セルフハンディキャッピングがうざく感じる理由・心理について

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セルフハンディキャッピングとは、何かやるときに失敗しても自分の自尊心や自己肯定感が過度に傷つかないように、自分に対してハンデを課して、あえて悪い状況に自分を追い込むことを指す心理学用語です。

分かりやすい例を上げるとすれば、テスト前で勉強すべきなのにあえて部屋の掃除をして時間を浪費したり、あえて徹夜で勉強して体調不良のままテストに挑むなど、テストの点数が悪くなっても仕方ない状況に自分を追い込んでしまうことがこれにあたります。

そのほかにも、会話の前にやたら予防線を張って話す癖や、やたら自虐ネタを多用する癖なども、周囲に対して自分に対する期待値を下げるという不利な状況を自分で誘っている点では、セルフハンディキャッピングの一種だと判断できます。

今回は、そんなセルフハンディキャッピングをする人が、ウザがられる理由についてお話しいたします。

やってることはあえて失敗するような迷惑な行為そのものだから

セルフハンディキャッピングは、もしハンデを課したことで自分が失敗したとしても、その失敗は「ハンデがあったから仕方ないようね」とショックを抑えられる。また、仮に上手くいったとしたら「ハンデがあったのに上手くいった自分は特別で優秀である」という達成感を得られます。(場合によっては、「ハンデがあったのにすごい!」と、周囲から絶賛されるラッキーな展開があるかもしれません)

しかし、冷静に分析すれば、やってることは自分にハンデを課して、あえて失敗してもおかしくない面倒な状況に自分を追い込んでいることにほかなりません。

自分ひとりで完結する事柄ならともかく、集団スポーツや仕事のようにチームで動くことが求められる場面で、セルフハンディキャッピングを意図的にする人が身近にいれば、不利な状況はその人だけの問題に留まらず、集団全体に波及する可能性があります。

要するに、セルフハンディキャッピングをする人は「集団の足を引っ張る人」そのものです。せっかくチーム全体で一つの目標に向けて日々努力しているのに、セルフハンディキャッピングをする人のせいで目標が未達となれば、コツコツ努力している人が強い不満を抱くのも無理はありません。

加えて、「あの人がいるせいで目標が叶えられそうにないから、真面目に努力するのがアホらしい」と、集団全体に無力感が漂う状況を生み出しかねないからこそ、セルフハンディキャッピングをする人はウザがられるのです。

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謙遜を通り越して卑屈な姿勢にげんなりする

適度な予防線なら「謙遜ができて慎み深い人」と好意的に解釈できますが、余りにもしつこく謙遜してくると、それが卑屈な姿勢に見えてげんなりしてしまいます。

卑屈すぎてなんだかこっちまで申し訳ない気持ちに駆られたり、何を言っても謙遜を通り越して卑屈な言動で返ってくるために、どのような言葉をかけていいのかわからなくなり、かける言葉が制限された窮屈な会話にしかできなくなる辛さがあります。

たとえば、外食に行った時に、店のシェフやスタッフが「あんまり期待しないでくださいね」「うちの料理なんてとてもとても…」「今日は本調子じゃないから、あんまり腕を震えなくって…」と、遠慮を通り越した卑屈な言葉をかけられてばかりでは、非常に重苦しい空気の中で料理を食べるという苦行を味わうハメになります。

ヘタをすれば、謙遜ではなくてただの嫌味や皮肉のように思えたり、遠まわしに自分を否定されているように感じてイライラしてくるであろうことも想像できることでしょう。

謙遜と言えば慎み深い行動として賞賛される風潮がありますが、このように度が過ぎた謙遜は相手に余計な負担をかけてしまうのでウザがられる原因になるのです。

加えて、過度な謙遜は

  • 表面的には「謙遜」しているので、それに対して強く言うのは憚られる。
  • ただし、謙遜の度が過ぎるので、それはやめてもらいたい。

という、葛藤を抱かせるため、知らず知らずに他人をイラつかせてしてしまう行動だと言えます。

わざとらしく同情を誘う姿勢がイラッとする

自虐ネタをわざと降って自分への期待値を下げる行為をなんども続けられると、そのしつこさからわざとらしく同情を誘うように感じとれてしまいイラっとするのです。

まるで、過度に自虐する素振りをして、自分のことを試そうとしているように見える。自虐ネタに対して同情を見せるような優しさを持っている人間か否かをテストしているように思えて、自分をぞんざいに扱われていることに不快感を覚える。

