他人から優しくされると、なんとなく違和感というか、気まずさというか、不安な気持ちに襲われてしまう…という悩みは、なかなか誰かに相談しにくいものだと感じます。
相談しようものなら「まぁ、他人に優しくされて辛いだなんて、随分と贅沢な悩みをお持ちで」とでもいいたげな反応を返されてしまうかもしれない。
そもそも、優しくされれば嬉しく感じるのが一般的なのに、自分はその世間一般とは違う感情を抱いてしまう感性や人格を持っている、ひねくれた人間だと思われてしまう不安があるからこそ、相談したくても相談できずに思いつめている人は、きっと少なくないと思います。
では、他人に優しくされて悩んでしまう理由や心理は、一体どのようなものなのか…今回は、このテーマについてお話いたします。
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他人に優しくされると不安に襲われる理由
妙に距離感を詰められているように感じて気味悪さを感じる
相手が好意や善意から自分に対して優しくしてきて、心理的な距離感を近づけられていることはわかっているものの、その距離の詰め方がどこかおかしいもののように感じてしまう。
まるで自分が守っておきたい相手との一定の距離感を超えてきて近づいて来ているように感じて、気味の悪さを感じてしまうことがあります。
人間関係において距離感を近づけることは、親睦を深めたり、お互いの仲の良さをより深めるためには効果的ではありますが、一歩間違えれば自分の見せたくない内面やプライベート、過去の経験や秘密の類など、誰彼構わず知られては困るような部分に他人が入り込み、心を掻き乱される不安もあるものです。
他人から触れて欲しくない内面や過去を持っていたり、心穏やかな関係を求めるあまり人間関係こそ切らないものの、他人とは一定の距離感があるビジネスライクな関係に留めておきたい…という願望を持っている人だと、他人から優しくされることに対して、上手く言葉にしづらい違和感を抱くことがあるのです。
他人の優しさにどう反応を返したらいいのか分からない苦悩を持っている
他人から優しくされても、その優しさに対してどのような反応や態度を示せばいいのかが分からず、悩んでしまうというケースです。
他人が優しくしてくることに対して、どのような反応を返せば正解なのか…ただお礼をするにしても「ありがとう」という言葉だけでは、相手が見せた優しさと等価ではないように思えるし、かと言って「たいへんありがたく存じ上げます」と言っては、さすがに堅苦しすぎて、相手を変に緊張させてしまうのではないか…という具合に、あれこれ考えて煮詰まった経験などが原因で、他人に優しくされる状況そのものに不安や恐怖を覚えてしまうのです。
なお、他人から優しくされる状況そのものを避ければ、当然ながら他人の優しさのせいで頭を悩まされることはなくなります。
しかし、これは他人の優しさに対して反応を返す技術を身につけているとは言えない。当然ながら、自分が抱えている問題と正面から向き合っているとは言えません。
「自分も何かお返しをしなければ」と重く受け取ってしまう
他人から優しくされると嬉しい半面、その優しさに対して恩を返さないままで居続ければ、どことなく居心地の悪さや決まりの悪さを感じてしまうことがあるでしょう。
これは、心理学では「好意の返報性(あるいは返報性の原理)」と呼ばれ、人間は他人から受け取った好意に対して、それと同等の好意を返したくなる心理が働くとされています。
他人から優しくされることに不安を感じてしまう人は、好意の返報性をもとに考えれば、自分が受けたものと同等の恩を相手に返すことで、お互いの不公平感を解消する事に人一倍敏感であると考えられます。
他人から受けた恩を忘れるだらしない人や、恩を仇で返すような不届き者と違って、恩に対して恩で報いようとする人は実に義理堅い人ではありますが、義理を重んじるあまりに優しさを重く受け止めてしまい、自分で自分を追い込んでしまう性格の持ち主とも言えます。
「優しさは本心なのか」という猜疑心が湧き出てしまう
他人が自分に優しくしてきた時に
- 「その優しさは本心からなのだろうか?」
- 「真心ではなく下心があるから、自分に優しくしているのではないか?」
- 「自分のようなちっぽけな人間に優しく接してくるのは、何かしらの腹黒い思惑があるに違いない」
と、相手が見せる善意・好意を疑いの目で見てしまうために、優しさに不安を抱くのです。
相手の優しさを疑ってしまう理由は、過去に受けたいじめやハラスメントなどの痛ましい経験もありますが、自己肯定感や自己評価が低すぎるために「自分は他人から善意や好意を受けるに値しない程度のどうしようもない人間である」と考えてしまっていることも、大きく影響しています。
自分で自分を低く評価しているからこそ、たとえ適度な優しさであっても「そんな優しい態度を自分みたいな価値のない人間に見せてくる人は不自然だ(=もっと、自分は雑に扱われるのべきである)」と違和感を覚えてしまう。
そして、その違和感を上手く論理で説明するためにも、相手の優しさ下心や腹黒い部分があると思い込み、優しくされている事実を歪んだ物の見方で解釈してしまうのです。
変に特別扱いされているように感じて、決まりの悪さを感じる
これも自己評価、自己肯定感が低すぎる人に見られるもので、至って普通に優しくされているだけで、まるで自分が特別扱いされているように感じて、決まりの悪さを感じてしまうことがあります。
自分で自分を低く見積もっているからこそ、ごく普通な優しさであっても「どうしようもないダメ人間なある自分に対しては、あまりにも勿体ないほどの高待遇である」と感じてしまい、相手が見せる優しさから逃れたいという気持ちになります。
もちろん、優しくする側からすれば、特別扱いやえこ贔屓をしているとは感じてはいませんし、むしろごく普通に優しく接しているだけなので、「相手は特別扱いされていると感じている」とは想像しにくいものです。
なお、ごく普通の平均的な優しさを、まるでVIP待遇のように感じる…と表現すれば、なんだか人生楽しそうに見えるかもしれませんが、このように感じてしまう背景には自己評価・自己肯定感の引くさがあると考えると、人生楽しそうだとは口が裂けても言えません。
自分だけ大事にされているように感じて、罪悪感を抱いてしまう
変に特別扱いされることに関連して、他人から優しくされている状況を見ている人、知っている人の存在まで意識してしまい「なんだか自分ばかり大事にされているように感じて、申し訳のなさ感じてしまう…」と、罪悪感を抱いてしまうこともあります。
自己評価が低いために、普通の優しさですら自分には重く感じるだけでなく、そんな優しさを自分のようなダメな人間に向けるぐらいなら、もっと他の真っ当な人に向けたほうが合理的で価値がある…という考えが、罪悪感を生む要因になっていると考えられます。
なお、罪悪感を抱いてしまう理由・背景に考えが及ばないと「他人から優しくされることに罪悪感を抱くだなんて、なんか自分たちを見下しているように見えて嫌なやつだ」と感じる事も少なくありません。
自虐や謙遜するように見せかけて、自分がどれだけ恵まれている立場にいるのか自慢している、意地の悪い人間に見えてしまうからこそ、優しくされて罪悪感を抱く人には、嫌悪感が募りやすいのです。
ちなみに、嫌悪感を向けられてしまうと「ああ、やっぱり自分は他人の気分を害する罪深い人間だ」と解釈して、自己評価の低さが強化されると同時に、自分は罪深い人間であると感じさせる環境…つまり、自分のことを悪く思う存在を意図せず自分で作り出してしまうのがなんとも皮肉です。