他人を見下し自分の方が上だとアピールしたがる…つまり、マウントを取りたがる人というのは、付き合うのに苦労することが多くて面倒な人として見られると同時に、そんなめんどくさい人間に自分がなるような事態にはなりたくないなぁと感じている人は多いと思います。
今回はそんなマウントを取りたがる人の心理についてお話しいたします。
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マウントを取りたがる心理・背景
自分を大きく見せたい、注目されたい欲求が強い
マウントを取る人の動機として考えられるのが、自分をより大きく見せて、注目を浴びたい欲求が強いことです。(=承認欲求の強さ)
もちろん、注目を浴びる方法は何も自分を盛ったり、他人を引き立て役として利用し自分を大きく見せる方法以外にもあるのですが、ただ自分で自分を「すごいんだぞ!」と言い張るのは、比較対象がないために具体的に何がすごいのか周囲から理解されにくいし、自画自賛しているように見られてみみっちい人だと思われてしまう不安がある。(他人をマウントする時点で十分みみっちいとは思うが…)
そのため、自分をよく見せるために比較対象となる人がいる場面でのみマウントを取る。自分の優秀さを効率的にアピールしたいという意図が、マウント行為に込められているのだと考えられます。
もちろん、アピールするために見下されて利用される側になった人からすれば、たまったものではありません。自分一人では自分をアピールができず、他人を利用して効率よく自分をよく見せようとする小賢しさこそが、マウントを取る人に感じる強い嫌悪感の正体だと言えます。
他人に対する競争意識が強い
マウントを取りたがる人は、他人に対する競争意識が人一倍強い、勝ち負けや優劣に強いこだわりを持っている傾向があります。
学力(偏差値)、学歴、収入、体重や身長、身体能力(持久力、筋力など)…などマウントを取る事柄の中でも、数字や客観的な根拠で比較できて且つ競争意識を持ち込みやすいものはたいへん好都合です。シンプル且つ明解に自分が優れているor劣っているかがわかるために、好んでマウントを取りたがるのです。
もちろん、競争意識の強さが地道な努力や自己研鑽に向かえば「マウントをしてきて迷惑な人」だと見られる問題は避けられます。
しかし、競争意識の強さは後に述べるように「人間関係は見下すか見下されるかしかない」という両極端な思考を招いてしまう。そして、両極端な思考のせいで人と対等な関係を築く事が難しくなったり、他人は全員競争相手や敵と見てしまうことで、過度な恐怖感や不安を抱える。そして、それを解消するためにマウント取ることに躍起になるのです。
人間関係は「見下す」「見下される」の二種類しかないと考えている
マウントを取りたがる人が持つ対人意識で目立つのが、対人関係は「見下す」か「見下される」かの二種類しかないという考えです。
もしも自分が見下す存在になれば、優越感を味わえると同時に他人を自分の思い通りに支配できる立場になれる。一方で自分が見下される存在になれば、敗北感を味わうと同時に自分は他人から支配され不自由な立場に縛られてしまうと考えているのです。
マウントを取りたがる人は、こうした自身の思考の極端さからくる不安に苦しめられている人だと分析することもできます。
リアルでもネットでも「他人が自分を見下してくるかもしれないから、見下される前にマウントを取って自分が優位にたたなければ安心できない」と、他人は全員競争相手であり敵であると見なしてしまう。その思考の極端さゆえに不安に囚われ、それを解消するためにマウントを取っているのだと考えられます。
なお、いわゆる体育会系の組織のように明確な上下関係・縦社会で成り立つ集団の場合、他人に対してマウントを取りたがる人でも溶け込め、トラブルが少ない人間関係を築くきやすいと言えます。
上下関係による多少の理不尽(しごき、パシリ、後輩いびり…など)が良くも悪くも文化として認められている組織であれば、普段ならマウントを取りたがって煙たがられる人でもあっても、それなりに順応しやすいと考えられます。(もちろん、部活内のハラスメントがニュースになる昨今の状況を踏まえると、体育会系の組織においてマウントをとり続けること自体、あまり推奨できるものとは言えませんが…)
他人を見下すことで不安を解消したい
マウントを取りに成功すれば「自分は最下位ではない」「まだ自分よりも格下の人間がいる」という安心感を得られます。
自分より下を見て満足すること自体、なんだか卑しくて下品で自分の自尊心に傷がつきそうな行動ではありますが、一方で自分を磨く手間暇をかけず、手軽に自分の自尊心を満たせる、漠然とした不安を解消できるメリットもあります。
他人の不幸を喜ぶことが癖になるように、自分より頭の悪い人、運動神経が悪い人、収入が低い人、容姿の面で劣っている人…などが身近にいると、相対的に自分の方が優れていると感じれるからこそ、ついやみつきになるのだと考えられます。
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余談 マウントを取りたがる人がマウントを取らない相手について
マウントを取りたがる人と言っても、その人が無差別に他人にマウントを取ってばかりではありません。
マウントを取りたがる人の中にも、
- わざわざマウントを取るまでもないほどに圧倒的格下の人。
- 相手の方が圧倒的格上であり、下手にマウントを取るよりもへりくだる方が合理的な人。
と、マウント以外の方法で付き合うことを検討する相手もいます。
圧倒的格下の相手に対してマウントをとっても、勝って当たり前の勝負挑んでいるようなものであり、十分な満足感や高揚感は得られない。
むしろどう考えても自分の立場を脅かすような強敵にはならない安心感があるので、比較的穏やかな(上下から成り立つ)人間関係を築く。場合によっては「圧倒時格下の人でも尊敬する姿勢を忘れない謙虚な自分」を演出することで、今まで以上にマウントを取れる立場へとランクアップすることもできます。(もちろん、圧倒的格下だからといって必ず見下さないわけではないが…)
逆に、圧倒的に格上の相手にマウントを取ろうものなら返り討ちにあい、自分の立場が危うくなるのは明白。
そんな目に遭うぐらいなら、逆に媚を売って「社会的地位が高い人に認められているポジション」に成り上がり、今まで以上にマウントを取れる立場にランクアップする方が合理的です。
従ってマウントを取りたがる人から見て、積極的にマウントを取りたいと思える人は「自分とだいたい立場や同じ、あるいは少し劣っている」カテゴリに属する人だと言えます。
逆に、立場があまりにもかけ離れている場合は、見下す行動に見合う価値があまりないのでマウント取りには消極的になるのです。
マウントを取りたがる人は節操無く他人にマウントを取るのではなく、むしろ他人をよく観察しており、その上でマウントを取る相手を見極める狡猾さやしたたかさがある。そのジメっとした陰湿さゆえに、周囲から嫌われ煙たがられてしまう人と見られているのではないかと感じます。
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