他人の成功を自分の事のように喜べる人がいる一方で、他人の成功に対して素直に喜ぶことが出来ない人もいます。
他人の成功が喜べない人は、
- 自分を否定されたように感じる
- 自分の未熟さを認めてしまうことになる
- 自分のプライドが傷ついてしまう
と感じてるために、素直に成功を喜ぶことができないのだと考えられています。
もちろん、
- 過去に付き合っていた恋人が結婚した
- 勉強や仕事の競争相手が社会的に成功をなし得た
- 自分の志望していた企業に自分は落ちたのに友達は就職した…
などの複雑な状況だと、なかなか素直に喜ぶことは難しいものですし、喜べないからと言ってその人をむやみに否定できるものではないと思います。
「他人の幸せを喜ぶ」という行動を見ても、それが自分に取って関わりの深いことなのか、対して関わりのないことなのかで、喜べるかどうかは変わってくるものなのです。
今回は他人の成功を喜べない人の心理についてお話いたします。
目次
他人の幸せや成功を素直に喜べない人の心理・特徴
相手を認めると劣等感に苦しまされる
他人の成功を認めてしまうと、「自分はまだ成功していない」「自分は他人と比べると劣っている」という劣等感に苦しまされるので、素直に成功が喜べなくなってしまうことがあります。
他人が華々しく成功している姿は、まるで後光が差すように光り輝いて眩しく見えますが、光が強ければそれだけ、「成功していない」「失敗している」人たちの闇の部分がはっきり浮き上がらせてしまう原因になります。
相手と自分とを比較して未熟さを思い知らされる
成功する人が身近にいると苦しさを感じてしまうのは、無意識のうちに成功している人の光の部分のせいで、自分の闇の部分を認識せざるを得ないからとも言えますね。
同じクラスに勉強がものすごくできる人がいれば、その分自分のちっぽけさが自覚しやすくなります。
同じ部活に運動がものすごくできる人がいれば、その分自分の非凡さを自覚しやすくなります。
勉強やスポーツのように競争のある社会だと、点数という客観的な評価で優劣を付けられ、自分の実力が全体でみてどのあたりにいるのかという事を思い知る場面は出てきます。
そこで、自分よりも上の成功している人が身近にいてその人の活躍っぷりを認めてしまうと、自分の未熟さを強く感じてしまうのです。
もちろん、自分が未熟だと思いしって嫉妬の気持ちを抱く事そのものは誰にもありますが、嫉妬の気持ちをうまく処理できないと、成功している人に対して辛く当たったり、悪口を言ってしまい、トラブルの原因となります。
嫉妬で自尊心が傷つくのと恐れて悪口を言ってしまう
たとえば大学受験で、自分が目指していた大学に落ちてしまった一方で、友達が自分の志望していた大学に受かってしまった場合、素直に喜ぶのは難しいものです。
場合によっては「合格したのはまぐれだったのでは?」「上には上がいるのだから受かれないほうがいい」と、負け犬の遠吠えのようなセリフを吐いてしまう事もあるでしょう。
他人の成功に対してケチをつけて素直に喜ばないことは、ただ相手を傷つけようとしているのではなく、自分自身を傷つけないためのものであったり、劣等感から目をそらすために言っているのだと考える事ができます。
これは、自我防衛機制の合理化と考えることができる、自分が受け入れがたい現実(この場合は他人の成功)を前にして、なんとか理屈をつけて受け入れ用としている、悪口を言うことで成功そのものを過小評価し現実を必死に受け入れられようとしているのです。
成功の仕方に不満や疑問があるから素直に喜べない
例えば、ビジネスの世界において大成功している人がいたとしましょう。
その人が言っていることを聞く限りでは、ちゃんと努力をしてしっかり業績を上げているように聞こえますが、その裏では胡散臭いビジネスをしていたり、法律的にグレーで詐欺に近いことをして儲けていたとわかってしまうと、素直に成功を喜ぶのは難しいですよね。
もしも、ここで相手の成功を認めてしまえば、胡散臭いビジネスで儲けることを認めてしまうことになります。
なんだか自分がグレーなビジネスの片棒を担いでいるような気持ちになってしまう。
無批判に喜んで応援してしまうと、グレーなビジネスの被害者を増やしてしまうような気がしてならないので、素直に喜べないというわけです。
世の中には成功した自分を演出するために、誇大広告のようなグレーな手法を使って自の実績を大きく見せたり、誤解を招くような方法で成功したとして自分を売り出す人もいます。
