スキゾイドパーソナリティ障害とは、他人や社会と関わることに関心がなく、根っこから孤独を好む、感情表現も乏しくどこか達観している人物のように見られる…という、ユニークな特徴を持ったパーソナリティ障害の一つです。なお、シゾイドパーソナリティ障害、あるいは統合失調質パーソナリティ障害と呼ばれることもあります。
そんなスキゾイドパーソナリティ障害の人に対して、ややざっくりですが「優しい人」という印象を受ける人がいます。
では、どうして優しいという印象を受けるのか…今回は、このテーマについてお話いたします。
パーソナリティ障害の中でも比較的他者との衝突が少ないスキゾイド
スキゾイドパーソナリティ障害の人が「優しい」という印象を与えるのは、他のパーソナリティ障害と比較して、他人との衝突を滅多に起こさないことが大きな理由です。
たとえば、スキゾイド以外のパーソナリティ障害の例をあげると…
- 自己愛性パーソナリティ障害:自己愛が非常に強く、他人を見下したり、傲慢な態度を取るのが特徴的。そのため、他人と衝突することは多く「関わると面倒な人」と見られやすい。
- 境界性パーソナリティ障害:感情の浮き沈みが激しく、不安定な感情のせいで他人を振り回してしまう。主に、若い女性に多いとされている。
- 反社会性パーソナリティ障害:道徳や社会規範を守る意識が薄く、他者に対する共感性の乏しさが見られる。そのため、反社会的な言動に出てしまい、他人と衝突を起こすことが多い。
など、どれも社会生活の中で誰かに迷惑をかけたり、危害を加えてしまう特徴を持っている。社会と折り合うことが難しく、生きづらさを抱えている点が見られます。
そんな各パーソナリティ障害と比較すると、スキゾイドパーソナリティ障害は、そもそも他人に対する関心や興味が薄いので喧嘩や口論をすることもない。感情表現も乏しいので、怒りや悲しみ等の感情で他人を振り回すことも、まずない。
「障害」という仰々しい名前こそついているものの、偏見を持たずに見れば、非常に大人しく自分に危害を加えるような危なっかしい人間であるようには見られにくい。そのため、「優しい人」という印象が、自然とついてしまうのだと考えられます。
しかし、スキゾイドパーソナリティ障害は他者と衝突することはまずないものの、もとより他者に対する興味が薄いため、学校や職場など集団生活を送ることが求められている場面で生きづらさを抱えてしまうことがあります。
また、社会に対して関心があまりにもないために、つい無意識のうちに社会の道徳やマナーから逸脱する行動(例:他人との約束を守らないor忘れる、音信不通になる)などにより、社会に溶け込めずに悩むこともあります。
現代社会において生きづらさを抱えているという点では、スキゾイドパーソナリティ障害も自己愛、境界性、反社会性パーソナリティ障害と根底は同じです。
スキゾイドの優しさは消極的な優しさである
「優しい」と一口に言っても、慈しみや献身の心で相手に寄り添ったり、励ますような積極的な優しさと、相手を気付つけたり機嫌を損ねないようにあえて何もしない、そっとしておく、というような消極的な優しさの二種類あることは、普段生活を送る中で感じることがあるでしょう。
スキゾイドの人が見せる優しさは、そもそも他人に対して興味が薄いことから、積極的な優しさにはならず、消極的な優しさを見せるていると考える方が妥当です。
なお、消極的と書くと否定的な印象がつくかもしれませんが、他人を無闇に傷つけようとしない点では「優しさ」を持っている人と表現できます。(あるいは、人畜無害な人と表現してもいいかもしれない…皮肉の意味として使われることもあるけど。)
しかし、気をつけておきたいのが、何度も繰り返すように他人への興味が薄いために「相手が傷つかないように、ここはそっと見守っておこう」という、相手への関心や思いやる気持ちが非常に乏しい。
誤解を恐れずに言えば「悲しみに暮れている他人がどうなろうと興味はない。だから何もしていないのだ。」と他人に無関心なために、何もしないという行動を取っているに過ぎないということです。
なお、「他人がどうなろうと構わないから攻撃的な態度を取る」となれば、おそらく「優しい人」と見られることはありませんでしょう。
しかし、「他人がどうなろうと構わないから関わらない」となると、優しさであるように見えるが、見方を変えればネグレクト(育児放棄)のような、優しい虐待に通ずるものがあるとも言えます。
スキゾイドの人が見せる優しさに対して覚えておきたいこと
もしもスキゾイドパーソナリティ障害の特徴を持つ人が、自分に対して消極的な優しさを見せてきた場合、その優しさの中に自分を思いやる気持ちであったり、慈愛や献身の心を見出してしまうと、その後苦しい思いをしてしまう可能性があります。
自分が悲しく辛い状況にいるとしても、消極的な優しさを見せてきたために「この人は自分を見捨てないでくれている」という期待が沸くこともあるでしょう。
しかし、それはあくまでも期待でしかなく、スキゾイドの特徴を持つ人は、ただ他人に興味がないからこそ何もしてないだけに過ぎません。
過度な期待を相手に抱いたとしても「え、私はあなたに興味がないかた何もしなかっただけなのに…」という類のコメントを返されてしまった結果、「あの優しさはウソだったの?期待が裏切られた!」と、大きなショックを味わってしまう可能性があります。
また、ショックのあまり「あの人は優しい素振りやいい人っぽい姿を見せてるけど、実は自分に興味なんてない薄情な人間だ」と、なかば逆恨みに近い感情を抱くかないとも言い切れません。
しかし、この感情を生んだ原因は、(もちろんスキゾイドの人の不器用さもありますが)自分が勝手に期待を膨らませたことも原因の一部であると言えます。しんどいかもしれませんが、自分にも非や至らなさがあると自覚することが肝心だと感じます。
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