求められていないのに感謝をする人や、自分の境遇や自分と関わりのある人に対してやたら感謝の意を示す人というのは、一見すれば謙虚で人としての器の大きさを感じさせる…まさに、人徳者でありコミュ強者そのものと表現することもできるでしょう。
しかし、ひねくれた見方で見れば、なんだか隙あらば自分語りや自慢をしたがる人のように見えて、およそ人徳者とは呼べないような浅はかさを感じてしまう。
感謝の言葉を多用するあまりに「この人は、本当に感謝の気持ちを持っているのだろうか?」と、言葉の説得力や重みに欠けている人のように見えて首をかしげたくなることが、ひょっとしたらあるやもしれません。
今回は、そんなやたら感謝したがる人の心理について、お話します。
やたら感謝アピールしたがる人の心理
感謝ができる人として承認されたい、受け入れられたい
やたら感謝したがる人には、自分は人に感謝ができるだけの徳がある人間として、他者から承認されたい欲求が強いために、やたら感謝の言葉を口にして周囲からの注目を集めていると考えられます。
「他人から認められたい」という願望(=承認欲求)は誰でもありますが、その願望を満たすにしても、何で満たすかは重要な問題です。
人から認められたい、注目されたいために行う行動として
- コンビニの冷凍庫にふざけて入った写真をSNSでアップして注目を浴びる。
- 他人に対して感謝する行動で注目を浴びる。
の二つの行動を例にすると、前者は自分の社会的な立場を失う事態になる恐れがありますが、後者の場合は社会的地位を向上させることが期待できるのは容易に想像できることでしょう。
どちらも同じ承認欲求を満たすための行動ではありますが、そのために行った行動が自分の評判や印象を著しく悪化させるようなものになるのは避けたいものでしょう。
バカをやらかして顰蹙を買うこともなく、そして社会と折り合いを付けつつ自分の承認欲求を満たす身の振り方として「感謝の言葉を口にする」ことは非常に無難且つ合理的であるからこそ、多くの人が気軽に行うのです。
しかし、冒頭でも述べているように、求められてもいないのに感謝の言葉を口にしたり、自慢ぽく感謝の言葉を口にしてしまうと、いくら無難とは言えボロが出てしまう。
つまり、自分の個人的な欲求を満たしたいがために、いい人ぶっていることがバレてしまい、なんとなく煙たがられてしまうのです。
感謝する対象に好意を抱かせるために感謝する
いきなり身に覚えのないことに対して、感謝の言葉を述べてくる人が現れると、私たち人間は矛盾する2つの認知(事実)が生まれてしまい、よくわからないけどモヤモヤと困惑する状況に襲われることがあります。
そして、その矛盾する認知を解消させるべく、どちらか一方の認知そのもの歪めることで、モヤモヤとした状態を晴らそうとする心の動きがあります。
これについては「認知的不協和」と呼ばれる心理学の概念で説明できます。
まず、矛盾する2つの認知(事実)を説明すると…
- 事実1:相手から感謝の言葉を述べられている。
- 事実2:自分は相手から感謝されるようなことはしていないと自覚している。
となります。この場合は、事実1≠事実2であり矛盾しているので、すんなり受け入れられずにモヤモヤしてしまいます。
そして、このモヤモヤを解消するためにも、矛盾を解消するように事実2の方を歪めて解釈する…つまり、「実は自分は感謝されるだけのことをしていたのだ」と、事実に対する見方や解釈を都合よく変えてしまう。
その結果、自分は相手に好意があるだとか、気に入っているのだと自分で自分を騙してしまうのです。(もちろん、事実1を歪める。つまり、「感謝は嘘である」「感謝は本意ではない」と捉えることでも、矛盾の解消は可能だが、この場合は本筋ではないので説明は省略。)
つまり、意味もなく感謝してきた人に対して、その人のことを好意的な人だと感じてしまう。まさに、人たらしな人の話術に、まんまとはまったと言えるのです。
やたら感謝の言葉を口にしてくる人に感じる妙な違和感は、矛盾した認知を抱せてくる人だと感じてしまうこと。そして、話術によって人を操作し、手玉に取る…といった、他人を尊重する姿勢に欠けている一面を、ぼんやりとでも感じてしまうからだと言えるでしょう。
(…もちろん、感謝したがる人が皆、この理屈を知っているとは限りませんが、体感として感謝しとけば自然と人間関係がうまくいくということを知識として身につけていて実践しているとも考えられます。)
