一人で抱え込む癖がある人の心理状態について

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仕事を全部自分で一人で完遂しようとする。悩み事があってもそれを誰にも相談せず、自分一人の力でなんとかしようとする。他人と協力することを嫌がる…など、何事も一人で抱え混んでしまう癖を持っている人というのは、責任感の強さを感じると同時に、なんだか非常に脆くて危うい考え方をしているように見え、不安に感じてしまう人もひょっとしたら多いかもしれません。

また、他人ではなく自分自身が一人で抱え込む癖を持っていると薄々でも自覚している人は、他人に頼りたくても頼れない自分の不器用さや容量の悪さを嘆きたくなる…という、他人には言いづらい悩みを抱えてもどかしい気持ちに駆られていることもきっとあることだと思います。(なお、もどかしくても持ち前の一人で抱え込む癖ゆえに、相談できないのがこの癖の厄介な所とも言える。)

今回は、そんな何事も一人で抱え込む人に見られる心理状態についてお話いたします。

他人に協力を求めることを「恥」と感じている

他人に協力を得ることは、たとえ社会通念や常識的には問題ないものだと分かっていても、自分にとって「恥」だと感じているからこそ、恥をかかなくも済むように一人で抱え込むことを選ぶのです。

他人に協力を求めることはその性質上、他人には知られたくない自分の一面を晒すことが避けられません。

自分が普段から隠しておきたいと強く感じている、醜さ、愚かさ、能力の低さ、置かれている境遇の惨めさ、ドロドロとして鬱屈した感情…などを他人に打ち合けて自尊心がグサリと傷つき恥をかく不安が感じている。そんな不安を避ける方法として自分一人で抱え込み、他人に知られたくない自分の一面を隠し通そうとするのです。

もちろん、この方法でうまく問題に対処できることもありますが、逆に失敗してしまったときは、より自分の醜さなど鬱屈した感情を増すハメになってしまう。そして、ますますそんな醜さを他人に知られて恥をかく不安を強く感じて、一人で抱え込む癖を強めてしまうのが厄介です。

過剰なプライド・自己愛の強さのせいで助けを拒んでしまう

仕事や勉強で同じ失敗をしても、そのことについて「恥」を感じやすい人と、そうでない人がいることは、日常生活を送る中でなんとなく知識や経験として身についていることでしょう。

このような恥の感じ方の差が出る理由の一つとして考えられるのが、プライドや自己愛が過剰に強いことです。(なお、ここでいう自己愛は、単なる「自分が好き」という意味よりも「自己陶酔」と解釈すると理解しやすくなります。)

適度なプライドや自己愛は、自分に対する過不足ない自信や「自分ならできる!」という感覚(自己効力感)を育みますが、過剰に強くなると過信を招いたり「自分ならできて当然!」という、焦りや不安が伺える強い思い込みを招きます。

そんな、自分の能力を過大評価している状態の人からみて、他人の協力を得ることは「自分ならできて当然!」という思い込みが、所詮自分にとって都合のいい思い込みにすぎずないこと。そして、現実の自分はできないこともある不完全で未熟で平凡な人間にすぎないと行動で示すことだと痛感してしまうことで、自分のプライド・自己愛がグサグサと傷つく恐怖を感じます。

そんな恐怖を避けるためにも、一人で抱え込む方法をばかりで物事に対処する。「自分ならできて当然!」という現実に即さない歪んだ思い込みを修正せず、自己効力感に浸れる考え方にのめり込んでしまうのです。

なお、こうした「自分には不可能なんてない」というナポレオンの名言を彷彿とさせる万能感は心理学では幼児的万能感と呼ばれています。

いわゆる自意識だけがやたら肥大化した意識高い系の人や、いつまでも精神的に大人になりきれず子供の頃に抱いた夢やロマンに浸りたがる人に見られる万能感でもあります。

「幼児的万能感」子供のような未熟なプライドを持つ人の心理
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他人を頼るぐらいなら自分で一人でやる方が効率的と思い込んでいる

他人に助けを求めて仕事や勉強の悩みを解決するよりも、自分一人の力で片付ける方が、時間的にも体力的にも精神的なコスト的にも効率的であり合理的という強い思い込みがあるからこそ、あえて一人で抱え込む方法を選ぶケースもあります。

例えば、職場の先輩に仕事でわからないことを聞くよりも、我流でなんとかした方がまだ効率的だと感じているから抱え込んでしまう人。

立場を逆にして、職場の後輩に自分の仕事の仕方を教える手間暇の大きさに比べれば自分ひとりで仕事をやったほうが効率的と考えて仕事を抱え込んでしまう人…など、一見すると近道なように見えて、実は遠回り&茨の道を選んでしまう人は、まさに自分の頭の中で導き出された「効率的」にこだわる人のいい例です。

こうした効率を追い求める考えは、確かに短期的視点では効率的かもしれません。しかし、長期的視点で見ればそれほど効率的とは呼べないどころか、むしろ非効率であり余計な労力を消費する悲しい結末になることが目立ちます。

また、自分の頭の中の効率を重視するあまりに、教えられる人&教える人を無自覚のうちに過小評価する無神経さが影響し、ほんとうに助けが必要な場面になっても周囲から誰も助けを得られないほどに見放されてしまう可能性がないとは言えません。

責任感が強すぎて「他人に協力を求める=他人に迷惑をかける」と捉えている

「他人に迷惑をかけてはいけない」という、人間関係の和と協調性を大事にする日本人ならではの道徳観を強く持っていることが影響して、他人の協力が必要な場面でも「他人に迷惑をかけてしまうのでは?」とためらってしまい、自分ひとりで抱え込んでしまうケースもあります。

こうした思い込みが強くなる原因としては責任感の強さという、これまた道徳的にみて好ましいとされている考えを重視していることが要因として考えられます。

真面目で道徳観が強い人ほど、道徳観が持つ矛盾や柔軟の乏しさからくる葛藤を解消する方法として、自分だけを苦しめてしまう選択をすることで事なきを得ようとします。

なお、困ったことがあっても自分一人では解消すれば他人には迷惑はかけずに済みますし、自分ひとりでやり遂げたことにより、途中で投げ出さない責任感の強さを証明することが可能です。

道徳観をそこまで重視せず「不器用なことをしていて、ご苦労なことですね」と思っている人からすれば理解しづらいものかもしれませんが、道徳観を重視したい人からすれば自分の信念を貫ける方法だからこそ、あえて不器用なやり方でも受け入れる心理が働いているのだとも分析できます。

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自己犠牲を美徳とする考えが染み付いている

困ったことがあってもすべて自分一人で背負い込もうとしてしまう人には、自己犠牲を美徳とする考えが染み付いているケースもあります。

自己犠牲を重視している場合、

  • 仮にうまくいった場合、自分の身を粉にして働いた自己犠牲を厭わない姿勢を貫けた思えることで満足感を抱ける。
  • 仮に失敗した場合、自分の犠牲があったおかげで、本当なら自分以外の誰かも失敗の恐怖や不安で傷ついていたかもしれない可能性を回避できたこ思えることで満足感を抱ける。

という、どちらに転んでも自己犠牲を重視する自分の信念に即した結果を招くことができます。

もちろん「犠牲」があるので自然とそれを避けたい気持ちはあるのですが、それ以上に犠牲を払うことで得られる精神的な満足感や充実感、そして自分の信念を折り曲げなかったという達成感を合わせてもまだ得る物を感じているから、自己犠牲という方法を選んでしまうのです。

…ただし、自己犠牲であっても失敗した場合は、その後始末は誰かがしなければならず、誰も傷つかないとは言い切れないものです。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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