ボランティアアピールをする人がうざいと感じる理由

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ボランティア活動に励んでいる人を悪く言うつもりはありませんが、やたらとボランティアや募金をした事をアピールしてくる人を見かけると「めんどくさそう人だな…」と感じた経験がよくもあるものです。

ボランティアにより自分がどれだけ社会に貢献しているかを自慢したり、海外に行って価値観が変わった人のようにボランティアをするように積極的に進めてくる人の図太さは、見習うべき点もあれば反面教師にする点もあるものです。

今回は、そんなボランティアアピールをする人に感じる嫌悪感や違和感について紐解いて行きましょう。

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ボランティアアピールに感じる苦手意識

「君もボランティアすべきだよ」と押し付けがましさが目立つ

ボランティア活動で感化された人に多いのが「いい経験になるから君もボランティア活動をするべきだ」と頻繁に主張してくることです。

もちろん、災害のボランティア活動をして自然災害の怖さを見を持て肌で感じたり、スポーツイベントのボランティアをしてイベントを盛り上げる経験自体は否定しませんが、かと言って頻繁に押し付けて来られると面倒くさいという気持ちが生まれます。

また、押し付けに対してやんわりと断った場合に「ボランテイアに行かないなんて勿体無いなぁ」「せっかくいい経験ができるのに…」と、あくまでも自分のボランテイア経験がどんな人でも価値があるものだという考えを崩そうとしないのも特徴的です。

よく言えば純粋で素直。悪く言えば自分以外の他人の価値観や境遇に対する思慮が浅く、自分の考えがどんな場面でも通用するという思い込みが強い人と言えるでしょう。

そのため、「ボランティア活動をしていてたしかに評判はいい人だけど、近寄ると面倒ごとに巻き込まれやすい」と感じて自然と距離を置かれる人とも言えます。

また、純粋さが暴走してボランティア活動をしない人に対してやたらと排他的な行動をとったり、同じような意見を持つ人ばかりとのみ繋がりを持つことで思想を先鋭化させてしまうこともあります。

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ボランティアしない人に対する上から目線な態度

ボランティア活動に誇りを持つことは素晴らしいのですが、その誇りが驕りとなってボランティア活動に参加しない人への見下しや侮蔑に繋がる事があります。

「ボランティア活動に打ち込める自分は人間として素晴らしく尊敬されるべき」と考える一方で、「ボランティア活動すらしない人は目先のお金に囚われている卑しい人間」という極端な考え方を匂わせるような行動を感じることがあります。

もちろん、「ボランティアをしない人は卑しい」と思っていても、それを直接口にしたり言葉にすることはまずありませんが、言葉や態度の節々にボランティアをしない人に対する見下す態度が見え隠れするものです。

例えば

  • 「ボランティアをしない人は人生損している」と煽る
  • ボランティアを「してやってる」「してあげている」という上から目線で語る
  • 理想のボランティア論を語り、自分の考えこそ正しいと主張しだす。

などの行為です。

また、見下しの対象がボランティアをしない人にとどまらず、ボランティアを必要としている人や別のボランティア団体にまで波及することもあります。

話は戻りますが、ボランティアをしない人が全て卑しく自分のことしか考えない人ばかりではないことは冷静に考えればわかるはずです。

また

  • ボランティアをしない人=悪、正すべき存在
  • ボランティアをする人=善、正義

とわかりやすい仮想敵を作り、二者択一の対立構造を用意し、ボランティアへの参加を促す行為自体がボランティアに対する不要な偏見を生む原因になります。

なにより自分たちを善や正義と決めつけている行為事態が、自分の行動が本当に間違っていないのかを冷静に調べる機会を放棄しているように思えて、独善に陥るのではないかという懸念を他人事ながら感じます。

「やらない善よりやる偽善」と言って頑固になる姿が苦手

ボランティアや募金活動でよく聞くのが「やらない善よりやる偽善」というフレーズ。

もちろん、口だけでなんの協力もしない善人よりも、偽善でもいいから労力やお金を提供する人のほうが、ボランティアにとっては有益であることは理解できます。

しかし、一方で偽善でもいいからやるべきだという考えゆえに「偽善でもボランティアになるのならどんな行動でも正当化してしまう」事へのは不安を感じずにはいられません。

偽善でもOKということを拡大解釈して自分の行動の未熟さや思慮の浅さを棚に上げたり、ボランティアをしない人に高圧的になることすらも正当化してしまうのは、果たして本当に問題ないと言えることでしょうか。

また、正当化しているがゆえに反省や内省をすることもなく、次第に独りよがりなボランティア活動に陥り、ボランティアを必要としている人や同業者から顰蹙を買う結末になるのではないかと思います。

