人間は1人では生きていくことができません。集団や組織に所属したり、誰かと手を組んで協力するなどして社会に参加することで生きていくことができるのです。
しかし、中にはその社会生活馴染むことができない…例えば
- バイトや正社員として就職ができない
- 仕事が続けられない
- 人との約束を守ることができない
- 友達ができないorいない(=ぼっち)
- コミュ障で人とうまく話したり距離感をつかむことがことができない
などの、社会に合わせて生きていくことが難しく、人には打ち明けにくい生きづらさを感じている人がいるものです。
ネットやSNSではこのような特徴で悩んでいる人や困っている人のことを「社会不適合者」と呼ぶことがあります。
もちろん、精神的に病んでいるとか生まれつきの気質ゆえに、多くの人に合わせた生活そのものに生きづらさを感じているのでと自分は社会不適合者だと感じている人もおられますが、なかには、真面目系クズや自称コミ障のように、自虐や同情を誘う目的で社会不適合者であると名乗っている人を見かけてモヤモヤとすることがあります。
今回は、そんな社会不適合者だと自覚している人に見られる心理学的な特徴についてお話しいたします。
社会不適合者を自覚する人の心理学的な特徴
他人の励ましや応援を拒む(認知的斉合性理論)
自分で自分のことを社会不適合者だと言う人は、社会不適合だと自覚しているが故に自己評価や自己肯定感が低く、自分に対して否定的な見方を持っているものです。
しかし、自己評価が低い事は決して自分だけの問題ではなく、周囲の人も巻き込み困らせてしまうことがあります。
例えば、自分で自分のことを「ダメ、クズ、最低の人間だ…」嘆いている人を見かけて励ましたものの「皮肉のつもりで言っているの?」とか「あなたは私のことを買いかぶり過ぎているよ」とか「私はあなたが思っているほど立派な人ではありませんよ」と言うような、励ましの言葉を叩き叩き落として、さらに自己否定をしてしまう人に遭遇した事は無いでしょうか?
このように、周囲からの肯定的な言葉を頑固に拒否するのは、心理学の認知的斉合性理論で説明することができます。
認知的斉合成理論とは、自分の認知(=考え、価値観)と周囲の認知を一致させようとする心の働きのことです。
自己評価が高い人は、周囲に対して自分を高く評価するようなコメントを求める一方で、自己評価が低いとは周囲に対して自分を低く評価するコメントを求めることで、自分と周囲との認知を一致させようとするのです。
自分のことを社会不適合者だと感じているからこそ、周囲からも社会不適合者という自分の認知に一致するコメントや態度を求めて安心感を得ようとするのです。
いくら褒めたり励ましてもその言葉を拒否して、非常にめんどくさいことになるのは認知的斉合性理論が関係していると考えることができます。
周囲から悪い評価を受けることでその通りになる(予言の自己成就、ゴーレム効果)
周囲から実際に悪い評価を受けていくことでますます仕事でミスをしたり、約束を守れなかったりなどの社会不適合者としての特徴を強めてことがあります。
このことは心理学の自己成就予言のゴーレム効果で説明することができます。
自己成就予言とは、自分で「きっと将来はこうなるはずだ」と思って行動していると、実際にその予想が現実のものとなってしまうことを指します。
また、自己成就予言には、良い結果に結びつくピグマリオン効果と悪い結果に結びつくゴーレム効果の2種類あり、社会不適合者だと自覚する人は悪い結果を招くゴーレム効果の影響を強く受けると考えることができます。
社会不適合者だと自覚している人は、先ほど触れた認知的斉合性理論も踏まえ、周囲から悪い評価を受けることが多く、そのことが影響しさらなるミスや失態を重ねてしまう事が多いものです。
実際に、何度も同じ失敗を繰り返す人は、周囲からミスを再発するための建設的な意見ではなく「お前はダメだ」とか「全然学習しない奴だな」と言うような、ただ自分の無力さを自覚させる行動を繰り返していることが多く、それが災いし更なるミスを誘発しているのだと考えることができます。
あえて手を抜いて失敗を誘発させる癖がある(セルフハンディキャッピング)
社会不適合者の人には見られます仕事や勉強などで、あえて手を抜いたり自分を追い込んだりすことで失敗してもおかしくない状況を作ることがあります。
例えば、
- 夜更かしをして仕事やテストに臨む。
- やるべき課題を締め切りギリギリまで放置してから慌てて取り掛かる
と言うような行動です。
当然自分にとって不利な状況では、普通に仕事や勉強するのと比較すればミスが多発するのは無理もありません。
このように自分に対してハンデを与えることを、心理学ではセルフハンディキャップピングと呼びます。
