ハロウィンが過ぎると街は一気にクリスマス一色になるものですが、どうしてもこの時期は、焦りというか、不安というか、居心地が悪くてなんだか落ち着かない気持ちに襲われることが多いものです。
とはいえ、一般的にクリスマスといえば、老若男女が皆楽しみにしている時期であり「クリスマスは楽しい」という当たり前の認識があるために「実はクリスマスの雰囲気が苦手でして…」とは、なかなか言いにくいものです。
今回は、こうした「クリスマスが苦手」という心理についてお話いたします。
クリスマスが苦手な理由
クリスマス前の浮かれた雰囲気が苦手
クリスマス前は、街に出てみてもTVやネットの中でも、どこもクリスマスを意識した演出や情報が飛び交っており、どこかお祭り騒ぎのような浮かれた気分に迷い込んだような気持ちになるものです。
もちろん、お祭り気分自体は確かに楽しいものではありますが、それがハロウィンをすぎてから1ヶ月以上延々と続くのは、さすがに長すぎて疲れを感じてしまいます。
普通に生活しているだけでも「世間の流れに乗り遅れている」気がして辛くなる
あらゆるところから「もうすぐクリスマスですよ」という情報が飛び交ってはいるものの、実際にクリスマスがもうすぐやってくるからといって、とくに普段の生活に何か特別なことや変化があるとか言われれば、そうではありません。
クリスマスシーズンだろうとそんなこと関係なく、いつものような何も特別なことがない平凡な日常生活を大抵の人は送っているものでしょう。
しかし、クリスマスシーズンは、平凡な生活を送っているだけであっても「お前は世間の流行に乗り遅れている」と、誰かに言われているような気がして、気持ちが落ち着かないものです。
浮かれた気分を楽しめない自分に自己嫌悪してしまう
もちろん、ひねくれたこと言っておらず、純粋にクリスマス前の浮かれた雰囲気を楽しめるだけのフットワークがあれば、こうした悩みは抱かないだろうとは思いますが、同時に、どこか浮かれた気分になりお祭り騒ぎに参加できない自分に対して、自己嫌悪の念を抱いてしまうことがあります。
この自己嫌悪は、ただ自分がひねくれて世間から取り残されているような感覚のみならず、自分自身の内面が「もうクリスマスを楽しめるほど心が若くはない…」と老いてきていることのようにも感じてしまいます。
カップルでないと「負け組」のように感じてしまう
クリスマスといえば、いろんな意味でカップルが最も熱くなる時期としてもネット上では有名であり、まさにカップルにとっては大事な記念日というイメージが強いものです。
しかし、このことは同時にカップルでない人たちや、恋人がいない(orできない)人が、クリスマスに対して強い劣等感を抱いてしまう原因にもなります。
もちろん、交際相手の有無で人生に勝ち負けを付けること自体、乱暴な考えではあります。ですが、クリスマスを恋人もおらず一人で過ごしているだけで、なんだか自分は人生の負け組であるかのように感じてしまうことが、クリスマスに関する嫌悪感に繋がっているように感じます。
本当なら結婚して家庭を持ちクリスマスを楽しんでいる年齢なのに、いつまでも独身な自分に劣等感を覚えてしまう
個人的な話になりますが、同年代の人たちが普通に結婚をして家庭を持つ人が増えている中で、未だに独身であるという事実を強く思い知らされるのがクリスマスの時期です。
本来なら、同年代と同じく結婚をして、家庭を持ち、家族でクリスマスを楽しんでいてもおかしくない年代なのに、自分にはそれがない。
もちろん、晩婚化や若者の恋愛離れなどで結婚そのものから遠ざかる人が増えている背景もありますが、それでもクリスマスが持つ「家族でクリスマスを楽しむ」というイメージを強く染み付いているせいか、独身の身には堪える時期だと感じます。
「もう今年も終わりなんだなぁ」としんみりしてしまう
世間がクリスマス一緒に彩られる時期は、時期としても年の瀬であり「もう今年を終わりなんだなぁ…」と、しんみりとした気持ちを感じるものです。
