風邪予防や花粉症でもないのに、マスクが外せなくなる状態のこと「マスク依存症」という呼びます。
「マスク依存症」という名称は、アルコール依存症などの正式な病名や病気ではなく、あくまでも状態を分かりやすく示すために使われている便宜的な言葉です(なお、2011年6月には書籍として『[伊達マスク]依存症』(扶桑社)が出版されています。)
今回は、このマスク依存症の原因と背景について、お話いたします。
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伊達マスクが外せなくなる原因・背景
自己肯定感の低さ、自分への自信の低さ
自分で自分を大事にできない。自分のことが嫌いで、情けなくて、自信なんか持てなくていつも不安である。
そんな自分が感じている不安をすこしでも和らげる盾として伊達マスクを身につけてしまう。当然、不安を抑えるための防御策としてマスクを装着しているので、マスクを外す事は弱い自分をそのまま不安が多いマスクの外の世界に晒すことと同じように感じてしまいます。
こうして見ると、マスクなんかに頼らざるを得ないほどに追い詰められているとか、肝が小さくストレス耐性が弱く見える人と、ネガティブに印象を持つかもしれません。
しかし、漠然とした自信のなさや不安を抱えつつも、マスクを装着することでなんとか社会との接点を持ち続けている点は、自信が無いなりにも社会に適応のための努力を怠らない真面目さがあると考えることも可能です。
他人の視線に対して自意識過剰になっている
伊達マスクは、自分の顔の下半分に向けられるている視線を、マスクという物理的なフィルターを元に遮断することができます。
他人から向けられる視線に対して、過度な不安や緊張を抱いていたり、視線そのものに対して敏感に反応してしまう人からすれば、伊達マスクは他人の視線からくるストレスを抑えるための防具とも言えます。
しかし、感じている視線は必ずしも伊達マスクをしている本人が周囲から目立っているとか、何か目を引く特徴があるから必然的に見ているというわけではなく、その多くは自意識過剰で自分の中の思い込みが肥大したものが原因と考えられます。
親しい人から「そんなに周囲の人があなたの顔を見なきゃいけないほど、暇な自慢はないよ」と最もなことを言っても、本人からすれば「自分は多くの人から見られている」という自意識過剰さを捨てきれない。その苦しみを抑える手段として伊達マスクが用いられているのです。
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他人と関わることを避けたい気持ちが強い
伊達マスクは顔の下半分…特に、喜怒哀楽を大きく表現できる口を隠してしまうために、「表情を読み取るのが難しくて近寄りがたい人」というイメージがついてしまいます。
しかし、近寄りがたい雰囲気を持つ事は、自信のなさやコミュ障な性格のために、他人と関わることを強く避けたい願望を持つ人からすれば好都合です。
わざわざ自分から「話しかけないで」と言わなくとも、周囲の方から察してくれて話しかけられずに、人間関係の煩わしさから開放された落ち着いた状況を手に入れることが可能です。
SNSやネット上での身バレ対策としてのマスク
ニコニコ動画やyoutuberなどの動画配信サイトで活躍している人のなかには、伊達マスクを装着している人が目立ちます。
これはただ彼らが若くて伊達マスクをファッションの一部として捉えているだけでなく、自分のことを知っているリアルの友人や知人に対しての身バレ(=顔と名前などの、個人の情報が特定されて紐づけられること)を防ぐためとして、顔半分を隠せる伊達マスクを使用しているのです。
とくに、ネット上でのキャラとリアルでのキャラが極端に違っていたり、リアルの人間関係ではネット上の自分のイメージを持ち込みたくないし、バレると何かと都合が悪い場合においては、伊達マスクは非情に役に立つアイテムです。
ネット上で目立って承認欲求を満たしたい。しかし、承認欲求を満たしている姿をリアルでの自分を知っている人には知られたくないという、複雑な願望を満たすことが伊達マスクでは可能になります。
最後に、伊達マスクの下ならバレず本音を出せる
最後に、伊達マスクをしていれば、当然周囲からは自分の口の動きを目で確認することはできません。
このことは、自分の口や歯に関するコンプレックスを隠す効果だけでなく、例えば、目では笑っていても、口は「へ」の字の口にして、自分の素の感情を周囲にバレることなく出せる。
つまり、社交辞令として目元では穏やかな表情をしつつも、内心は怒りや不満などをマスクの下に隠している口で表現して発散することができます。
苦手で嫌いな人間に対して仕事で対応するときに、目元では穏やかな印象を与えつつもマスクの下では愚痴や不満を口パクで言ったり、「あっかんべー」と舌を出して挑発的な態度を取ることも、伊達マスクならできてしまいます。
接客業や営業職などに限らず、社内の人間関係や学校での人間関係など、嫌いな相手だけど仕方なく付き合わなければいけないことに葛藤を覚えている人にとっては、目の前にいる相手に対してマスクの下で挑発的な態度を取れてしまうことは、ある種の誘惑のように感じるかもしれません。
- 苦手な人に対してストレートに「嫌い」「うざい」「ムカつく」と口パクでバレずに言える。
- 無理に笑顔を作らなければいけない場面で、あえて真顔になって楽をすることができる。
こうした、普段ならできないことも、伊達マスクがあれば可能。
伊達マスクがあれば自分の感情の全てを抑圧しなくても済む、いや、むしろ抑圧せずに吐き出してもバレないし、マスクの下で舌を出している光景を思い浮かべたら、あまりのシュールさに目元がついにっこりとなるかもしれません。そうすれば、不毛な我慢から(多少は)開放されて、スカッと爽やかな気持ちになれることでしょう。
日本では一般的に、本音を言ったり、感情的な態度に出ることを良しとせず、その場で作った自分のキャラや役割の方を重視して、人間関係の和を大事にすることがコミュ力であるという風潮があります。
この風潮のおかげで場を乱すような行動をする人が減る一方で、その反動として抑圧している感情をバレずに吐き出したいという欲望が生まれ、伊達マスクをする人の増加という形で現れているのかもしれません。
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参考書籍
[伊達マスク]依存症 ~無縁社会の入り口に立つ人々~ (扶桑社新書)