写真といえば楽しい思い出や大切な記念を静止画にして保存しておくものであり、ふとした時に振り返って見て「そういえば昔にこんなことあったなぁ…」と感じるために撮っている人が多いでしょう。
しかし、中には自分の顔や姿が写っている写真を見たくないと感じたり、自分の過去の写している写真を視界にすら入れるのが嫌だと感じている人も、少なからずいるものです。
今やスマホや携帯で気軽に会話をする要領で写真を撮るのが当たり前になっているからこそ、写真嫌いの人にとっては、少々息苦しい世の中になっているのではないかと思う今日この頃でございます。
今回は、そんな自分の写真を見たくないという人の心理についてお話いたします。
自分の写真を見たくないという心理
自分の顔にコンプレックスがある
写真と言えば顔写真、証明写真、自撮り…など、顔を撮ることは基本中の基本です。
しかし、自分の顔について何らかのコンプレックスがある人にとっては、写真で自分の顔をじっくりと見ることに苦痛に感じるので、自分の写真を見るのを避けようとするのです。
また、基本的に表情や顔の角度などを自由に調整できない証明写真は、誤魔化しが効きにくい分、自分の顔のコンプレックスをより強めてしまう写真とも言えます。
すこし不細工な人でもハイアングルやローアングルなどの角度変えた自撮りなら、不細工さを抑えることができます。
しかし、真正面で、しかも真顔で写ることが求められる証明写真だと、自分の不細工さが際立ってしまうので写真に写った自分を見たくないと感じるのです。
自分の体型・容姿にコンプレックスがある
顔以外にも自分の体型や容姿にコンプレックスがある場合も、同様に写真を見ると苦痛を感じるので意図的に見ないようにする傾向があります。
体型はカメラのアングルや着る服などを変えれば、自分のコンプレックスを上手に隠して写真に写ることができますが、基本的にコンプレックスを持っているというメンタルの部分は、アングルを誤魔化すだけでは消えるものではありません。
体のコンプレックスを隠した写真であっても、その写真を見るだけで「自分はコンプレックスを隠すために、見えないところで誤魔化すテクニックを使っている」と思い知らされたり、誤魔化すことに罪悪感のような感情を抱いてしまうので、積極的に自分が撮った写真を見るようとはしないものです。
自分の表情や行動コンプレックスがある
顔、体型以外にも自分の表情や行動についてコンプレックスがある場合も、写真を見ないようにする傾向がありまう。
例えば、
- 目が死んでいる。
- 笑顔なのに目が笑っていない。
- 笑顔が本当に楽しんでいるような笑顔に見えない。
- 一生懸命作り笑いをしているのが写真からにじみ出ている。
- 友達と距離感を撮るのが下手なことが写真からわかってしまう。
などの、微妙な表情や行動についてコンプレックスがある人は、コンプレックスを感じるような自分が写っている写真を見るのは避けようとします。
特に、写真といえば笑顔で楽しい思い出を記録として保存することで使われることが多く、笑顔にコンプレックスがある人からすれば「自分の笑顔の写真を見る=コンプレックスと向き合わざるを得ない」と感じて、嫌な気持ちになるのです。
なお、そういったコンプレックスを克服して写真を楽しむ方法として「変顔で写る」という方法もあります。
しかし、変顔をして楽しく写っていても、いざその写真を見返すと「コンプレックスのために変顔してまで写っている」という自分に対して自己嫌悪の念を抱くこともあり、必ず良い効果があるかどうかは疑問です。
自分の思い出したくない過去を思い出されるから
写真として記念に残している思い出は、どれも後から見て心がほんわかとするような楽しいものばかりではありません。
例えば思春期で荒れていた頃の自分の写真や、中二病のように精神的に不安定だった頃の自分が写っている写真は、一目見るだけで自分の過去の思い出したくない思い出が蘇ってしまい、ナーバスな気分になってしまうものです。
思春期の恥ずかしい思い出のほかにも、受験失敗、就職失敗、失恋、家庭内不和など、嫌な思い出をまさに作っている時期の写真というものは、たとえ過去の出来事であっても誰でも簡単に受け入れられるものではありません。
そういった思い出したくない思い出が、なかば写真を見ることによってフラッシュバックのように思い出されてしまうので、嫌な思い出を思い出してしまう写真を意図的に見ないようにするのです。
自己肯定感の低さから写真に写る自分すら受け入れられなくなる