過度な自虐であえて「かわいそうな人」を演じて、周囲からの暖かい言葉を求めている。哀れさに免じて自分を特別扱いするように誘っていることが透けて見える小賢しさに、ウザさを抱くのです。

テスト直前に「私全然勉強してないからいい点が取れない~(泣)」的な泣き言言い訳をして、あざといぐらいに周囲の同情を引くような態度に出る。そして「え~全然そんなことないでしょ~」とか「私もおんなじ~」という類の一時的に共感や慰めの言葉を交わす茶番に感じる不快感に通ずるものです。

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自分をよく見せようとすることだけに夢中でがっかりする

セルフハンディキャッピングとして自虐をして周囲の期待値を下げることは、自分を実力以上によく見せる効果があるため、つい多用してしまいやすいものです。

至って普通のコミュ力なのに「自分、実はコミュ障で~」とコミュ障を自称したがる人を例にすると、あえて「コミュ障」という悪材料を事前に知らせておくことで、その後普通に会話の受け答えをするだけでも「コミュ障なのに普通に会話ができてコミュ力がある人」と、自分を実力以上にコミュ力がある人だと錯覚させること可能です。(いわゆる「ギャップ萌え」も原理はこれと同じ)

普通に話すだけでは、あまりにも普通すぎて印象に残らないおそれがある状況にて、なんとか自分の印象を残したい。それも、なるべく良い印象を残したい時の小手先のテクニックとして、コミュ障を自称する行動のような自分への期待値を下げさせる自虐の言葉は効果的なのです。

ただし、小手先のテクで自分をよく見せようとするのは、それだけ素の自分は人に誇れるものがないし、そもそも自分の技術や力量を磨く努力をロクにしていないことを自覚している。でも、その事が明るみになるのは嫌であり、応急処置として自分をよく見せるための小手先のテクニック(=セルフハンディキャッピング)に頼ってしまう、だらしなさや計画性のなさがあると解釈もできます。

普段から地道な積み重ねるのを嫌がる癖に、なるべく少ない労力で自分の技術や力量を他人が過大評価するように仕向けることばかりに注力する。本来なら、根本的な技術や力量を磨くほうが大事なのに、自分をよく見せるトークスキルや演出方法ばかりを磨く本末転倒な行動に終始しているからこそ、見ているだけでげんなりするのです。

宣伝や同業者へのゴマすりが上手ばかりで本業の腕を磨かない芸人、料理人、クリエイターなど、名声や評価は欲しいけどそのための根本的な努力はしない。芸や技術が求められる仕事で、自分をよく見せようとする事にやたら夢中になる人を見て「なんだかなぁ…」と複雑な気持ちになるのと同じく、すべき努力をしない癖に、それを指摘されるのは嫌で表面を取り繕うことばかりに終始しているみっともなさにウザさを感じてしまうのです。

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言い訳が多いくせに根本的な反省や改善をしようとしない

自分で自分にハンデをかけるという、あえて失敗を招くような本末転倒な行動をとるだけでなく、自分がどれだけ追い込まれているのかという言いわけが多い。そういった理にかなわない行動を取るくせに、根本的な努力はしたがらない。そしてあえて自分を不利な状況に追い込むことそのものを反省も改善もせず、繰り返す学習能力のなさ。(そのくせ、自分をよく見せることには熱心ですべき事とやるべき事が滅茶苦茶。)

もしも、こんな不毛なことをする人が自分の職場にいたら…、自分の取引先の人だったら…自分の部活のチームメイトだったら…と想像すれば、セルフハンディキャッピングをする人がいかに厄介な存在であることは、容易に理解できることだと思います。

なお、あえて反省や改善しないこともまた、自分で自分を不利な状況に追い込むセルフハンディキャッピングの一種であると考えられます。

とことんまで自分を不利な状況に追い込めば、ちょっと努力しただけで周囲から大きな評価を得られる目論見があるのかもしれません。

しかし、評価を得る前に周囲から呆れられて相手にされなくなる方が早いのではないかと思うので、セルフハンディキャッピングはほどほどにしておくべきだと感じます。

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