一般論として「褒められれば誰でも喜ぶ」とはよく言いますが、必ずしも「褒められる=快」ではありません。
(あまり周囲から理解され難い悩みではありますが)正直言って褒められるのが苦手、褒めてくる相手や状況から強いプレッシャーを感じるために、褒められることを避けようとする人も少なからずいるものです。
では、一体どういうことをプレッシャーと感じているのか、褒められることの何が不快な感情と結びついているのか…今回は、このテーマについてお話いたします。
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目次
過度に期待を押し付けられているように感じて辛く感じる
褒めてくる人が純粋に賞賛、応援、励ましなどの好意的な意味合いで褒めていたとしても、受け取る方がその褒め言葉を、過度な期待を押し付けられているように感じてしまう。
常に自分の実力以上の結果や成績を出すように期待されていると感じてしまうために、辛さを抱いてしまうのです。
もちろん、ポジティブな期待を受けて自分がいい意味で注目が浴びること自体には、そこまで気にならないこともあります。
しかし、過度な期待をかけられる裏では、その期待に少しでも届かなかった時に相手を失望させてしまう不安がある。過度な期待を感じれば感じるほど、その期待を自分が裏切ってしまったことで相手が強く失望させてしまう状況…つまり、自分が他人を悲しませてしまう状況が想像できてしまうからこそ、褒められることに過度な負担を感じてしまうのです。
一度期待に応えても「もっと」と大きな期待をかけられて負担を感じてしまう
褒めて純粋な期待をかけてくれることはありがたいものの、だんだんかけられる期待が大きくなってしまう。
「もっと、もっと」と、どこまで頑張ってもそれ以上の成果や結果を出すように応援の意味合いなのに、なんだか急かされて「更なる成果を出さなければダメだ!」と、ノルマを課されているように感じるからこそ、褒められることがプレッシャーに感じるのです。
もちろん「あなたならもっといい結果が出せるから、応援しています!」というニュアンスで褒めていることはわかるけど、一方でそうした褒め言葉を「まだこんなところで満足してはいけませんよ」と、一息つく間すらも与えてくれない言葉のように感じてしまう。
頑張っても頑張っても「まだまだ満足しないで頑張ってください」と、自分頑張りをいつまでたっても認めてもらえず、次第に「頑張り続けても自分は認められない」と無力感じて、ポッキリ折れてしまいそうになる不安を感じる。(なお、この無力感は学習性無力感に通ずるものがある。)
そんな不安に悩まされないためにも、適度に今の現状に満足したり、頑張った後に多少は気持ちを休めるだけのゆとりある頑張り方をしたいからこそ、褒められて自分の心を乱されるのを避けようとするのです。
過去に期待に応えられなかったことで辛い目にあった経験がある
過去に褒めてくれ人の期待を無下にするわけにはいかず、必死に期待に応えるべく努力したものの、残念ながら期待に応えられず不甲斐ない結果になってしまった。
その時に「せっかく応援していたのに、裏切られた」という類の失望の言葉・態度を返されたことが原因となり、褒められる事と強いプレッシャー・不快感が結びついてしまったのです。
上でも触れているように、かけられる期待というのは次第に大きくなる。まるで、風船が膨らむかのように、かけられる期待が大きくなればなるほど、少しの衝撃で期待という名の風船が弾けて、応援する方もされる方も大きな衝撃を受けることになります。
期待はコツコツと積み上げられていくものの、それが崩れる時は一瞬でドカンと崩れる。期待が込められて着々と値上がりした株価が、ちょっとした不安材料でドカンと大幅値下げするように、膨らみ続けた期待が崩れる時の激しさを味わったことがあるからこそ、その恐怖を未然に防ぐべく、褒められることを避けようとするのです。
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どこまで相手の期待に応えていいのかわからない不安がある
相手から期待をかけられるといっても、実際にどれだけの成果を出せば相手が喜ぶのかは不明瞭であることが多いものです。
期待をかけられる方からすれば、自分はどのラインまで頑張ればいいのかがわからないし、どこまで頑張っても相手が喜ぶかどうかがわからず、漠然とした不安が付きまとう状況に追い込まれて精神的に疲れてしまうのです。
「あなたには期待しているよ」と簡単にいうものの、その「期待」とは具体的に何なのかが提示されていないので、頑張るにしても目標、計画、目処を立てることすら難しい。
ただし、その期待を無下にするわけにもいかないので、とにかく相手を失望させないためにも、とにかく努力するしかない、一つもミスがあってはいけない…と、自分で自分を追い込む事でしか、相手の期待に添えない自分の不器用さが原因となって、褒められることが苦手になるのです。
もちろん、褒め言葉をサラッと受け流せれば、こうした悩みを持つことなく気楽に過ごせるのかもしれません。
しかし、真面目な性分で褒めて頂いた人に対して恩返しをしなければいけないという、ギブ&テイクの精神を大事にしている人からすれば、褒め言葉はありがたいけど辛い…という、相反する感情が混ざった複雑な気持ちにさせられる言葉に感じるのです。
褒められるほどに「完璧であらねばならない」という強迫観念に駆られてしんどくなる
周囲から褒められて自分への評価や期待が高まるにつれて「自分は周囲から見て褒められるに値するだけの、完璧な人間でなければいけない」という、強迫観念で苦しい思いをするからこそ、褒められることに辛さを感じてしまうこともあります。
褒められたことで、自分に対するいいイメージを維持したい。しかし、自分の評価を維持するためには…
- 自分の欠点を正さなければいけない。
- 弱音・泣き言・愚痴・文句などを口にしてはいけない。
- 褒められている点はもっと伸ばして現状にあぐらをかいてはいけない。
など、短所を改善しつつ、長所も伸ばしつつ、非の打ち所のないパーフェクトな存在にならなければいけない…という、強迫観念により自分で自分を苦しめることになるからこそ、褒め言葉に対して強いプレッシャーを感じるのです。
なお、完璧主義の人からすれば「褒め言葉は正直嫌だ」といえば、自分で完璧な自分を手放す苦悩があるので、表面的には褒め言葉を好意的に受け入れつつも、内心は「褒め言葉が重い…」という人には言えない悩みを持ち、一人葛藤を抱えることもあります。
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