自己犠牲をしてしまう心理について

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人間関係や仕事において、自分の健康や財産を犠牲にしてまで、他人や組織に貢献しようとすることは「自己犠牲」の代表的な行動でしょう。

自己犠牲はなかなかできないからこそ、実際に行う人に対しては多きな称賛が来るものですし、英雄を見るかのような熱い視線やエールを送られるものです。

また、損をするのにもかかわらず他人や集団のために尽くすその心意気に感動を覚えて褒めたたえたり、美徳であるとして持ち上げることが多いものです。

承認欲求を満たしたい、多くの人から注目を浴びたいという人からすれば、自己犠牲は簡単に自分の持つ願望を満たせる方法のようにも見えます。

今回は、そんな自己犠牲をする人の心理についてお話しいたします。

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どうして自己犠牲をしてしまうのか

悲劇のヒーロー・ヒロインになる願望を満たしたい

源義経、織田信長、坂本龍馬など、日本の歴史を大きく動かす活躍をしたものの、非業の死を遂げた人物に対して、憧れの気持ちがある。

しかし、かと言って本当に非業の死を迎えるのは怖いので、少しでも彼らに近づけるように不幸な状況や追い詰められた状況に自分を追い込む。そして、自分も悲劇のヒーロー・ヒロインになりたいという願望を満たそうとするのです。

なお、こうした憧れている人の真似をすることは、心理学の防衛機制の同一視と考えることもできます。

歴史上の悲劇のヒーロー・ヒロインが持つような人気や称賛の声を求めているものの、現在の自分はというと、それらを手にしていない状況で葛藤を覚えている。

その葛藤を解消する方法として、自分が憧れている悲劇のヒーロー・ヒロインと同じような行動を取っているのだと考えることができます。

「自分は特別である」という実感を得たい

自己犠牲が美徳として称賛されたり、英雄視されることを踏まえると「自分は特別な人間である」という実感を得たい人からすれば、まさに自己犠牲はうってつけと言えます。

自分が損をしようと、傷つこうと、それらをただ我慢するだけいいという手軽さ且つ単純さが何より魅力的です。

コツコツと勉強をして成果を出すというような地味で面倒な方法もいらず、ただ我慢するだけという手軽な方法で「自分は特別な人間である」という実感を手軽に得られます。

ただし、手軽に「自分は特別な人間である」という実感を得る方法は、コツコツ勉強してテストでいい点をとるという、自己犠牲をしなくても済む生き方から遠のくリスクもあります。

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自己犠牲をすることで承認されたい

特別であるという気持ちを求めることに通じますが、自分で自分は特別だと自己完結するのではなく、他人から特別な人間だと思われて尊敬されたい、注目を浴びたい、認められたい、という承認欲求の強さが、自己犠牲を招いていると考えることができます。

上でも述べたように、自己犠牲は我慢するだけという手軽さが魅力的であり、地道且つ正攻法な努力をせずに、簡単に自分の承認欲求を満たすことができます。

ただし、その手軽さに心を奪われてしまえば、自己犠牲以外の方法で承認欲求を満たすことが考えられなくなり、身体的にも経済的にも自分を破滅に追い込むおそれがあるので、承認欲求を満たす方法として疑問の多さが目立ちます。

予防線を張るための自己犠牲がやめられない

自己犠牲をすることが予防線を張るための行動である…と考えることもできます。

例えば、自分の健康を犠牲にしてまで勉強し、受験に挑んだ結果…

  • 合格:「自己犠牲をして合格できた」という事実を材料にして自分の実力を大きく見せるアピールが可能。周囲から大きな称賛を手に入れることができる。
  • 不合格:「自己犠牲をしなきゃいけないほど難易度の高い受験だったから、落ちても仕方ないよね」と不合格の理由が簡単に見つかり、過度に落ち込むのを防げる。周囲からも、「落ちたのは残念だけど、自己犠牲をしてまで頑張れたのは立派」と褒めてもらえる確率も上がる。

と、どちらに転んでも相応のメリットがあるので、自己犠牲をする癖が抜けなくなるのです。(ただし、健康を損なうのデメリットの大きさは無視できないが…)

なお、こうした予防線を張ってしまう心理は「セルフ・ハンディキャッピング」と呼ばれてます。

ただし、セルフ・ハンディキャッピングをすると、その後の行動で成功する確率が下がるというデータがあるのが、なんとも皮肉です。

そもそもで言えば、

  • 自己犠牲に頼らざるえないほど計画的な努力ができない
  • 自分の実力に合った目標が設定できない
  • 自分の体調管理を疎かにしてしまう

…などの要因が、成功確率の低下を招いていると考えれば、どうして失敗しやすいのかがすんなり理解できるかと思います。

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自己評価が低いため自己犠牲の無い生活に違和感を覚えてしまう

