喜怒哀楽などの感情を表現することが苦手である。
あるいはそれらの感情そのものがあまり湧かないというか、今ひとつ感情というものがどういうものなのかが実感ができない…という悩みについて深く関連しているのが「スキゾイドパーソナリティ障害」という心理学用語です。
今回はそんなスキゾイドパーソナリティ障害から見る、感情表現が苦手であることについてお話しいたします。
スキゾイドパーソナリティ障害とは
スキゾイドパーソナリティ障害とは、他人や社会に対する関心が非常に薄く、表情の変化や浮き沈みも少ないという特徴を持つ、パーソナリティ障害の一種です。シゾイド(統合失調質)パーソナリティ障害と呼ばれることもあります。
その特徴ゆえに、社会から孤立するような事態になっても気にすることなく、むしろ孤独で隠遁生活のような状態の方が心地よく感じてしまうこともあります。
友達(親友も含む)、恋人関係のみならず、家族のように親密な間柄に対する関心も薄く、人と深く関わろうと欲求も薄いと同時に、他者と親しくなることに楽しみや喜びを感じにくいことが目立ちます。
なお、人間関係以外にも自分の身だしなみや髪型、体型といった身体的特徴や、他人からの評価や社会的な地位、名誉、財産、流行などにも関心が薄く、どこか浮世離れしているような印象を感じさせることが目立ちます。
なお、自己愛性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティ障害など、ほかのパーソナリティ障害と比較すると、他人と積極的に関係を持とうとしないために、他人を振り回す、巻き込むなどの迷惑沙汰になることがないのが特徴的です。
しかし、迷惑沙汰に巻き込まれないとはいえ、他者の関心の薄さ故に非常にとっつきづらい。感情表現も薄く、表情の変化が見られないので何を考えているのかがわかりづらく、学校や職場等で関わるとなれば苦労することが多い人でもあります。
また、スキゾイドパーソナリティ障害の人は他者に対する関心が薄く、普段の生活の中で頻繁に出くわすこと場面が少ない。
人と関わる欲求が少ないので、コンパに出かけたり、(社会人含む)サークル活動に参加したり、積極的に知ってる人と会って話したり…などの行動をしないので、日常生活の中でエンカウントすることも少ない。
このことが、スキゾイドパーソナリティ障害という概念が広まりにくく、認知度も低いことに繋がっているのだと考えられます。
感情表現が苦手である事とスキゾイド
スキゾイドパーソナリティ障害の人は、一般の人が喜びなどの感情を感じられるような場面になってもあまり喜びを感じない、あるいは喜びそのものを感じ無い。
普段から感情を表現することがなく、
- 冷たい人
- 他人に無関心な人
- テンションが低い人
- 喋ることも少なく何を考えているのか分からない人
と思われることが目立ちます。よく言えば大人しい人や静かな人、悪く言えば奇人変人という印象を持つこともあることでしょう。
スキゾイドパーソナリティ障害が感情表現が苦手である理由は2つの説があります。
幼少期に家庭内にて愛情の薄い子育てを受けていた、親以外の人や施設にて育ったという環境要因による説。十分な愛情やコミュニケーションを受けていないために、他人や自分の感情に対して学ぶ機会がなく、感情に対して鈍感な一面が形成されたという説です。
もう一つは、意欲や快感など感情面の機能に関与しているドーパミン系の受容体が多いために、ささいな刺激でも敏感に反応して不快感を覚えてしまう。だからこそ、あまり感情表現をすることもなく、自分自身も他人と関わることを避けようとする説です。
この説の場合、スキゾイドパーソナリティ障害の人は、感情に対して鈍感ではなく、むしろ敏感すぎるがゆえに、人と関わることに生きづらさを感じているといえます。
感情表現が苦手なことの原因と背景を探っていく際は、
- 純粋に他人や感情に対して鈍感なので興味や関心を示そうとしないのか
- 非常に敏感に反応してしまうからこそ、その辛さを避けるためにあえて関心を持とうとしていないのか
のどちらであるかについて、詳しく見ていくことが重要です。
なお、他人の感情に敏感と言う点に絞れば、近年書籍やウェブメディア等で認知度が上がっているHSPの概念にも通ずるものがあります。
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感情表現が苦手であることを克服すべきか?
スキゾイドパーソナリティー障害の人が、感情表現に対して苦手意識を持っているとしても、無理に「もっと感情豊か人になろう」「自分の気持ちをはっきり出すようにしよう」と克服することが、必ずしも効果があるとは限りません。
ドーパミン系の話でも触れたように、普段から対人関係における刺激に対して過敏に反応してしまうために、下手に自分自身の感情をオープンにして他人と親密関係を持とうとすると、かえって疲れを招いてしまう恐れがあります。また、無理に感情を込めた言葉や態度をすることそのものが、負担に感じることもあります。
常識や世間一般で良いとされている言われている、「積極的に心を開きましょう」「感情豊かに話そう」「他人と仲良くなりましょう」などの、自分の内面をオープンにして他人と関わりを持つことが、スキゾイドパーソナリティ障害の人にとっては逆効果になる可能性があるからこそ、必ずしも感情表現が苦手である事は克服すべき…とは言えません。
もちろん、これはスキゾイドの傾向を自覚している人だけでなく、スキゾイドの傾向がある人と関わる場合でも同じです。
スキゾイドの傾向がある人に対し「もっと表情豊かになろう」とアドバイスする事は、社会的に見れば正しいことかもしれません。しかし、その人の生きやすさの点でみれば、ありがた迷惑になることも考えられます。
余談 感情表現が苦手な事と時代・文化の関連
克服しなくても良いと上では述べたものの、それが社会や世間から受け入れられるか、もっと言えば自分と関わる人から必ず受け入れられるとは限らないのもまた事実です。(実に悩ましい)
上でも何度も触れているように、感情表現が苦手であるために、他者から見て非常にとっつきづらく、人となりが見えてこないので関わる方からしても負担を感じやすい。
これが学校や職場の人間関係となれば、集団生活に馴染めず、集団内で孤立してしまう、いじめや仲間外れの対象になる、最終的には社会からドロップアウトしてしまい引きこもり・貧困・無関心に苦しむ…などの問題に発展する可能性があります。
また、コミュニケーションにおいても、ノリの良さやテンションを合わせること、その場の雰囲気に応じて自分の感情表現も合わせていくこと(=空気を読むこと)が重視されている場合だと、スキゾイドの傾向がある人にとっては苦痛を感じてしまいます。
むやみやたらにテンション上げた会話はついていくのが難しいものですが、逆にテンションが低すぎてあまりにも淡々としている会話では、会話に加わる方も振る舞い方に困り、付き合い辛さを感じるものです。
繰り返しになりますが、感情表現が苦手であることを無理に克服しようとすれば、慣れないことをしているために疲れを感じてしまう。
かといって、感情表現が苦手なので無理に克服しない姿勢を貫いても、その結果コミュ力がないと見られて集団に馴染めず、生き辛さを抱えてしまう…こうしたジレンマを抱えてしまう事は、スキゾイドの傾向がある人特有のものだと感じます。
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