こんなことを書くと非難されそうですが、筆者は他人の笑顔がどうしても苦手です。(そして自分の笑顔も)
もちろん、笑顔を心がけることは、コミュニケーション能力の重要性が叫ばれる現代においては、人間関係を築く上での基本中の基本でしょう。
そして、他人の笑顔に苦手意識を持ったり、笑顔をする人に対して疑いの目を向けるような人は、あまりにもひねくれすぎていて、人としての品性を疑う…なんて辛辣な言葉を言われるかもしれません。
それでも、筆者自身はどうしても他人の笑顔を好意的に見ようとしても、やはりその笑顔の裏にある(かもしれない)思惑を探ろうとしたり、「なぜ笑っているのだろう?」と笑顔の理由・根拠を探ろうとするなど、他人の笑顔を好意的に受け取れないどころか、下衆な勘ぐりをしてしまう悩みを抱えております。
今回は、そんな自身の経験などをもとに、他人の笑顔に感じる苦手意識の理由や背景などについて、お話しいたします。
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他人の笑顔が嫌い、怖いと感じる理由・背景
表面的に作られた薄っぺらい笑顔を何度も見てきてうんざりしている
人間関係を円滑に築くことを意識するあまりに、作り笑顔や営業スマイルのような、いわゆる薄っぺらい笑顔をする人達の存在が、他人の笑顔が苦手だと感じる心理に影響していると考えられます。
相手から表面的によく見られたいという虚栄心、あらゆる利益のために自分を偽るための笑顔をする姿勢…そうした虚飾や嘘が紛れている笑顔をする人とであってきた経験が、他人の笑顔に対する苦手意識を育んだのだと分析できます。
ただし、薄っぺらい笑顔ではあっても、その笑顔に対して冷たく当たるのはさすがに失礼にあたりますし、こちらも自分が嫌がっている薄っぺらい笑顔をして対応しなければいけない…というジレンマがあります。
また、友達作りにおいて作り笑顔を自分に向けられたことで、なんとなく信頼できそうかという気持ちになったものの、相手からすればあくまでも社交辞令で見せた笑顔であって、その笑顔に対して心を開かれても困る…というような態度をとられた経験も他人の笑顔が嫌いと感じる理由の一旦をになっていると感じます。
笑顔でいじめてくる人に出会ったことがある
いじめられた経験やいじめの現場を目撃した人なら理解できると思いますが、いじめっ子はいじめる相手を笑顔でいじめることが多いものです。
まるでレクリエーションのように、無邪気な笑顔で他人をいじめる。いじめられっ子を笑い者にして、いじめっ子同士でゲラゲラ(あるいはニヤニヤ)笑い、いじめることそのものを楽しいものとして認知するからこそ、いじめはエスカレートするとも言えます。
こうした楽しさがいじめにはあるために、いじめの被害者・加害者だけでなく、いじめを見ている人、見て見ぬフリをしている人達は「あればいじめではなく、いじってただけ」「ちょっとからかっているだけ」と、ソフトに言い換えられるのかもしれません
なお「笑顔で他人をいじめる」と表現すると、人によってはこの世のものとは思えないおぞましさを抱くかもしれません。
しかし、いじめとよく語られるお笑いの「いじり」が、コミュニケーションのネタの一種として定着しているのを考えれば「笑顔で他人をいじめる」行為そのものは、案外身近なもののように感じます。
楽しいから笑顔になる。しかし、その楽しさがいじめのように他人を傷つけ、笑いものにすることで感じる楽しさであった場合、その時に見せる笑顔は残酷な状況を楽しめてしまう、人間が持つ攻撃的な一面を表現するものにもなります。
こうした笑顔が持つ嗜虐性(残虐なものを楽しむこと)を肌身で感じて理解ために、他人が見せる笑顔に対して苦手意識を持ってしまうのだと考えられます。
「とにかくいい顔しとけばこの人は信頼する」と言いたげな笑顔をする人の影響で、笑顔が上手な人に抵抗感を覚えている。
「笑顔さえ見せておけばいいから、この人はちょろい」と、舐められた態度を取る人が原因で、笑顔が多い人に対して距離を置きたくなることがあります。
人間関係において笑顔があまりにも重要視されているせいか「笑顔さえしておけばいい」という態度でうまく切り抜けることは出来るかもしれません。
しかし、その態度にあぐらをかいた結果、自分が関わる人を「笑顔一つで喜ぶ単純な人間」だとタカをくくり、一人の人間として尊重する姿勢をなくしてしまっては逆効果です。
単刀直入に言えば、笑顔を見せるものの相手を大切にしていない。「笑顔」という好印象に繋がる表情のはずなのに、行動では相手を尊重する要素が見られないことの違和感のせいで、他人が見せる笑顔に対して身構えてしまうのです。
笑顔を見せてくる人の「お前も笑顔になれ」という圧力が苦手
直接言われているわけではないのですが、とにかく笑顔で接してくれる人といると、「こちらも笑顔で対応しなければいけない」という責任感や義務感を抱いたり、なんだか「お前も笑顔になるべきだ」という無言の圧力を感じるために、笑顔を向けてくる人に苦手意識を感じてしまうのです。
これは、返報性の原理(あるいは、好意の返報性)にもあるように、笑顔という好意を受け取ってばかりでは居心地がわるい。結果として義務感に駆られて笑顔を返してしまうのだと考えられます。
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クシャクシャとした笑顔を見て不気味さを感じてしまう
笑顔と言っても、比較的顔の筋肉を使わない穏やかな笑顔もあれば、顔の筋肉をフル活動させて、目も細め、シワを目立たせ、葉もきっちり見せたクシャクシャとした笑顔をする人もいます。
しかし、どうしてもクシャクシャとした笑顔は、目が細くなりすぎてちょっと不気味さを感じてしまうのです。
まるでピエロのように、確かに笑顔をしているものの、その笑顔がどこかホラーの要素を帯びているように感じるために、苦手意識を持つのです。
認知的不協和から見る他人の笑顔が苦手な心理
一般的に言えば笑顔と言えば、喜び、幸福、満足、好意などのポジティブな感情や現象と結びいてるものとして私たちは認識しています。
しかし、いじめる人が笑顔をするように、笑顔には、残虐性、他人の不幸を喜ぶ、敵意、悪意などのネガティブな感情や現象と結びつくこともあるものです。
こうした一つの事柄に対して、相反する認知を持つことで不快感を抱くことは、認知的不協和理論に通ずるものがあると言えます。
また、他人の笑顔からポジティブな感情もネガティブな感情もどちらも認知できない場面でも、不快感を感じる場面も同様に見ていくと…
- 「笑顔はポジティブな感情と結びついている」という認知。(笑顔=感情)
- 「笑顔なのに感情が読み取ることができない」という認知。(笑顔≠感情)
という2つの認知を同時に持つと矛盾が生じた結果、うまく言葉にしにくい不快感を抱くのだと考えられます。
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