自分が持っているコンプレックスのせいで自己肯定感・自信が低い人は、そもそも自分から写真に写りに行くような人ではなく、写真嫌いな性格をしているものです。
しかし、写真嫌いといっても、あらゆる場面での写真撮影を拒否したり、写真証明を取らずに書類を作る…という暮らしは現実的ではないので、内心は「嫌やなぁ…」と思いつつも渋々写真を撮らなければいけないものです。
そんな渋々撮った写真の中の自分を見るのは、見れば見るほど自分の自己肯定感の低さ、自信のなさを刺激されたり、上にも述べたようにコンプレックスを刺激されて、更に自己肯定感が下がってしまいます。
写真を見ることで自分の理想のイメージが崩れてしまう恐れがある
自分の理想としているイメージがある人からすれば、写真に写った無加工でコンプレックスまでくっきりと写っている自分の姿は、自分の理想のイメージを崩してしまう恐れがあるので好き好んで見ようはしません。
現実の自分と理想の自分とのギャップが激しい人は、自分の納得していない角度や表情以外の写真を見ようとはせず、自分の理想通りになっている写真のみを好んだり、写真に補正や修正をして自分の中の理想が壊れないような手間を写真に加えようとします。
なお、最近はスマホに搭載されているカメラには、明るさやコントラスト、色味や写真のアスペクト比などを写真を撮る前に簡単に変更でき、また撮った写真もアプリを使って簡単に加工できるような時代になってきています
このような技術の進歩は自分の思い描く写真を追求することができるようになった一方で、加工しすぎて理想の自分のイメージが肥大化が進んでしまう、という現象も生み出しているように感じます。
写真撮影に関する嫌な出来事・思い出がある
写真に関するいじめや嫌がらせなどの嫌な出来事や思い出があるために、過去に撮った自分が写っている写真を見返すことを避けている場合もあります。
例えば
- 写真を見て誰かから「変な顔やな」と笑われた。
- 不意打ちで写真を撮られ、その写真をネタに笑いものにされた。
- 嫌がっているのにそれを面白がり、あたかも珍しいものを記念に取るかの要領で無理やり写真を撮られた経験がある。
- 自分が写っている写真が勝手にネットにアップされたり、その写真が元で炎上に発展した。
などの写真に関する嫌な思い出、辛い記憶がある人からすれば、当然写真に積極的に写ろうという気は置きにくいものですし、記憶が蘇ってくる恐れがあるので写真を見ることを普段から避けようとするものです。
今やスマホで撮った写真は、SNSなどのネットを通じて簡単にアップできる時代になっていますが、その事は言い換えれば昔以上に不特定多数の人に対して自分の恥ずかしい過去や思い出が見られてしまう世の中になっているとも言えます。
特に、恋人関係だと別れた後に交際中のプライベートな写真をアップしたことで起きる「リベンジポルノ」であったり、言葉をしゃべれない赤ん坊時代に親が撮影した写真がネットにアップしていたことで起きるプライバシーの問題なども、社会的に認知されてきています
今やスマホで写真を撮影し、それをSNS(インターネット)アップするのが当たり前になった時代だからこそ、写真に対して神経過敏になる人が出てくるのは、決しておかしいものでもなんでもなく、ある意味時代の流れのように感じます。
写真は静止画なので見たくない部分までくっきり残ってしまう
写真は動画と違い静止画なので、自分の見たくない部分はコンプレックスまでもくっきり静止画として残ってしまうという特徴があります。
例えば、顔にあるホクロがコンプレックスの人の場合、動画なら自分やカメラが動くことで画面にホクロが写っていてもホクロそのものが強調されることはなかったり、画面が動いていることで見ている自分もホクロに気づかず、刺激を受けにくいという特徴があります。
また、動画なら多少解像度が荒くても見る分ならそこまで問題がないので、解像度の粗さを利用してホクロを目立ちにくくすることもできます。
しかし、写真のように高解像度で基本で静止画の画面だと、動画の時のような粗さや動きによるカモフラージュが効かず、くっきりと顔にホクロがあることが目立ってしまいます。
静止画である以上、解像度が低ければ変に目立ってしまったり違和感を持たれてしまう恐れがあり誤魔化しはやりにくいものです。
…余談ですが、写真と比べて動画がコンプレックスを隠すのに有効かといえばそうではなく、これもこれで今度は自分の声という新たなコンプレックスを刺激することもあります。
写真に写った自分を見るのが苦手な人は、動画でも同様の悩みを抱いていることが多いように感じます。