セルフハンディキャップピングには、失敗しても自分が強いショックを受けないようにする効果があります。
実際にあえて不利な状況に追い込んだことで失敗したしても、「今回はハンデがあったから失敗しても仕方がないよね」と自分で自分を慰め納得させることができるので、失敗に対するショックや失敗を起こすことへの抵抗感が薄れてしまうのです。
逆に、ハンデがあるのにもかかわらず運良くうまくいけば、周囲に対して「ハンデを乗り越えて成功した」と、自分の能力を盛ってアピールすることができます。
…こうしてみると、セルフハンディキャップピングはどっちに転んでもおいしいように思いますが、
- そもそもハンデをかけているため自分の実力を存分に発揮できなくなる。
- やる前に言い訳をする癖がつき、周囲からやる気のなさを疑われたり、呆れられてしまう
という弱点があり、メリットしかないというほど単純なものではありません。
自己正当化のために「社会不適合者」の言葉を使う(防衛機制の合理化)
人間は自分が受け入れたくない自立や出来事に対して、納得いく理由をつけて正当化することがあります。
心理学では、理由をつけて正当化することを自我防衛機制の合理化といいます。その合理化の時に使われる便利な単語が「社会不適合者」なのです。(もちろん、場合によっては真面目系クズやコミュ障などが使われることもあります。)
自分が受け入れたくない事実を目の前にして「私は社会不適合者だから仕方ないよね」と開き直って、自分で自分を納得させて正当化することで葛藤から逃れようとするのです。
しかし、社会不適合者だと言って納得してしまうことは、自分で改善できるところや、反省すべき点を見つける機会を自分から手放してしまう恐れがあります。
実は社会不適合ではなく、ただ純粋にコミュニケーションが不足していたり、社会に対する期待が大きすぎて現実を見失っているために生きづらさを感じているに過ぎないと言うような改善次第で生きづらさを和らげる状況であっても、自己正当化をしてしまえば改善に至らず生きづらさが残ったままになります。
自分で自分のことを社会不適合者と考え納得してしまう事は、自分の気持ちを落ち着ける一面もあれば、自ら社会との関わりを拒んだり、自分を省みる機会を放棄することで余計に生きづらい状況に自分を追い込んでしまうリスクもあるのです。
社会不適合者らしくこうあるべきという思い込みがある(確証バイアス)
社会不適合者だと感じている人には「自分とは社会不適合者らしくこうあるべき」だ「自分とは社会に馴染めないような劣った人間だ」と言うような偏った先入観や、妙に強い信念を持っていることがあります。
そして、その信念に影響され自分にとって耳障りがよく都合の良い情報ばかりを集めたり、自分から社会不適合者だと思われるような過激な発言や突飛な行動をとり、より自分の先入観を強固なものにしていく事があります。
このような現象を心理学では確証バイアスと呼びます。自分の考えの偏り(バイアス)が仇となり、自分で生きづらさを生み出し苦しんでいるのです。
また、社会不適合者らしいダメな行動や、周囲からの低い評価を受けていく中で、「やはり自分の考え方は楽しかった」とダメな自分を(半ば開き直るかのように)肯定的に見てしまうことがあります。
認知的斉合成理論とも共通してるところがありますが、自分が社会不適合者だと強く思い込んでいるからこそ、その思い込みが正しいと証明できるような情報集めていくことに快感や歪んだ自己肯定感を抱いているのです。
「私、社会不適合者だから…」は反省する機会を失うリスクもある
「真面目系クズ」や「コミュ障」のように、社会不適合者という言葉もここ最近は随分とカジュアルに使われるように感じています。
とくにSNSやネット上だけでなく、リアルの人間関係でも枕詞のように「私は社会不適合者でして…」と自虐や謙遜の意味も込めてか、口にする人が多いように感じます。
しかし、上でも書いていますが、社会不適合者だからと言う言葉に頼りすぎて、自分の反省すべきことや、改善するための努力を放棄してしまっては自分の為にならないことでしょう。
また、自分で自分のことを社会不適合者だと主張する行動そのものが、他の人にとってどのような影響を与えているのかと、言う視点も社会不適合者をよく名乗る人に足りていないと感じます。
何度も社会不適合者だと口にしているのに、一向に改善が見られないのであれば、周囲からすれば「社会不適合者ってよく言うけど、そんなあなたは社会に合わせるために何か努力をしているの?」と言う、素朴な疑問を持たれても無理は無いかと思います。
真面目系クズやコミュ障のように、社会一般で悪材料とされている特徴や性格を自分のアイデンティティーする事に対して、少し慎重になった方が良いのではないかと感じます。