人間関係を円滑に送るにあたって、他人に対して笑顔を見せることは基本中の基本といえます。
しかし、中には自分の笑顔そのものに他人から理解されにくいコンプレックスをいだいていたり、笑顔に関して苦い思い出や思い出したくない出来事(=トラウマ)があるために、笑顔になりたくてもなれない…という人もいます。
また、笑顔と一口にいっても「顔」に限定したものではなく、笑顔になる時の「声」や「仕草」、あるいはつい笑顔になる時のセンスが周囲と著しくかけ離れているために、笑顔に対するコンプレックスを抱いていることも、あるものです。
今回は、そんな笑顔ができない人の心理や悩みについて、お話しいたします。
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どうして笑顔になれないのか
笑顔に関する苦い出、思い出したくない過去がある
- 身近な人(家族・親戚・友達など)から笑顔が変だと言われた過去がある。
- 「目が笑ってない」「嘘くさい笑顔」「本当に面白いと思って笑っているの?」と笑顔そのものを否定された経験がある。
- 無理に作り笑いをして乗り切らなければいけないほどストレスフルな環境にいた経験から、笑顔そのものに苦手意識を感じている。
など、自分の笑顔に対して思い出したくない過去があったり、笑顔に関わる嫌な経験が影響しているために、笑顔をしたくてもできなくなることがあります。
ぶすっとした表情や無愛想な表情を否定されるのならともかく、せっかく自分が楽しさや喜び感じた結果として出た笑顔を否定される経験は、自分の感情や感受性、ひいては人格そのものも否定されたかのように感じ、強いショックを感じてしまうのも無理はないと思います。
また、笑顔も顔の一種であると考えると、「笑顔を否定すること=自分の顔を否定されること」と受け取ってしまうことで辛さを増してしまうとも考えられます。
笑った時の自分の表情の変わりようが嫌いだから笑いたくない
- 笑うとほうれい線や目尻のシワが目立つ。
- 目が細くなってしまうのが嫌だ。
- どうしても笑顔が引きつってしまい、素の顔よりも印象が悪くなる。
- 自分でも嘘くさい不自然な笑顔になっていることに気づいて、笑顔をする気が失せる。
など、笑った時の自分の表情の変わりようにコンプレックスを抱いているために、必要性がない限りは、あえて笑顔にならないのです。
笑顔をしているはずなのに、まるで変顔をして周囲に恥をさらしたり、相手に失礼なことをしているように感じてしまうからこそ、笑顔よりも真顔でいることを選んでしまうのです。
笑い声が独特で悪目立ちしてしまうおそれがある
笑う時のコンプレックスは表情だけでなく「声」も当然ながら含まれます。
- 笑うと普段なら出ないような変な声が出て自分も相手も驚かせてしまう。
- 甲高くうるさい声になって周囲に迷惑をかけてしまうことに、申し訳のなさを感じている。
- 遠慮なくゲラゲラと笑う感じの声しかできず、なんだか下品な笑い方をしているように感じて自己嫌悪に陥る。
- 明石家さんまさんの笑い声(ファー)のように、特徴的な笑い声をしてしまって変に目立つ懸念がある。
などの理由で、笑顔になったり笑うことが求められる場面を避けようとするのです。
なお、相手の笑顔に対してなんとなく不快なもの感じて、見たくないのなら目をそれとなく背けたり、相手の方を見ずに話すようにすれば解決できますが、声(音)の場合はそうもいきません。
相手の笑い声が不愉快だからといって、耳を塞ぐような真似をすればたいへん失礼であるために、不愉快に感じてもてそれを我慢している人は意外と多いものです。
そうした笑い声に不快感を抱く人の苦しさを理解すればこそ、自分の笑い声が他人に強く不愉快な思いをさせているものだと感じてしまい、余計に笑う場面そのものを避けることにつながるのだと考えられます。
笑いのツボが周囲からずれており悪目立ちを避けるためにも、笑わないようにしている
笑顔や笑うことに対してコンプレックスを抱く人には、笑うシチュエーションの独特さ…つまり、自分の笑いのツボが周囲とはズレていることが原因となっていることも考えられます。
多くの人が笑う場面では笑う気が起きない。そのくせ、笑うべきではない場面に対してシュールさや滑稽さを感じてつい笑顔がこぼれてしまう。しかし、大半の人は、なぜ笑っているのか理解できないだけでなく、笑うべき場面ではない場面で笑ってしまう自分の異様さや非常識な点を非難するものです。
