仕事で手伝ってあげたのに「ありがとう」という感謝の言葉が貰えず、相手のことを嫌ってしまったり、感謝の言葉がもらえないことに腹を立てている自分のちっぽけさにイライラしてしまうことで悩んでしまう人は少なくありません。
別に、「ありがとう」という言葉が欲しいために下心や欲望で手伝ったわけではないけど、やっぱり感謝の言葉が返ってこないと、なんだか損をした気分になり「次は手伝ってやるもんか」と、相手に対して不満を感じてしまいます。
この心理は社会学者ホーマンズの社会的交換理論で詳しく説明されており、この理論を応用すれば人間関係を豊かにすることにつながります。
今回は他人に見返りを求める人の心理と社会的交換理論についてお話いたします。
社会的交換理論とは
社会的交換理論とは人間関係はお金や物、サービスなどの何かしらのものと交換であると考える理論です。
交換されるものは物質てきなものに限らず、挨拶や反応、コメント、愛情、尊敬など心理的・精神的なものも含まれています。
見返りを求める人は、例えば「挨拶」を例にしてみれば、自分が挨拶をしたのにもかかわらず挨拶が帰ってこなかった時に、自分が挨拶をするために差し出したコスト(時間・労力など)に見合うリターンが返ってこなかった為に不快感を感じます。
相手は自分が挨拶をするときに与えたコストを受け取って得をしてばっかりなのに対して、自分には何のリターンもなく損をしているという状況だと感じてしまいます。
社会的交換理論をもとに考えれば、自分が支払ったコストに対して見合うリターンを求めるのはあながち間違いではないとなります。
経済的交換と社会的交換
社会的交換理論を説明する中で「経済的交換」と「社会的交換」という2種類の言葉が登場してきます。
経済的交換とは、文字通り代金を支払った見返りとして商品やサービスが手に入れられることで、買い物全般、外食、映画鑑賞、エステ、コーチング、カウンセリングなどを指します。
一方で社会的交換とは、挨拶や反応などの心理的な対価を支払った見返りとして、同じく心理的な報酬を受け取る交換のことを指し、挨拶、会話、褒める、認める、感謝する、愛するなどを指します。
社会的交換は金銭ではなく、気持ちのやり取りやコミュニケーションが基礎となっており、お金で精算できるドライな人間関係ではなく、いわゆる義理人情、お互い様の精神、助け合い、恩返しのような感情面や信頼面によって行われる人間関係です。
他人に見返りを求める人の心理・特徴
自己中心的で他人に過度な期待をしてしまう
他人に見返りをもとめる人は、相手の都合ではなく自分の都合で物事を考えることが多いという特徴があります。
そのため、見返りがない場面では「感謝の気持ちを伝えるのが苦手なのだろうか?」と相手の気持ちを考えるのではなく「せっかく親切をしたのにお礼がなくて損した」と自分目線で物事を考え、勝手に裏切られた、損をした感じてしまうことが多々あります。
また、自己中心的な考え方に加えて、相手に対してこれまた相手の都合を無視した自分に取って都合の良い過度な期待をしてしまうことも多く、仮に相手から感謝の言葉をもらったとしても「なんだ、この程度なのか…」とがっかりしてしまうこともあります。
完璧主義である
完璧主義であるために、挨拶したら返事をするのが当然、親切をされたら感謝するのが当然というように「○○したら当然△△するべきだ」という「べき論」で考えているという特徴があります。
もちろん、挨拶を返す、親切に対して感謝の言葉を述べるのは道徳や社会規範の面で言えば望ましい行動ですが、社会に生きている人全員がその通りに完璧に行動できるというわけではありません。
甘やかされて育ってきたなどの環境による影響で、親切な事をされてもとくになんとも思わず、感謝の気持ちすら抱かない人も世の中にはいるのです。
そんな人を前に、自分の中で思っている完璧を押し付けてもストレスは溜まる一方ですし、「どうして感謝をの気持ち伝えなければいけないのか?」と逆ギレに発展してしまうこともあります。
見返りを求めていると思われストレスを抱える
社会的交換理論をもとに考えると、自分の時間と労力を割いて手助けや親切をしたのであれば、それ相応の見返りやねぎらいなどの心理的な報酬を求めることは間違ってはいません。
しかし、他人から褒められたい、認められたいから親切な行動を行うことは、時として下心のある下衆な行動だと非難されたり、自分をよく見せるための得点稼ぎだと思われてしまうことがあります。