自尊心が低い、自己評価が低い人は、自己犠牲を強いられるような劣悪な環境の方が、居心地の良さを感じるために、自己犠牲がクセになるのです。

例えば、

  • DV(ドメスティックバイオレンス)を振るう彼氏を支える彼女。
  • モラハラ・暴言をしてわがまま放題な彼女のいいなりになる彼氏。

のように、一方の願望やわがままのために、もう一方が不利益を被り続けるものの、お互いに関係が途切れずに続いているカップルを見ると「なんでひどい目にあってるのに別れないんだろう…」という純粋な疑問を抱くかとおもいます。

しかし、不利益を被っている方からすれば「自分は大したことが無い人間だから、多少問題のある人の方が性に合う」と感じていたり、「むしろ自分の事を一人の人間として尊重してくれる人といると、なんだか申し訳の無さや居心地の悪さを感じる。」と感じるので、劣悪な関係の方をあえて選んでしまうのです。

自己評価の低さゆえに、自分を正当に評価してくれる相手や状況に対して違和感を覚えてしまう。

そして、自分を尊重しない乱暴な相手や劣悪な環境の方こそ「自分はダメな人間である」という自分の認知に合致し、違和感が少ないので、自己犠牲を払う関係を選んでしまうのです。

なお、こうした、自分の認知に合った人や状況を選ぶことは「認知的斉合性理論」と社会心理学では呼びます。

「自己犠牲=遠慮」と考えており、遠慮がエスカレートしていることに気づけていない

自己犠牲の発端は「遠慮」する行動にあると考えることができます。

自分よりも他人を優先することは、自己犠牲と言えば少し大げさかもしれませんが「遠慮」と呼ぶと、日常的な行動の一種であると同時に、奥ゆかしさや落ち着きのある大人の行動ができる人として評価材料のひとつになります。

ただし、次第に「遠慮」することがエスカレートすると、今度は「遠慮」という言葉では片付けられず、自己犠牲と呼んだ方がふさわしい自体になっても、当の本人が「私は遠慮をしているだけですよ」と、自己犠牲をしている事実に気づけなくなるリスクもあります。

遠慮することは確かに素晴らしいことではある一方で、その延長線上には自己犠牲がある。そして自己犠牲により自分が取り返しのつかない損をする可能性があることを知識として持っておくことが大事だと感じます。

他人からの同情を誘いたい

自己犠牲により悲劇のヒーロー・ヒロインになって「こんなにもかわいそうな俺(私)を見て同情してほしい、共感してほしい」という自分が抱いている願望を満たすことがやめられないからこそ、自己犠牲が癖になることがあります。

また、同情して可哀想な自分を周囲に認知してもらえば、承認欲求を満たすだけでなく、自分のわがままや個人的な要求を押し通しやすくなります。(まるで、アニメ「ちびまる子ちゃん」で火事になったことをいつまでも話題にし、周囲から同情を誘い自分の要求を通そうとする永沢君のよう…)

ただし、こうした同情を誘い方は、しばしば反感を招くことがあります。見え透いた「可哀想でしょ」アピールのせいで、素直に同情すると相手のいいなりになったような気がして癪に障るので、反発したくなるのです。

なお、こうした露骨な同情アピールに対して反発心を持つことは心理的リアクタンスの一種と考える事ができます。

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他人とコミュニケーションするのが苦手で自己犠牲で解決する方法を選ぶ癖がある

自己犠牲にならざるを得ないのは、他人とコミュニケーションをとるのが苦手であり、困ったことがあっても他人からの支援を得るためのコミュニケーションができず、結果として自己犠牲に頼らざるを得ない状況があるのだとも考えられます。

自己犠牲はそもそも自分が損をすることである以上、普通なら避けて通りたいものですし、続けていればいずれ自分の健康や財産を取り返しがつかないほど失うリスクがあります。

しかし、そうしたリスクを避ける場面において、コミュニケーションが苦手なために

  • 「他人にどうやって助けを求めたらいいのかわからない」
  • 「自分の要求を適切な相手に伝える方法がわからない」

と感じて、他人から支援を受ける事に抵抗を感じてしまう。

そして、「自分さえ我慢して状況が好転するのを待てばいい」と安易に結論づけて、自己犠牲を選んでしまうのです。

なんでも自分一人が我慢すれば、確かに他人と関わることの煩わしさから解放されるかもしれません。

しかし、自己犠牲を繰り返している以上、取り返しのつかない自体になって自己犠牲で乗り切ろうとして破滅してしまう、脆さや危うさがあり、決して万能とは呼べないのが実情です。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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