人の不幸を喜ぶ人は他者への共感も強いという理論

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人の不幸を喜ぶ人と言えば、お世辞にも他人に共感できるような優しさ、寄り添う気持ちがあるようには思えない。

むしろ、自己中心的・天邪鬼な性格で、およそ褒めるべきところが一つもなく、ひねくれた人間であるかのように考えるほうが自然でしょう。

仮に共感する心をもっているとすれば、他人の不幸な姿を見て喜ぶよりも前に、その不幸に心を打たれ自分も悲しみの気持ちを抱き、相手に寄り添うようになる。

そう考えれば、「人の不幸を喜ぶ人≠他人への共感ができる人」の図式が、自ずと導き出されるものでしょう。

しかし、心理学の実験・研究によれば、人の不幸を喜ぶのは他者や集団に対して強く共感する人である…という、結果が出ています。

つまり、他人に自然と共感を寄せる人間でも、人の不幸を喜ぶというおよそ褒めるべきものではない醜い部分を持つ人間になってしまう。そんな、考えるだけでもゾッとする(かもしれない)ことがあるわけです。

今回は、共感の強さと人の不幸を喜ぶ心理の関連性やメカニズムについて、お話しいたします。

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人の不幸を喜ぶ人は共感する能力はちゃんと持っている

ハーバード大学の集団間神経科学研究室の室長チカラ(Mina Chikara)氏は、メジャーリーグのボストン・レッドソックスとニューヨーク・ヤンキースのファンの心理を一連の研究の中で追跡。

チカラ氏の夫は、大のレッドソックスファン。夫が贔屓球団であるレッドソックスが好プレーをしたときに喜ぶだけでなく、宿敵ヤンキースがミスをした時にも喜ぶ傾向があることを発見。

また、ヤンキースの不幸を喜ぶレッドソックスファンは、ヤンキースファンと喧嘩する可能性が高いことも見つけたとのこと。(まぁ、そうなるわなとしか…)

これを見てもわかるように、他人の不幸を喜ぶ人は他人に対して共感する心を持っているわけではなく、強く共感できる対象に対しては強い共感を示す。つまり、共感そのものは問題なくできる人間であることは明白です。

日本で言うなら阪神と巨人、早稲田と慶応大のように、ライバル関係にある各ファンが敵対チームのミスを(内心)喜んだり、敵の敗北で(こっそり)歓喜するなど、他人の不幸を喜ぶ心理そのものは、そこまで珍しいものではないはず。

こうして見ると「人の不幸を喜ぶ人≠他人への共感ができる人」という、しっくりくる図式が、間違いである。

むしろ、ごく自然に他人に共感する普通の人でも、共感が強くなると他人の不幸を喜ぶようになってしまうことが、お分かりになるかと思います。

共感できるorできないの二元論ではなく、共感できることの延長線上に、他人の不幸を喜ぶことが待ち受けているのです。

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ごく狭い人・集団への強い共感が人の不幸を喜ぶような心理を招く

また、チカラ氏は「ラトラーズチーム」と「イーグルスーチーム」という、ライバル視し合う実験用のチームを制作。その後、実験参加者を各チームに配置し、それぞれのメンバーに起きた良い出来事と悪い出来事を述べさせた後の反応を調査しました。

その結果、ラトラーズチームに所属するメンバーは、敵対するイーグルスーチームへの共感が弱まるだけでなく、反共感的な気持ちが強まることが明らかに。つまり、敵対するチームの不幸や不運を喜ぶという意地悪な反応を示すことが、明らかになりました。

また、他の実験では、自分の所属するごく狭く限られた集団に対して強い共感を示すほど、その集団以外に対して貢献したり、助け合うといった利他的な行動や主義を示すことが少なくなることも明らかに。

他人の不幸を喜ぶ人が持つ共感は、ただ強い共感だけでなく、ごく狭く限られた人や集団に対して働く狭い共感である。

自分が所属している集団のメンバーであれば、好意的な反応を見せることはあるものの、余所者に対して排他的な態度を取るようになるのです。

このように人間関係をウチとソトに分け、ウチにいる人にはフレンドリーに、ソトにいる人に冷たく当たる光景は、おそらく日本でも馴染みのある光景でしょう。

たとえば

  • 閉鎖的な人間関係にて起きるムラ社会的な人間関係。
  • 熱狂的なファンの集団が、そうでないファンに対して排他的になる。
  • 友達の和に入ってる間は優しいけど、仲間はずれになると急に冷たくなる。

など、集団の絆は強いものの、絆とは無縁の者、絆に反する者、絆を揺るがす者など余所者に対して、攻撃的な行動を取ってしまうことは、珍しいものではないでしょう。

やや大げさな言い方になりますが、絆や集団の和を大切にすることが道徳や倫理として身についている人ほど、他人の不幸を喜ぶ心理を理解できる素養を持っているとも言えます。

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内集団・外集団から見る人の不幸を喜ぶ心理

他人の不幸を喜ぶ心理と関連がある心理学用語として、内集団と外集団があります。

  • 内集団:自分が所属している集団。
  • 外集団:自分が所属していない集団

であり、人間は内集団を自然と高く評価する一方で、外集団を低く評価する傾向があるとされてます。

こうなる理由として考えられるのが、自分が所属する集団に対して居心地の良さを覚えるだけでなく、集団そのものや集団に属することが自分らしさ(アイデンティティ)の一種になってしまうことです。(=集団同一視)

当然ながら、自分で自分の所属する集団を否定すれば、自分のアイデンティティを揺るがし恐怖を味わう羽目になる。なので、むしろ所属している集団を持ち上げて居心地の良さを確固たるものにしようとします。

一方で、外集団の方が自分の所属している集団よりも魅力があるとなれば、間接的に自分の所属している集団が劣っていることを自覚し、アイデンティティが傷つく不安に襲われる。そうならないためにも、とにかく外集団を下に見ることで、自分のアイデンティティを守ろうとしているのです。

加えて、外集団が何か評価を下げる失態でも起こそうものなら、相対的に自分の所属する集団の方が優れていることが実感できるだけでなく、自分のアイデンティティも優れているものだと実感できて満足感を味わえる。

その結果として「他人の不幸を喜ぶ」という、意地悪だけど実に人間らしい心理が芽生えているのだと考えられます。

最後になりますが、チカラ氏は

「人間は本質的に我らと彼らの間に境界線を引く傾向がある」

と述べています。

ここでいう「我れら」を「自分が所属している集団(内集団)」、「彼ら」を「自分が所属していない集団(外集団)」として上の言葉を読めば、自分の所属する集団とそうでない集団に対して、心理的・物理的な距離感を置くという、ごくごく私たち人間がやっている行動そのものを述べていることが理解できるはずでしょう。

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参考書籍