自分としては純粋な人助けや親切心からの行動であっても、そのことが理解されず自己中心的な行動だと思われると、精神的に傷ついてしまうだけでなく、次第に人に親切にすることをためらってしまうこともあります。
もちろん、褒められたい、認められたいという意図が見え見えのお世辞を言う、という露骨な行動であれば、非難を受けてしまうのは致し方のないことですが、露骨ではなく純粋な善意ですら否定されてしまうのはやはり辛く感じるものです。
被害者意識が強くなることがある
心理的な報酬が得られないために
- 「自分はこんなに親切にしたのにお礼の一つも言えないなんて、あの人はとても非常識な人」
- 「これだけ自分が尽くしているのに、感謝の言葉一つも貰えず、なんて自分がかわいそうな人なんだろう」
と相手を非難して自分は被害者であると主張することがあります。
心理的な報酬欲しさに、相手にを非難するだけにと止まらず、周囲から同情を誘うような行動を取ったり、恩着せがましい行動を取って反感を買ってしまうこともあります。
ここまでエスカレートしてしまうと、相手としても「感謝なんてするもんか!」という気持ちになって、感謝の言葉がではなく否定や中傷の言葉が返ってきかねません。
社会的交換理論から学ぶ人間関係のコツ
感謝の気持ちはなるべく伝える
感謝の気持ちを言うのは、日本人だと恥ずかしくむず痒い感じがしてなかなか口にできない、特別な日や出来事があったわけでもないのに感謝の気持ちを伝えるのは変な気分になると感じる人も少なくありません。
しかし、感謝の気持ちは口に出したり、文字に書きおこしたりして言葉にしなければ相手にきっちりと伝わることはありません。
「口で言わなくてもわかるだろ」とか「察してくれ」と、態度や空気感といった間接的コミュニケーションでは感謝の気持ちは伝わりにくくなるどころか、誤解を生んで仲が悪化する原因にもなります。
親切を受けたら、なるべく相手に対して感謝の気持ちを伝えるようにしましょう。
すぐに見返りがもらえると思い込まないようにする
親切な行動をしたことに対して心理的な見返りを求める場合は、その場ですぐにもらえると思い込まないようにしましょう。
その場では恥ずかしくてつい感謝の気持ちが伝えられなかったけど、時間が経つことで感謝の気持ちを落ち着いて伝えてくれる人も世の中にはいます。
また過去に親切にしてもらった相手に対して、数日おいてからメールや手紙、電話などでも感謝の気持ちを伝えてくる人もいます。
感謝の気持ちを伝えるペースは人それぞれであり、自分の中で感謝のスピードに優劣や正しさを決めつけないようにするのがいいでしょう。
普段の言葉使いや態度に、厚かましさが出ていないかチェックする
厚かましく思われがちな人は、普段の言葉使いにも無意識のうちに厚かましさを感じ取れるような言葉をつかうことがあります。
例えば「手伝った」と「手伝ってあげた」では、「手伝ってあげた」の方がお礼や感謝を求めているようで、厚かましさを強く感じてしまいます。
「~してあげる」という言葉には
- 「乗り気ではないけどわざわざやってあげた」という恩着せがましさ
- 「ほかでもない私がやってあげた」という過度な自己アピール。
と言ったニュアンスが込められる言葉です。
また、立場が上の人に対して「~してあげた」というと失礼に言い方になることから、「~してあげる」という言葉が使われる場面は、明確な上下関係のある人間関係の中ということになります。
「~してあげた」と頻繁に使う人は、本人はその気がなくとも自然と他人を見下したり、マウントを取ってしまうこともあります。
SNSでも一方的な期待をするのを控える
見返りを求めるのは現実世界の人間関係だけでなく、SNSの人間関係でも同様です。
SNSの場合は、現実世界と比較して相手の反応が「いいね」やコメントなどで可視化しやすいために、心理的な報酬の実感が手に取ってわかるという特徴があります。
しかし、SNSでは基本的に文字が主体のコミュニケーションなので、相手の声・表情・態度がわからず、文字だけを見て親切心からくるかどうかを判断がしなければいけないという特徴もあります。
そのため、自分が親切心から相手にコメントをしていても、相手がそのことに気付かず放置されてしまうことも少なくありません。
SNSは文字だけの限られた情報でやり取りをするために現実世界よりもコミュニケーションが雑になり、見返りが返ってこない期待はずれな会話になりやすいので、SNSを使うときは相手に対して一方的で過度な期待をしないように心がけるのがよいでしょう。