わかっちゃいるけどやめられない…といえば、スーダラ節に出てくる有名なフレーズであり、人間が持つ矛盾した心理の一つを的確に表しているフレーズでしょう。
とくに「自分よりも劣っている存在を見つけて安心する、愉悦を感じる」という、実に人間の意地悪な部分が垣間見える行動は、まさに「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズがぴったりです。
もちろん、倫理や道徳の観点で見れば「自分よりも劣っている人を見て安心するのは、醜く卑しい行動であり、およそ推奨できるものではない」という声が上がってくることでしょう。
しかし、一方でその行動により「自分はまだドン底ではないんだ…」と、妙にホッとした気持ちになったり、「自分よりも頭脳・見た目・性格が悪い人がいるので、自分はまだマシだ」と安心感をついつい覚えてしまう…という心理的な報酬を感じる側面があるからこそ、わかっちゃいるけどやめられないのだと言えます。
今回は、そんな自分より劣った人を見て安心する心理に関する考察について、お話しいたします。
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目次
条件付きの自尊感情から見る「自分より劣っている人を探す心理」
自分より劣っている人を見つけて安心感を覚える行動がクセになるのは、その行動により自信や自尊感情が高まるというメリットがあります。
自尊感情には
- 条件付きの自尊感情:何らかの権威やある特定の場面を根拠にした自尊感情のこと。条件となるものが消滅すると、自尊感情が揺らいでしまうとされている。
- 無条件の自尊感情:何の条件も必要なく、一個人としての自信に基づく自尊感情のこと。条件付きの自尊感情よりも安定しているとされている。
の二種類あります。
当然ながら、メンタル面の強さを身に付けるためには「無条件の自尊感情」を重視されていますが、かと言って条件付きの自尊感情が効果が無いというわけではありません。
条件付きとは言え、自尊感情が手に入ることには変わりはない。ただし、自分を取り巻く状況の変化によって、自尊感情が手に入らなくなってしまうという不安定な性質を持っているという点が、条件付き自尊感情の弱点なのです。
ネット上で自分よりも各下の存在を探すことの容易さ
しかし、もしも条件付きで手に入る自尊感情が、非常にゆるい条件であり、一度無くなってもすぐに他の場面で容易に再現できるものだとすれば…。
つまり、ネットやSNS、youtubeなどの検索機能を使って、いつでもどこでも自分より各下の存在を探し出せる状況こそが自尊感情の源であるとすれば、一応は条件付きではあるものの、それなりに安定した自尊感情を保つことが可能になります。
ネット上では、検索一つで自分よりも頭脳や学歴が無い人、容姿や身体能力が劣る人、収入や社会的地位が劣る人、友達やフォロワーの数が少ない人…など、あらゆる要素で自分よりも劣っている人を簡単に探し出せます。
加えてリアルの世界とは違い、自分の素性や本性を明かさなくてもよいし、ましてや相手に自分が他人の粗探しをしていることや、見下して優越感を味わっていることが、ばれる心配もまずない。
おまけに、もし自分が見下していた人が自分より格上に成り上がったとしても、また検索し直して別の人をターゲットにすれば、簡単に優越感を感じれるという手軽さも魅力的です。
SNSやyoutubeのように、すぐさま拡散される要素を持つ媒体では、それこそ毎日のように自分よりも劣っている人の情報が流れてきて、優越感を感じることには苦労しないでしょう。(なお、毎日劣っている人の情報が手に入るという点では新聞、TVも同じではある)
そんな手軽且つローリスクで優越感を得られる、ネット全盛の現代は、かつて日本で見世物小屋や処刑所が存在していた時代よりも、条件付きの自尊感情を簡単かつ安定して得やすい時代であると言えます。
そして同時に、気を抜いてしまうと自分よりも劣っている人探しに没入しやすい…という、危うさと隣り合わせな時代であるとも言えます。
劣っている人を探す心理と「気分一致効果」
自分より劣っている人を探したり、他人を見て何か劣っている要素がないかと探してしまう心理については、「気分一致効果(感情一致効果とも)」が参考になります。
感情一致効果とは、人間は気分に一致していない情報よりも、気分に一致している情報を求めたり、より記憶してしまう現象を指す心理学用語です。
ある人を見たときに、その人の劣っている情報を見つけようとしてしまうのは、気分一致効果を元に考えると、「他人を見下して優越感に浸りたい」「相手は価値のある人間ではない」という、卑しい気分に無意識のうちになっている。
加えて、見下したい気分になっているときには「相手のいいところを見つけて尊敬したい」とか「相手は自分から見て価値ある人間のはずだ」という気分にはならないので、必然的に他人の長所は無視して、短所ばかりに注目してしまうのです。
なお、気分一致効果は、気分と一致している情報を記憶すると、その情報が思い出されやすくなるとされています。つまり、自分より劣っている人や部分が情報として記憶されると、その後何かあるたびに、その情報をつい思い出してしまうのです。
自信がなくなってくじけそうになった時に「まぁ、あの人よりは自分はマシだよね…」と、つい自分より格下の存在を思い出して優越感に浸るのは、まさに気分一致効果の性質ゆえに起きる現象だと考えられます。
報酬不全症候群から見る劣っている存在を探すのがクセに理由
冒頭で自分より劣っている人を探すことは「わかっちゃいるけどやめられない」ことに近いと触れましたが、これについては報酬不全症候群という概念が参考になります。
報酬不全症候群とは、心理的、経済的、物質的報酬を手にしても、その報酬に価値や満足感を得られなくなる状態を指す心理学用語です。
とくに、手軽に報酬が手に入る場合だと、その報酬に対する満足感が薄まってしまうために、楽に手に入るものを更に求めてしまう傾向があります。
たとえば、不摂生な食生活で太った人が、手間のかかる自炊よりも、手軽に食べられる食品(加工食品、惣菜など)を好むのは、後者のほうがすぐに食べられるという手軽さがあるために、食べるものに対する満足感が不十分になる。
そのため、十分な満足感を得るためにも、手軽に食べられるものを大量に摂取する。その結果が、肥満という身体の変化に現れているのだとされています。
報酬不全症候群を元に考えると、簡単に自分より劣っている人が見つけられる状況は、簡単に劣っている人が見つかるからこそ、満足感や優越感など心理的な報酬は十分に得られなくなる。
そのため、自分よりも劣っている人を探すことに多大な時間を費やし、劣っている人探しが癖になってしまうのだと考えられます。
かつて存在していた見世物小屋や処刑場のように、いわば自分より劣った人を見ることが暗黙の了解とされていた場は、当然ながら現地に行くためには歩くなりなんなりの労力を要するものでした。
その当時に、スマホ、ネット、TV中継などの文明の利器や技術はなく、自分より劣った存在を見るのにも、それなりの苦労を要したものです。
しかし、現代ではスマホ、ネット、TV中継があるのは当たり前であり、自分より劣った存在を見つけるのには、そう苦労することはない世の中と言えます。
そんな、世の中だからこそ自分より劣っている人の存在を見つけても、心理的報酬は手に入るには入るが、十分な報酬とは呼べない。その満たされない気持ちを埋めるために、劣っている人探しに夢中になるのかもしれません。
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