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承認欲求、自己顕示欲の強さが苦手

「ボランティアで頑張っている自分を認めて欲しい、褒めて欲しい、尊敬して欲しい…」と承認欲求や自己顕示欲が強くてやたらとアピールしてくる人はどうも苦手です。(もちろん、これはボランティアアピール限ったことではないですが…)

この手の人に多いのが、ボランティア活動をしている自分への賞賛を求める一方で、他の人を認めることは頑なにしないという点。

また、同じボランティアをしている人に対しては、批評家のように辛辣に言葉を投げかけ、どことなく喧嘩腰で突っかかりマウントを取るという行動です。

ボランティアとは関係のない人からは一方的に賞賛の声のみを集め、同業者に対しては「自分のほうが優秀なボランティアをしている」とアピールして、自分のほうが上だと認めさせようとするのです。

もちろん、自分の貴重な時間を割いて、無償でボランティアをすることは素晴らしいのですが自慢や自分語りが多くなると、聞いている側は負担を感じます。

加えて聞いている側の話は認めようとせず、自分語りを延々と続けるために「ボランティアに熱心なのはわかるけど、その話ばかりして自分の話は聞いてくれないから不公平な気持ちになる」と感じて、次第にめんどくさくなるのです。

ボランティアという権威を借りて増長しているように感じる

ボランティア活動には権威が伴うことがあります。

例えば東京五輪のボランティアともなれば、スポーツの祭典であり最高峰である事実や日本という国家(あるいは東京都の)事業であり、無償の活動であってもその権威にすがりたい人からすれば絶好のチャンスを言えるでしょう。

どういう形であれオリンピックに加わったという事実を元にして、進学や就職活動を有利に進めたり、他の人からの賞賛の声を浴びるという将来設計も描けることでしょう。

もちろん、オリンピックでなくとも災害のボランティアや地域単位のボランティアでも、「ボランティア=無償で奉仕する尊い行動」というボランティアそのものを神聖なものとして見る価値観から利用することも可能です。

言い換えれば、ボランティアそのものが一種の権威であり、自分を大きく見せるための好材料の一種であるとも言えるでしょう。

しかしボランティアという権威を利用するあまりに、増長し過ぎて横柄な態度を棚にあげてしまったり、権威を利用して他人の行動を支配しコントロールしていい理由にはなりません。

権威を借りて盾にする以上は、借りた権威を汚すことが無いように細心の注意を払うことが重要です。

権威のある団体のボランティア活動に参加したからといって調子に乗ったり、有名な募金団体に募金したからといって調子乗るのは、団体の名を借りてネガティブキャンペーンをしていると捉えられるのも無理はありません。

また、「権威のあることならなんでも従う」とする姿勢についても、疑問が残ります。

国家や集団という権威がある人間の集団であっても、集団心理が働くこと集団内部で何の反論や異論も出ない状態になり、外部から見ておかしな方向に進んでしまうことがあり、無批判に推奨できるものではありません。

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社会的交換理論から見るボランティア活動

ボランティア活動は働きに対して基本的に無償。仕事をすれば給料が手に入るのが当たり前の状態において、ボランティア活動はその当たり前が通用しない状況と言えます。

もちろん、その代わりにお金では手に入れられない経験が手に入ることもあるかもしれませんが「ボランティアの時間をお金に換算すればこれだけの給料が手に入るのに…」と思ったことがある人も、ひょっとしたらおられようかと思います。

かくいう筆者も学生時代に単位のためにボランティア活動に参加したことがありますが、無償なのは最初から分かっていたものの、やはり働きに対するわかりやすい見返り(=お金)がない状況に葛藤を覚えたことは否定しません。

だからこそ、お金以外で代わりに手に入れられるもの…つまり、承認、賞賛、権威、ボランティアをしているという立場、そして学生の場合なら単位を求めるようとする心理が働くのではないかと思います。

このような心理については「社会的交換理論」が関連していると分析できます。

社会的交換理論とは人間関係をコストと報酬の交換により成り立つものを考える理論。報酬は金銭的なものに限らず感謝や承認などの心理的なものも報酬に含まれます。

また、費用に対して適切な報酬が受け取れない関係は居心地の悪さを感じると社会的交換理論で説明されています。

ボランティアの場合なら、金銭的な報酬はまず手に貼らないので、代わりに承認、賞賛などの心理的な報酬を求めようとするのも、差し出しているコストを考えれば自然なものと言えます。

しかし、金銭とは違い心理的な報酬は数値化することが難しく、また受け取り方にも個人差があります。

ちょっとだけ感謝されて喜ぶ人もいれば、何度感謝しても全然満足しない人もいるように、差し出したコストに見合わないような心理的報酬を求めてしまうことがあります。

社会的的交換理論を通して見れば、ボランティア活動のせいで思い上がったり、気分が増長している人は「ボランティア活動で元を取りたい」とか自分のコスト以上のものを回収したいという心理が働いているのだと考えることもできます。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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