仕事や教育の場において、誰かに対して期待することでその人のスキルを伸ばす(=ピグマリオン効果)という現象があります。
しかし、期待というものはいつも自分の思っている通りにはならないものでして、期待が外れてがっかりしたり、期待はずれになったことで「裏切られた!」とショックになることも多々あるものです。
こういったトラブルを何度重ねていく内に、
- 他人に期待をかけるなんてアホらしい。
- どうせ期待なんかかけてもその通りにはならない。
- 期待が原因でお互い傷つくぐらいなら、最初から期待しない方がマシ。
だと、考えて、他人に対して期待しない習慣を身につけてしまう人もいます。
他人に全く期待しなければ、当然期待がはずれがっかりする事はなくなるのでストレスは減りますが、他人に期待していないという態度のせいで周囲と距離感ができてしまったり、相手から心を開いてもらえなくなることも考えられます。
今回は、「他人に期待をしない」という心理や生き方についてお話いたします。
他人に期待をしない人の心理
良くも悪くも自己中心的である
他人に対してあれこれ期待しないひとは、良くも悪くも自分を中心にして物事を考えている人、自分の軸となる哲学や考え方を持っている人でもあります。
もちろん、他人に期待しない以上は、自分の進路(勉強・仕事)や自分のすべき事はなんでも自分で決めて、解決していかなければいけません。
うまくいけば全部自分の功績となりますが、うまくいかなければ全部自分の責任となります。
なお心理学では、功績や責任が全部自分以外の誰かや何かにあると考える性格の事を外的統制型、逆に功績や責任が全部自分自身にあると考える性格の事を内的統制型といいます。
他人に期待しない人は、内的統制型の性格だと見ることもできます。
期待が外れた経験を何度もしたことで「期待しない方が」マシと学習した
他人に期待をしなくなった人は、今まで何度も期待が外れてしまった経験がきっかけとなり「他人に期待しないほうが傷つく事はない」と学習しているケースがあります。
期待という行動は、つい自分の「こうあってほしいなぁ」という願望や「こうあるべきに違いない」という思い込みになってしまいがちで、期待はずれになると自分の願望や思い込みが否定された、ひいては自分の人格や考え方まで否定されたと感じることがあります。
他人に期待するという行動を通して、自分を強く否定された感じてしまえば、同じ過ちを繰り返さないために、「最初から期待しなければいいんだ」と自分で考えて、期待しない生き方を貫くのもある意味自然なことだと言えます。
誰かから期待されることが嫌なので、相手にも期待しないようにしている
「君なら受験に必ず成功する」「貴方ならこの仕事を最後までやり遂げるだけの見込みがある」という誰かからの期待のコメントは、必ずしも期待を受ける本人にとって心地よいコメントになるわけではありません。
期待するコメントを受け取っても
- 期待の言葉をプレッシャーだと感じて憂鬱になる。
- 期待を裏切ってしまった時のことを考えて、ストレスを感じてしまう。
- 期待に対して「本当は期待なんか嘘で、他人に期待できるいい人アピールしているだけだろ」とひねくれた受け取り方をしてしまう。
と、期待のコメントを皆が皆、好意的に受け取れるというわけではありません。
期待に添えなかった経験や「期待はずれ」だと言われ深く傷ついた経験がきっかけとなり、他人の期待を素直に受け取れなくなってしまうと、同時に自分自身も誰かに自分と同じような辛い経験をさせまいとして他人に期待しない生き方をすることがあります。
他人に期待をしない生き方のメリット
期待が外れたせいで怒ったり、がっかりすることがなくなる
他人に期待をしなければ、「期待が外れてイライラした、がっかりした」ということもなくなり、一喜一憂せずに済みます。
また、期待が外れた時のショックや自己否定感を受けることもなくなり、メンタル面で安定した人間関係を送ることができるようになります。
とくに、普段からミスの多い部下や新人を指導している、一貫性がなくその日の気分で仕事をしているようないい加減な上司の下で働いている人の場合、淡い期待が裏切られて辛い思いをするぐらいなら、最初から期待せずビジネスライクに接するのは(メンタル面だけに絞れば)効果的なコミュニケーションのやり方と言えます。
他人に対して寛容の精神を持つことができる
普段なら期待を裏切るようなミスが起きたらイライラするものですが、相手に期待しなくなればミスにいちいち腹を立てることなく、寛容の精神を持って穏やかに接することができます。
寛容さが身に付けば「あの人はミスをしても怒らない優しい人だ」と思われることで、人望がついたり新人や後輩から人気を得ることもあるでしょう。
また自分自身にとっても短気さがなくなり、些細なことでも一喜一憂せずどっしりと構えることができるようになります。
