度の背景にあるもの
友達でいてやっているという態度が出て来やすいのは、友達として友達付き合いが長くなり、お互いに生活環境や内面(価値観、将来に対する考え方など)が変わってきて、昔のような友達関係でいられなくなった時です。
進学や就職などで、住む環境が変わることで、なんとなく話題が合わなくなり、友達として付き合っていける自信がなくなる事は誰でもあるものでしょう。
例えば、学生時代の友達がどんどん結婚して言ってる中で、自分は恋人もおらず依然として独身のままだと。結婚している友達との話題や関心に次第にズレが出て、お互いがお互いになんとなく話しづらい空気を感じるものです。
しかし、それぐらいで友達を切るのは、さすがに薄情と感じるために、面倒だけど惰性で友達付き合いを続けてしまうことがあります。(関係性が変わってもお互いにいい距離感を探れないことも問題のような気はしますが…)
また、結婚や出生などで環境が大きく変わり、経済的な格差や文化的教養の差が出てくることも、話題や関心のズレに大きく影響していると考えられます。
ただし、友達という親しい間だからこそ「経済的に合わない」とか「教養がなさすぎるから付き合いづらい」とは流石に言えない。(もちろん、友達でなくても流石に失礼すぎると思いますが…)
かと言って、昔のような童心に戻ることは自分のプライドが許さないし、ここで戻ったら格差が下の相手と同じになる不安があって、一応でも友達関係を続けることを選んでしまう葛藤が「友達でいてやってる」という態度を生み出しているように感じます。
「友達でいてやってる」という態度が友達関係の辛さを招いているとも見れる
「友達でいてやってる」という態度に出てしまうプライドの高さが影響して、友達からなんとなく距離を置かれるようになっても、あくまでも自分に非があるとは考えず、友達の方に非があるという一方的な結論を下すことがあります。
内心は、友達と距離を置かれていることに戸惑いを感じつつも
- 「私に嫉妬しているから距離を置いたに違いない」
- 「生活環境のレベルが低く、私とは住む世界が違うと悟ったから距離置いたはず」
- 「友達関係が変わっていくことは自分の仕事や私生活が上手く言っている証拠」
と、自分に都合がいいように事実を捻じ曲げて解釈し、自身の肥大化したプライドをより強固にすると同時に、現実と思い込みとのギャップが激しくなります。
もちろん、これで開き直れれば、それはそれでいいのかもしれません。
しかし、そもそもが肥大化しすぎて不安定なプライドが原因であるため、自分に都合のよい解釈に対して確信を持つだけの自信が持つことができず内心は不安でいっぱいである。そして、その不安を解消して自信を得るべく、ほかの友達に対して「私の考えって間違ってないですよね?」と同意や同情を求めて安心感を得ようとする姿が、なんとも見ていて心苦しくなります。
もちろん、(もと)友達とはいえ他人の人生なので、相手を一人の人間として尊重し、お互い不快にならないようにそっとしておくのことが賢明でしょうし、深入りする余計なお世話だとお思います。
しかし、肥大化したプライドを生むに至った自己愛の強さや、他人の評価に依存して自分で自分のことを決められない癖を自覚できないままでは、仮に友達をリセットできたとしても、また新たな環境で作った友達関係でも同じような苦しさを覚え、何度も辛い経験を繰り返すような気がしてなりません。
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