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感謝の言葉を口にすることで仲間意識を確認し合っている
感謝の言葉を口にする相手は誰でもいいというものではありません。
「親や友達、関わってきた全ての人に感謝」と、感謝したがる人がよく使うフレーズを見てもわかるように、少なくとも一度は面識がある人や、それなりに親しい間柄の相手であることが前提です。
これは言い換えれば、感謝の言葉を口にできる人とは仲が良いことを示している。つまり、仲良しアピールをしたり、仲間意識を確認するための目的として、感謝の言葉を口にされているとも言えます。
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自分が恵まれていることをさりげなく自慢したい
承認欲求にも関連することですが、いかに自分が人・物・境遇・内面などに恵まれているかを、間接的に自慢したいときにおいて、感謝の言葉を口にするのは非常に有効です。
一般的な自慢話のような押し付けがましさや、傲慢っぷりな態度で顰蹙を買うこともなく、表面的には他人に対して感謝の言葉を述べられる、謙虚な人間として周囲から好評価を得やすい。
個人的な自慢をしたいという、周囲から煙たがられそうな願望を感謝の言葉で隠して、自分の個人的な欲求を満たしていると言えます。
また、仮に「ひょっとして、感謝できる自分を自慢しているだけでは?」という、ツッコミが入ったとして、表面的には周囲に感謝をしている行動しか他人に見せていないので、本心を隠しつつ「自慢なんて全然していない」と言い張ることも可能。
加えて、「こんなに感謝している人を疑うなんてひどい人だ!」と振る舞い方を変えて、自分は良い人であると強く示すことも可能です。
自己陶酔として感謝の気持ちを口にしている
自分は感謝の言葉が口にできるぐらいに、ポジティブで、感情豊かで、暖かさと優しさに満ち溢れている人間であるという実感に浸りたいからこそ、感謝の言葉を口にする。
つまり、自己陶酔のために、感謝の言葉を口にしていることも考えられます。
一昔前に、ブランド物の衣服や高級車など、ぱっと見でわかるステータスを手にして富裕層の仲間入りになったと酔いしれていた人と同様に、感謝できることや謙虚さなど内面のステータスを手にして酔いしれることで、自己愛を満たしたいのだと考えられます。
現代はブランド物や高級車など、購入した人が持っている物の価値よりも、その人の考えや主義・主張など内面の価値が尊ばれる時代。
そんな時代だからこそ、目に見えない内面の価値を持っている人間として、感謝の言葉を口にすることで、自己陶酔に浸りたい人が増えているのかもしれません。
好意の返報性から見る「感謝したがる」行動
さて、冒頭でも触れているように、やたら感謝したがる人というのは、鬱陶しくなって自然と距離を置きたくなる相手と感じてしまうこともあるでしょう。
なぜ、このように感じてしまうのかについては、心理学の「好意の返報性(あるいは返報性の原理)」で説明できます。
好意の返報性とは、人間は他人から好意を受けると、受けた好意の分だけ相手にお返しをしたくなる心理のことです。なお、ここでいう好意とは、感謝のような形や実体のないものから、お祝いの品、金品など、物理的な経済的な物の両方を含みます。
要するに、他人から施しを受けてばかりいると「なんだか自分ばかり良くしてもらって、申し訳ない」と感じて、こちらから自然と恩返しをしたくなるのが、好意の返報性なのです。
こうして見ると、好意の返報性とは実に素晴らしく、人間関係のお手本のように見えるかもしれません。しかし、勝手に感謝の気持ちを頻繁に口にする場合だと、「もっとお返しをしなければ…」と相手にプレッシャーを与えてしまう原因になります。
感謝の気持ちを伝えることは大切なことではありますが、感謝の言葉を多用しすぎて、相手に余計な負担や気苦労を与えないようにすることが大事というわけです。
感謝できるぐらい優しい人を目指すのであれば「自分の善意や優しさが相手の負担になっていないか」という視点を持って置くことが望ましいでしょう。
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