病気としてみる「褒められたい気持ちの強さ」について

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褒められたい気持ちの強さのせいで人間関係が上手くいかない。いつも「褒められたい」という気持ちで頭がいっぱいになっていて苦しい。

油断をすれば、とにかくなんでもいいから他人から褒められたいあまりに法律や道徳に背くような行動(例:詐欺などの犯罪行為への加担、刹那的な恋愛関係に走る、SNS上に炎上必至な投稿をして「いいね」を集めようとする…など)に出でしまいかねないなど、自分で自分をコントロールできなくなりそうな予感がしてしまう。

今回はそんな褒められたい気持ちの強さを、病気の観点から捉えて考えたことについて、お話しいたします。

自己愛性パーソナリティ障害から見る「褒められたい」気持ちの強さ

自己愛性パーソナリティ障害(自己愛性人格障害)は、プライド、自尊心、自己愛の強さゆえに、社会生活(主に対人関係)に上手く適応できずにいて生きづらさを抱える、心の病気の一種です。

自己愛性パーソナリティ障害の診断基準は

・自己の重要性に関する誇大な感覚がある。(例:十分な成果や結果を出してないのにもかかわらず、優れているとして認められることを期待する。)

・限りない成功、権力、再起、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

・自分が”特別”であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだと、信じている。

・過剰な賞賛を求める

・特別意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

・尊大で傲慢な態度。

(DSM-Ⅳより。なお、診断基準は全て9つあり、5つ以上当てはまることが前提。この引用では、診断基準の中でとくに「褒められたい」に深く関するものを抜粋)

と言った、褒められたい心理に深く関連するものが見つかります。

自己愛性パーソナリティ障害の診断基準をもとに「褒められたい」と願う裏にあるものを見ていくと、

  • 自分は褒められるに値するほどの才能、地位、美貌などあり「自分は特別な存在である」という思い込みの強さの激しさ。
  • 褒められ認められることで、自分が理想視している人達に近づけると感じて、満足感を得たい。(例:「学歴はないけど、高学歴人並の頭脳を持っていると周囲に認められることで、自分は特別という実感を手に入れたい人」など)
  • 他人は自分の期待通りに自然と「褒める」という行動をしてくれるに違いない。むしろ自分は特別だからこそ、自ずと周囲の特別な自分に対して「褒める」という取り計らいを求てしまう。

などの、心理が隠れていると考えられます。

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診断基準にある「過度な賞賛を求める」こと

診断基準の中でも「過剰な賞賛を求める」という項目は、褒められたい気持ちの強さをよく表しているものだと感じます。

褒められたいあまりに、過度に自分のプロフィールや功績を盛る。やたら自己アピールをしたり、他人の話を遮ってまで話したがる。口を開けば自慢話や自分語りをしたがる。SNSで「いいね」や好意的なコメントがほしいあまりに、頻繁に投稿し続ける。

こうした行動は、褒められたい欲求(=承認欲求と言ってもいい)が強い人によく見られる行動であると同時に、あまりにしつこいために煙たがられたり、まともに付き合うの面倒だと思われてしまう行動でもあります。

また、自然に「褒めよう」という気持ちになる成果ならまだしも、お世辞にも褒めるほどの成果が出ていない。ましてや、ベタ褒めしようものなら相手を小馬鹿にしているように見えてしまうほど、中途半端でなんとも言いにくい成果なので、当たり障りのないほめ方になってしまうものです。

褒められたいと強く願う人からすれば、「確かに褒められたけど、これでは満足できない!」と余計に辛くなってしまう。しかし、褒める側からすれば、「これ以上褒めるのは、さすがに露骨すぎて相手に恥をかかせているように感じるし、ベタ褒めするような自分を他人に見せるのは恥ずかしい」という辛さがある。

このように、過剰な賞賛を求めることは、お互いに辛さを感じるところがあるために、めんどくささがつきまとう人間関係になります。

そのため、褒められたいと強く願う人は自然と関係が途切れて孤立し、褒められない状況へと追い込まれると同時に、より自分の中で過剰な賞賛を求める人を求めてしまうのではないかと考えられます。

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褒められたい気持ちの強さが抱える問題

肥大化した自己イメージを自覚できず、褒めてくれない人に当り散らす

過剰な賞賛を求める人は、自分の中で過度に理想化・美化された自己イメージを褒めてもらうことに躍起になるものの、あくまでもそのイメージは自分の願望が投影された思い込みでしかない。他人の視点から見れば「そんなに褒められるほど立派ではないと思うけど…」という、認識の食い違いが起きます。

その場面で、他人の意見を取り入れて自分の肥大化した自己イメージを妥当なものに修正したり、自己イメージに少しでも近づくために努力できればいいのですが、褒めてくれない他人、環境、社会などを徹底的に否定して、現実と折り合えず、余計に生きづらさを増してしまうことがあります。

また、肥大化した自己イメージを認めてくれる居場所を求めて、なかば逃げ込むようにネット上に活動拠点を移して過度なアピールを始める。ほかにも、現実と折り合えなかった結果ひきこもることで、自己イメージが傷つかないような生活を送ることもあります。

自信のなさが災いして褒めてくれる人に過度に依存してしまう

過剰な賞賛を求める裏では、自分で自分を認められない。仮に認めようものなら肥大化した自己イメージを自分で壊すことになる不安があるからこそ、そうならないためにも、他人から褒められることを自信の拠り所とするために、過剰な賞賛を求めていると考えられます。

しかし、ただでさえ客観的な視点から見た自己イメージとの間に大きなギャップがあるため、褒めてくれる人はなかなか現れにくいことでストレスを抱えてしまいがちです。

そして、運良く現れた場合に、いままで満たされなかった褒められたい気持ちを全てその一人に求めてしまう。なかば精神的に依存するかのように褒めてくれる人に依存することで、別の生きづらさを抱えてしまう問題が生じることがあります。

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褒められるためなら手段を選ばなくなるリスクがある

一昔前に多発した「バイトテロ」や、威力業務妨害で家裁に送致された「ドローン少年事件」のように、法律や道徳の観点で見たらお世辞にも褒められるものではない行動ですらも、「褒められたい」という気持ちの強さゆえにやりかねない恐ろしさがあります。

他人からの「いいね」や高評価を得たいために、あえて炎上をするような行動に出てしまう。そして、その勇気(と言うよりは「蛮勇」と言ったほうがいい)を認めてもらうことを期待する。

しかし、あくまでもやってることは炎上のために法律や道徳を脅かす行動であり、結果として他人に損害を与えたり、自分の人生を余計に生きづらくして破滅を招くリスクがあります。

褒めてくれる人を人扱いしなくなってしまう

褒めてくれる人に対して「この人は自分の欲望を満たすために存在している、都合のいい他人」とみなす。

つまり、他人を一人の人間として尊重することを放棄し、自分が自由に使える道具のようにみなしてしまうことで、相手にストレスを与える人間関係を自ら生み出してしまう懸念があります。

自己愛性パーソナリティ障害の診断基準には

共感の欠如:他人の気持ち及び欲求を認識しようとしない。またはそれに気づこうとしない。

という項目もあります。

褒められたいという願望を満たすためなら、他人を人扱いしない。褒めてくれる人も自分と同じ感情や主張を持っている人間であるはずなのに、それを自覚せず無意識のうちに他人を物のように扱ってしまった結果、衝突を起こしてしまう懸念があります。

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参考書籍