そんな経験を繰り返しているうちに「自分が笑うと周囲は怒る」と学習し、自然と笑顔を避けることが染み付いてしまうのです。
皮肉・風刺ネタ、他人が不幸になる場面で感じる妙な高揚感、不謹慎な場面で感じるシュールさ(例:お葬式で笑ってしまう。説教を受けている時に笑いがこみ上げる)など、分かる人には分かる笑いのツボは世の中には存在しているものの、それが多くの人から受け入れられたり理解を示されるかは別です。
理解されないために笑うことや笑顔になることを否定された経験が転じて、笑顔そのものに対する苦手意識につながっているのです。
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笑うのにいちいち気を遣うのがアホらしくなって、笑顔そのものをやめた
- 「自分の笑顔や笑い声は他人を不愉快にさせていないだろうか?」
- 「どんな笑顔をすれば他人から気に入られるだろうか?」
- 「どうすれば、コンプレックスを感じない笑顔ができるだろうか?」
…と、コンプレックスを気にしていちいち笑顔をするために神経をすり減らすのがアホらしくなった結果、「だったら最初から笑顔にならなければ悩むことはない」という結論に至り、笑顔をしなくなるのです。
笑顔のためにあれこれ考えても疲れるだけ。精神的にも顔の筋肉的にも笑顔のためで疲れるぐらいなら、ポーカーフェイスなままでいれば気楽である。だから、あえて笑顔を封印するのです。
笑顔になれない事で苦しむこと
「気にしすぎ」といわれるだけで、理解されることはあまりない
笑顔に関する悩みを打ち明けても「気にしすぎ」「自意識過剰」という言葉でバッサリまとめられ、なかなか理解されないことで苦しみを抱えるのです。
もちろん当人以外からすればコンプレックスの類は、どれも取るに足らない小さなことで悩んでいるように見えてしまうものですが、そのことが余計にコンプレックスを理解されない苦しみを増すのです。
周囲が笑っている場面で笑えない自分に劣等感を持ってしまう
笑うことそのものに苦手意識を感じているために、周囲の人が自然と笑っている状況でも笑うことができない自分に劣等感や負い目を感じることがあります。
- 「周囲の人が普通にできていること(笑顔)が自分はできていない」
- 「自然にできていることに苦手意識を覚えていて劣っているように感じる」
などの劣等感により、自己肯定感を下げることもあります。
なお、笑顔ができないからといって、無理に笑顔になろうとすれば、上述したように笑顔にまつわる嫌な記憶を思い出したり、自分の笑顔の歪さと向き合わなければいけない、など別の悩みに苦しむこともあります。
つまり、笑っても辛い、笑わなくても辛いという、ジレンマを抱えてしまい余計に辛さを増してしまうのです。
面白くない人、無機質な人と見られて交友関係が気づきにくい
「ポーカーフェイスな人」と好意的なイメージがつけばいいのですが、笑顔を含めて感情表現の乏しさが災いして、
- 面白みのない人
- 無機質で関わりづらい人
- 単純にコミュ障をこじらせている人
など、悪印象がついてしまうことも少なくありません。
親近感がわきにくいために、積極的に交友関係を持とうという気になる人も出にくく、友達や恋人ができづらく孤独に苦しみやすい人とも言えます。
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笑顔ができないからこそ助かるネット上の顔の見えない関係
ここまでは笑顔ができないことに関する暗い話しばかりをしてきましたが、そんな人に顔の見えないネット上のやり取りというものは、とても気楽な人間関係を構築する場所だと感じます。
いまでこそ、Facebookのような実名顔出しのSNSやYouTuberやTikTokerのような顔も含めて自分の個人情報をネット上で発信することで、人間関係を築く人の存在は多いものですが、匿名でかつ自分の表情も見せずに、テキストだけで交流が完結可能なネット上の人間関係は、リアルの人間関係で感じる笑顔を見られることへの悩みを感じることがないために、たいへん気楽で居心地がいいのです。
かくいう筆者も、あまり自分の笑顔に自信がなく、笑顔を見せることに恥ずかしさや居心地の悪さを感じることが多いために、自分の笑顔を人前に晒さなくてもすむネット上の人間関係のメリットを強く感じる次第です。