「認知的不協和」とは、矛盾する二つの認知を抱えることで抱く違和感やストレスのこと。そして、その違和感を解消するために取る行動のことをさします。
なお、違和感を解消する行動は、そのまま「認知的不協和の解消」と表現されることもあります。
たとえば、
- 「お酒は百薬の長と言われており健康にいい」という情報
- 「お酒はガンや肥満、依存症などを引き起こすので健康に悪い」という情報
という矛盾する二つのものの見方や解釈に触れた時に、なんとなくモヤモヤすることが認知的不協和。
そして、モヤモヤを解消するために、自分にとって都合がいい情報だけ見ようとしたり、「お酒は人付き合いにも役立つ」と健康以外の価値を見出したり、「お酒と健康問題は因果関係がない」と認知そのものを変えてしまう…などの行動が「認知的不協和の解消」となります。
今回は、仕事において認知的不協和が起きる場面や状況についてお話いたします。
仕事における認知的不協和の例
「好きで得意な仕事をはじめた」と「好きでも得意でもない仕事をしなければいけない」という矛盾を抱える場面
たとえば、自分にとって好きなことor得意なことで働けることが決まったのに、いざ働き出すと好きでも得意でもない面倒な仕事、単純で面白味に欠ける仕事をする羽目になってしまった。
この場面にて、おそらく大抵の人は「こんなはずではなかった」とか「自分はこんなつまらないことをするために、今の仕事に就いたのではない!」という具合に、失望や不満といった不快感情を抱く…つまり、認知的不協和によってモヤモヤとした感情に悩まされることでしょう。
しかし、このままモヤモヤを抱いたまま仕事を続けていては、精神的な苦痛で身が持たなくリスクがあります。そうならないためにも、たとえば社会貢献や地域貢献の側面もあるとか、自然環境や雇用の創出など社会・道徳における価値があるとして納得しようとする。
あるいは、「好きで得意なことでやっていけるほど仕事は甘くない」と、認知そのものを変化させて、認知的不協和が起こりにくい考え方を身に付けるなどして、私たちは認知的不協和の解消を図ろうとするのです。
「割の良い仕事がしたい」と「割の悪い仕事をしている」という矛盾した認知を抱える場面
仕事をお金のためと割り切り、効率よく稼げる仕事に就いたのはいいものの、実際に働き始めるとサービス残業があったりとか、通勤にかける時間が思ったより長かったとか、業務で必要な資格取得のために自費で勉強する場面が出てきたとか、労働量が多すぎて働きっぷりに見合わない給料であることに気がつかされた…など、よくよく考えればそれほど割が良くない状況だと気づいた場面を想定してみましょう。
この場面にて「割の良い仕事をはじめた」と「実は割が悪い仕事をしていた」という二つの認知が矛盾しているのは明白でしょう。また、矛盾があるため、強い認知的不協和を感じるであろうことも容易に推測できるでしょう。
この認知的不協和を解消するためにも、「将来の金に繋がるもの(スキル、人脈、経歴など)を身につけている途中である」という具合に新たな付加価値を見出したり、「今ここで頑張っておけば、将来出世して楽が出来る」と認知を都合よく変えることでモヤモヤの解消を試みる。
また、適宜仕事をサボって給料に見合う労働量になるよう調節したり、いっそのこと転職や副業により、より効率的にお金を稼ごうとするなど、認知だけでなく行動そのものを変化させることもまた、認知的不協和の解消の一種です。
自分よりも年下なのに、自分よりも肩書き・経歴が格上の人と関わる場面
自分の方が年上or職歴が長いのに、自分よりも年下且つ自分より実力も経歴もあり、格上の立場や肩書きを手にしている相手を前にして、なんとなく気まずさや居心地の悪さを感じる場面もいい例です。
「年長者>若者」という社会的評価や立場に関するよくある認知とは矛盾する「年長者<若者」の状況が、目の前で起きていることに対して、モヤモヤとした気持ち…つまり、認知的不協和に悩まされていると言えます。
この状況にて「今は年功序列は時代じゃないからね‥」「自分とは違う頭脳や才能を持っているに違いない」など、認知そのものを変えるという比較的ポジティブな方法で認知的不協和の解消を試みることはよくあることでしょう。
しかし、その一方で「同僚の手柄を横取りしているのでは?」「上司をおだてて気に入られようとする小賢しい一面があるのでは?」「何か不当な方法でのし上がったに違いない」と、マイナスの付加価値を付与することで解消を試みようとすることもまた、よくあることでしょう。
とくに、タレント業やスポーツ、芸術など実力主義の世界で且つ、評価基準が曖昧としているものの場合、自分よりも各下のはずの人が頭角をあらわしてきた時に、邪推や下衆の勘ぐりで頭角を表してきた新人をなんとか下に見ようとする。
こうして自分が抱いている「年長者>若者」という認知に都合がいいように物事を偏って見てしまうことは、無意識のうちにしている人は少なくないでしょう。
やりがい搾取と認知的不協和
仕事における認知的不協和を見ていくと、近年話題になっている「やりがい搾取」という現象と関わりが深いと感じます。
給料や待遇が悪い、3Kでストレスが溜まる仕事に対して「やりがい」という、新たな価値観を見出す。そして「やりがい」を給料・待遇や同列のものとしてみなしたり、場合によっては給料や待遇以上に価値あるものとしてみなしてしまうことは、認知的不協和の解消そのものであると言えます。
また、やりがいの他にも、人脈、スキル、職歴など、新たな付加価値を見出すことで、ただ割が悪い仕事やブラックな仕事をしているなど、直視するのが厳し過ぎる現実(=認知的不協和)を都合よくねじ曲げて解釈してしまう(=認知的不協和の解消)。こうした光景は、皮肉にも昨今ではよく見かけるものだと感じます。(もちろん、今に始まったことではないような気もするけど…)
やりがい「搾取」と表現されていることからもわかるように、この状態はお世辞にも褒められたものではありません。
仕事で感じる精神的な苦痛は「やりがい」という新たな付加価値を見出す方法によって、取り除くことは可能でしょう。(もちろん、一時的に苦痛は取れても、無理して過労で倒れるという可能性もあるが…)
しかし、できることなら認知的不協和がなるべく起きないような職場環境を作っていくことの方が大事であるように感じます。
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