成功している自分を演出させて、例えば自己啓発セミナーやサロンの契約を迫るなどの情報弱者を狙った商売に、何も実体を知らず騙されていく人を増やしたくないがために、あえて成功を喜ぶではなくツッコミや疑問を投げかける人もいます。
自分に身近な幸せほど素直に喜びにくい
「他人の幸せ」と言っても、その他人が自分にとってどんな間柄なのかによって、喜べるかどうかは変わってきます。
比較的素直に喜べる人というのは、
- 自分とは全く関係のない分野・世界で成功している人
- 自分の実力よりもはるかに下の人
といった、自分に身近ではない人の成功だと、喜びやすくなります。
自分と全く関係のない分野、例えば自分とは全く縁もゆかりもない、海外の学者が人類の発展に大きく貢献する功績を認められノーベル賞を受賞した、というように直接会ったこともなければニュースで初めて知ったような人の成功だと、簡単に喜べてしまうものです。
また、自分よりも実力が下の人の場合も、成功する姿を見ても自分の立場が脅かされることは考えにくく、また「自分も同じような経験をしたなぁ…」と微笑ましい気持ちで余裕を持って接することが出来るので喜べてしまうのです。
逆に素直に喜びにくい人というのは
- 自分の立場や実力と同じ人(同期、同僚、同級生、友達など)
- 自分の立場や実力が近い(会社や部活の先輩・後輩など)
- 自分がライバル視している相手
といった、自分に身近な人成功ほど、喜びにくくなってしまいます。
立場が近く、お互いに意識しているだけに、素直に喜びの気持ちを示そうとすると劣等感や未熟さ感じやすくなります。
また身近な人だけ成功の背景(例えば、親が金持ち、練習をサボっていたなど)を知ることもできてしまうので、悔しさや嫉妬から素直に喜びにくくなりがちです。
身近な間柄だからこそ「成功おめでとう、…でもね」と、つい余計な一言を言ってしまいがちになるのです。
なお、身近な人でも家族や兄弟、親戚などの間柄の場合、素直に喜ぶことができることもあります。
他人の幸せを喜べない場合は、無理に喜ばないのも方法の一つ
他人の幸せを見ても、自分に無関係なら喜びやすい、関係のある人だと複雑な気持ちになり喜び辛いものです。
そして、喜べない自分を自覚して
- なんて自分は心の余裕がない人間なんだろう
- なんて自分は大人げない人間なんだろう
- なんて自分は嫉妬深く、嫌味な人間なんだろう
と、心を痛めてしまう人も少なくありません。
「祝福すべき場面なんだから当然祝福するべきだ」という同調圧力を感じてしまう人もひょっとしたらいるかもしれません。
しかし、そこで無理に喜ぼうとしてしまっても、自分で自分が嫌になるのなら、無理に喜ぼうとせず一人で落ち着く時間を持ってみるのも対処法の一つです。
人の幸せを素直に喜べない状況になって、下手に悪口を言ってしまうぐらいなら、少し距離をおいて精神的な余裕が生まれるまで、時間をとってみるのも大事です。
時間をおいて余裕が生まれたら、その時にちゃんと喜びのメッセージを伝えればOKですし、時間の経過に伴い自分の立場も変わることで、前よりも他人の幸せに対してそこまでオドオドしなくなる可能性もあるかもしれません。
「他人の幸せを喜べない自分はダメ、劣っている、クズ」と自分を追い詰めないためにも、時間や状況が悩みを解決してくれる可能性を考慮してみるようにしましょう。
嫉妬の気持ちを自分の自信つけるために利用してみる
他人の成功を見て嫉妬の気持ちが収まらないという人は、嫉妬の気持ちを自信をつけるためであったり、自分の勉強や仕事での成功のために活かしていくのも効果的といえます。
ただ相手の成功にケチをつけるのではなく、「自分に活かせる仕事術や勉強の方法はないか?」と探ってみて、取り入れていけば嫉妬の気持ちをうまく昇華することができます。
なお、嫉妬を原動力として頑張るのは非常に辛く、なかなかうまくいかずに挫折したり燃え尽きてしまうリスクもあります。
ただ嫉妬だけで頑張ろうとするのではなく、嫉妬以外の気持ち…例えば、
- 「もっと知りたい!」という探究心が刺激されるから頑張る
- 将来やりたい仕事に必要だから頑張る
などの、明確なモチベーションや目標をはっきりした状態で、頑張るのがいいでしょう。
そして頑張る時は適宜休憩も挟みつつ、自分にとって快適なペースでちゃんと続けることができるように、スケジュールを立てるようにしましょう。