しかし、優しい人というイメージがつくと、それに乗じて舐めた態度を取ってきたり、調子に乗って付け上がる人が出てくることもあります。
ここではメリットとして書いていますが、寛容さを持つことは諸刃の剣であることを理解しておきましょう。
「自分でやらなきゃ」という自主性が芽生える
他人にたいして期待しない生き方は、自分に必要なことは当然自分一人でやらなければいけません。
例えば仕事にしても
- あの人から仕事のやり方をレクチャーしてもらえるはず。
- 待っていれば誰かから仕事を割り振ってもらえるはず。
- そのうち昇進して給料や待遇も良くなるはず。
といった、淡い期待を抱いてのんびり待っているわけには行かず、自分から仕事のやり方をマニュアルを見たり上司に聞いて確認したり、自分から積極的に仕事を取りに行き昇進や待遇の交渉をしていくことが必要となります。
もちろん、他人に期待しなくなったからといってこういった自主性がいきなり芽生えるというものではありませんが、期待しすぎて他人や組織に依存したいという気持ちが芽生えている人は、気を引き締める意味でも期待する頻度を減らしていくのがいいでしょう。
他人に期待をしない生き方のデメリット
他人との距離感・溝ができてしまう
他人に期待しないということは、相手を励ましたり応援するというポジティブなコミュニケーションをしないの同じなので、どうしても他人との距離感や溝ができてしまいます。
例えば、子育ての場合、親が子供に期待しなくなり「お前の好きなようにすればいい」と期待していないがための放任主義的な言葉を言ってしまうと、子供は「親から大事にされていない」と感じてしまうことがあります。
もちろん、親子という親密な関係に限らず、先生と子供、上司と部下、先輩と後輩でも同じです。
意図的に他人に期待をかけないようにすれば、仮に「君には期待してない」と口にして行ってなくても、態度や行動からなんとなく見放されている、距離を置かれていると感じて疎遠になってしまうものです。
期待をするのはめんどくささもある分、期待通りにいけば嬉しさを共にわかち合うという喜びもあります。当然、期待をしなくなれば、めんどくささも喜びも綺麗さっぱり無くなることを理解しておきましょう。
他人に心を開けなくなり孤独を味わう
他人に期待しないと、自分の率直な気持ちや感情を誰かに打ち明けることもしなくなります。最初は気軽かもしれませんが、次第に人間不信に陥ったり自分は誰からも理解されないと感じて心を開けなくなります。
他人に期待をしないと決めてしまえば
- 「この人は自分の悩みを理解してくれるに違いない」という気持ちもで期待なのでNG
- 「この人は自分を受け入れてくれるに違いない」という気持ちもで期待なのでNG
となるので、他人に心が開けなくなるのも無理はないと言えます。
人間関係の煩わしさがなくなるのと引き換えに、孤独を味わい周囲にたいして理解されないという気持ちをこじらせてしまうリスクがあります。
他人から期待されることがなくなる
これは、人間は他人から好意や施しを受けると、その分相手にたいしてお返しをしたくなるという心理があります(=返報性の原理)
一般的に期待は好意、応援、同意などを伝えるコミュニケーションの一種であり、そのことに嬉しさや喜びを感じる人も多いものです。
また、返報性の原理を元にすれば、誰かにたいして期待という名のを好意を与えればその分、自分も期待という名の好意を受けやすくなり、決して期待の掛け合いは悪いものではありません。
しかし、他人に全く期待をしなくなれば、当然自分も他人からの期待という名の好意を受けることは少なくなります。これは、「普段から自分に期待や応援の言葉をかけてこない相手に対して、こちらからわざわざ期待をかけるような行動をする義理はない」と感じるからです。
(…お返しをする義理がない相手に対してお返しをしないといえば、至極もっともなことではありますが。)
「他人に期待しない」のはいいけど、実際に口にするかどうかは別
「他人に期待しない」という生き方をするにしても、そのことを実際に口に出したりあからさまな態度に出してしまえば、周囲から反感や失望の声が出てくることは避けられないと理解しておいた方がいいでしょう。
「他人に期待をしない」=「冷徹でドライな性格」「人づきあいが悪い」「他人に興味がない」とネガティブな解釈に繋げてしまうものです。
今まで仲良くやってきた人に対していきなり「私は他人に期待をしないタイプだから」と言われれば、ショックを受けるのも無理はありません。カリスマ性を感じたり、尊敬の目で見られることすらなく、真顔で引かれてしまうこともあるでしょう。
人間関係の煩わしさを減らす意味で「他人に期待をしない」という生き方を取り入れるにしても、その生き方を主張して受け入れてもらえるかどうかは、また別の話だと思います。
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