今まで触れた、浮かれた気分や独身にとって堪えるなどと比較すれば、そこまで深刻なものではありますが、一年が終わり、また年齢を重ねてしまうという事実に、どこか恐れや焦りと言った感情が巡り巡って、クリスマスへの苦手意識に繋がっているかもしれません。
漫画『ハチミツとクローバー』から見る12月病
羽海野チカ作の漫画『ハチミツとクローバー』第1巻の9話冒頭にて、いわゆる「5月病」にならって、12月に感じる焦燥や不安などの症状を「12月病」という言葉で表現するシーンが登場しています。
その中身はというと…
5月病というモノがあるがそれで言うならこの気分は多分12月病だ
なんでかは解らないけどアせるのだ
この色トリドリの電飾や鈴の音「お前は今幸せか?」「居場所はあるのか?」と、問い詰められているような気持ちになるのだ。
「早くどこかに帰ってトビラを閉めに行かないと大変なことになっちゃう」みたいなイヤなキモチ。
「早くしないと座るところがなくなっちゃう」みたいな
ああそうだ、このカンジ。椅子取りゲームに似てるんだ…
(参考:『ハチミツとクローバー』第1巻9話より、2002年)
街もテレビもネットもクリスマスに彩られる時期に感じる、妙な居心地の悪さ、焦りや不安をよく表しているシーンだと感じます。
登場したのは2002年と10年以上も前ですが、現代でもこうした感情に近いものを感じている人は多いと思います。
一般的なクリスマスのイメージは
- 家族集まって仲良く楽しむ。
- 友達で集まり、プレゼント交換会などをして賑やかに楽しむ。
- 恋人同士で外食に行っていい聖夜のロマンティックな雰囲気を味わう。
など、基本的に明るく、楽しく、幸せを噛み締めるものという認識があります。(無論これはクリスマス商戦のセールス戦略のおかげという見方もできなくはないが…)
しかし、家族・友達・恋人などの関係に何らかの楽しめない問題を抱えている、あるいはそうした関係が最初から無い人にとっては、こうした「楽むべき」というクリスマスの雰囲気は非常に精神的な重荷になると同時に、クリスマスを楽しめない自分がどこか劣っているように感じて生きづらさを感じてしまうのです。
「クリスマスが今年もやってくる♪」で感じる焦りと不安
12月に限らず、ハロウィン後は町のあちこちにクリスマスツリーやイルミネーション、聴く音楽もどれもクリスマスソングになり、某フライドチキンの「クリスマスが今年もやってくる~」というCMソングを耳にするものです。
そんな、クリスマスという一年の中でもとくに楽しく賑やかなイベントが間近に迫っているのに、当の自分はというと仕事に追われ、友達も仕事のせいでうまくスケジュールが合わない。
クリスマスソングのような暖かい家庭や料理が揃うようなツテもなければ、料理などを用意する時間も、金も、体力も日々の仕事のせい疲れで消え失せてしまっている。
ほかのクリスマスを力いっぱい楽しんでいる人を尻目に、そんな明るい幸せとは無縁で寂しく孤独に普段通りの一日としてクリスマスを過ごしてしまうのだろうか…という不安や焦りに苦しめられるのです。
街が全てクリスマスの色に染まる光景は、言い換えればその色に染まることができない生活を送っている人には、居場所どころか人権すら与えられていないような惨めな気持ちになります。
今はバブル期のようなイケイケドンドン(死語)で、贅沢三昧をするほどの余裕のない若者、あるいは家庭を持つ中高年の方も多く、クリスマスを楽しめることが一種の社会的に成功していることを示すものとして扱われているように感じます。
そうした背景をふまえると、クリスマスを楽しめていない人は、ただの世間一般から見て「残念な人」という比較的可愛い言葉で片付けられるものではなく、人生や仕事という観点においての「負け組」であるかのようにすら、感じてしまう辛さがあるのです。
もちろん、クリスマスぐらいで人生の勝ち組・負け組が決まるのは、さすがに大袈裟だといえばその通りですがが、みんなが楽しんでいるものを楽しめる機会が無いという阻害感は、それだけ本人の自尊心や自己肯定感を深く傷つけつようなものだと感じる今日この頃でございます。
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