公正世界仮説「努力は報われる」「被害者にも原因がある」と考えてしまう心理的な理由

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スポーツをしている人の間でよく聞く言葉として「努力は報われる」というものがあります。

女子マラソンの高橋尚子選手の名言としても有名な「走った距離は裏切らない」という言葉にもあるように、努力をすれば必ず報われる、だから辛かった投げ出しそうになったりしても、努力を続ければそ必ずいいことがあるから頑張るのが大事、という言葉の内容に感動や共感を覚える人は少なくありません。

しかし、冷静に見れば努力すれば必ず報われる…というのは現実的ではありません。

たとえば、誰でも努力したら男子100Mのウサインボルトよりも速く走れるのか、イチローのようなメジャーリーガーになれるのか、と言れても…正直断言はできませんよね。

「努力すれば報われる」のように、頑張ればいい結果が待っているという考え方は、心理学では「公正世界仮説」または「公正な世界の信念」と呼ばれており、無意識のうちに不安にならないためにしている考え方の一種なのです。

今回は、「公正世界仮説」についてお話いたします。

公正世界仮説とは

公正世界仮説とは、「努力は報われる」などの良い行いをすれば良いことが起きるという、この世は公正であるという考え方に基づいた人間が持つ心理を指します。

しかし、公正世界仮説は良い側面だけでなく、悪い行いをすれば悪いことが起きるという説も含んでいます。

この世は公正である以上、良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが起きると考えるの、とてもシンプルですが多くの人から共感を得る考え方です。

幸せな人生を送っている人は、必死に自分のために努力をしたり、誰かから喜ばれるような努力をしたのだから幸せになっている。

一方で幸せな人生を送っていない人は、たとえば日頃から努力を怠り、人に迷惑をかけるような生活をしてきたのだから、不幸せになっている…と考えてしまうのが、公正な世界に基づいた考え方なのです。

四文字熟語の因果応報自業自得、信賞必罰も公正世界仮説とよく似ている考え方と言えます。

しかし、冒頭でも書いたとおりに努力したら必ず報われるというわけではありません。公正な世界であったら確かに幸せではありますが、現実はいつも公正とは限りません。

良いことをしても必ず良いことが起こるとは限らない、逆に良いことをしていても悪いことが起きてしまう、また良くも悪くもない微妙な結果になってしまうこともあります。

「○○すれば必ず△△」という考え方は、バイアスの影響を受けていたり、ときには現実が見えてない夢見がちな考え方だと思われることもあります。

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公正世界仮説を信じる理由

モチベーション、やる気を出すため

受験やスポーツなどの競争の場面では努力しても自分の思い通りに「必ず」なるとは限りません。

しかし、実際に受験やスポーツに打ち込む時に「結果的に失敗してしまう」という不安や恐怖と上手く付き合い、ひょっとしたら失敗して努力が水の泡になってしまうという受け入れがたい可能性に精神的に耐えられる人はなかなかいません。

理屈では、成功する人もいれば失敗する人もいるとは分かっていても、その理屈を受け入れてしまうと、やる気やモチベーションが下がってしまうのを防ぐために、自分を奮い立たせるために「努力は報われるに違いない」という意識を強めることはよく見られます。

受験当日やスポーツの大会直前に「あれだけ頑張ったから絶対うまくいくはずだ!」と奮い立たせるのも、公正な世界があるのだと信じて自分のメンタルをコントロールするという意図があるのです。

漠然とした不安に襲われないようにするため

悪いことをしたら悪いことが起きるという自業自得に通ずる考え方は、見方を考えれば何の落ち度もない人が不幸な目に遭うことはないのだ、という不安を払拭できるという見方もできます。

たとえば「いじめられている方にも原因はある」という考え方は、いじめそのものを正当化するようにも見える偏った意見だと思われがちですが、一方で「いじめられっ子にも相応の原因があるから、いじめは仕方ない」と自分を納得させ、理由もなくいじめや不幸な出来事が起こるような世界ではないと思い、不安から逃れるようとするのです。

もしも何の原因もなく、単純にいじめっ子の気まぐれであったり「なんとなく」という妥当な理由もなくいじめが発生する世界を自分は生きているという考えると、強い不安を覚えるのは無理もありません。

「不幸なのはそれなりの理由がある」と考えるのは、「もしも公正な世界の信念が揺らぐと、自分に責任がなくとも不幸な目にあってしまう」という、どうしようにもならない不安を抱くことになるので、身近な不幸に対して理由や根拠を見出そうとするのです。

主観的な幸せを感じるため

公正な世界を信じている人ほど主観的な幸福感が高く、ポジティブな(場合によってはキラキラとした)気持ちでいらることができます。

良いことをすれば良いことが起きると信じていれば、たとえ嫌なことでも努力して耐えさえすればきっと良いことが起きるという希望を持ち続けることができます。

また、悪いことさえしなければ不幸にはならないと信じていれば、自分には全く落ち度がないのに犯罪や事件の被害者なってしまうことを恐れなくてもいいので、精神的に安定しやすくなります。

たとえ現実が公正でもなんでもなく、自分の力ではどうにもできない運や社会情勢に変化で、自分の人生が大きく左右されるかどうかわからない不安定な世の中だと考える人の中には、その不安から逃れるために公正世界仮説を信じて、なるべく幸福を感じ、精神的な安定を求めているとも見ることができます。

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公正世界仮説の例

私たちの生活の中には「努力は報われる」「いじめられっ子にも原因がある」の他にも、公正世界仮説の影響を受けている考え方があります。

その例についていくつか説明していきます。

正しい子育てをすれば必ずいい子に育つ

子育てや教育に関わる立場の人でよく見られるのが「正しい子育てをすればいい子に育つ」という考え方です。

これも「良いことをすれば良いことが起きる」という公正世界に基づいた考え方であり、とくに人を育てるという重大な使命感や責任感を求められる仕事だと、この考え方が自分の考えの軸となっている人を見かけます。(人によっては公正世界にとらわれすぎて、ややお花畑寄りな考え方の人もいますが…)

しかし、実際の子育てや教育において、正しい育て方したからといって必ずいい子に育つとは限りません。

学校の先生がクラス全員に同じ一斉に指導をしても育ち方にばらつきや差が出てきたり、兄弟同士でも同じいい子育てをしても、一方の子供には効果的でもう一方の子供には逆効果であったりと、決して「必ず」いい子に育つとは限りません。

子育てや教育のように自分の働きかけによって、その人の将来が大きく変わってしまうことを前にすると、どうしても正解や正しさにすがってしまいがちです。

正しいことをすれば報われるという思いの裏には、それだけ自分のやっていることは無駄ではなかった、正しいことをやり抜いたと実感したいという気持ちが隠れていると見ることもできます

正しさに囚われあまり他の子育てに対して排他的な態度を取ってしまったり、育て方を頑固に変えず、自分の考え方と似ている人ばかりとつるんでしまい、当の育てられている人はおいてけぼりになっているという状況になることもあります。

犯罪の被害者へのバッシング

公正世界仮説は、犯罪の被害者叩き(バッシング)でもよく見られます。

たとえば痴漢の被害にあった人に対して「加害者を誘惑するような格好をしていたのではないのか」と、被害者にも落ち度があったという考え方をしてしまうのも、不幸な出来事に巻き込まれるのにはそれなりの理由があるに違いない、という公正世界に基づいた考え方が影響しています。

痴漢の他にも、空き巣の被害にあった人に対して

  • 「普段から空き巣にはいられるような防犯の甘さがあったのではないか」
  • 「金目の物を家に置いておくから狙われるのだ」

という気持ちを抱いてしまうのも、公正世界に基づいた考え方です。

もちろん、被害者に対しての落ち度がゼロではない可能性は否定できませんが、被害者を執拗に責めてしまうと、被害者の人格や自尊心を傷つける原因となります。

また、傍観者として被害者を公正世界の目線で叩いている人が、もし自分が何らかの不運で犯罪の被害者となってしまった場合に、今までの言葉や考え方で自分をひどく傷ついてしまう原因にもなります。

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公正世界仮説と自己責任論

信賞必罰や因果応報と共通点の多い公正世界仮説は、自己責任論とも相性がよい考え方です。

公正世界仮説の「悪いことをしたら悪いことが起きる」「不幸になるのはそれなりの理由がある」という考え方は、自己責任論にも通じる考え方です。

たとえば、

  • 貧困に苦しむ人は、節約やスキルアップなどの努力が足りていないのではないか。
  • 頭が悪いのは先生や学校が悪いのではなく、勉強のやり方や努力が足りていないのではないか
  • いじめられている人は、コミュニケーションが苦手で周囲に迷惑をかけているからいじめられるのではないか。

などがいい例です。

困っている人を取り巻く状況や背景を無視し、今の状況は全て当人が自分で招いたものによるものであると考える。

そして、そのあとには環境や他人のせいにせず、自分の責任として考えて前向きに行動していけば問題は解決できる…という考え方は自己責任論でも、公正世界仮説でも見られます。

また、自己責任論と公正世界仮説でよく見る「努力したら必ず報われる(だから努力すべき)」という考え方も、同時に「報われないような努力は努力ではない」という考え方を導き努力している人(もちろん自分を含めて)、追い詰める原因になります。

現実は自分が思っているように公正な世界でないことを自覚すれば信念が揺らいでしまう…、その信念を揺らがさず且つ公正な世の中であって欲しいという願望が「報われないような努力は努力ではない」という歪みを伴った考え方を導いているのだと感じています。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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