仕事を一人で抱え込んでしまう人というのは、責任感が強くて真面目な人間であるという印象を感じる。
しかし、一方では精神的に脆いというか、その働き方を続けていると、いつか体か精神のどちらかにガタが来てしまうような気がする…そんな、強さの裏にある危うさを持っている人のように感じることが、ひょっとしたらあるかもしれません。
現に、うつ病になりやすい気質とされているメランコリー親和型気質の特徴は
- 真面目
- 誠実である
- 責任感が強い
- 手を抜くことが苦手
とされています。
その真面目な気質ゆえに仕事においても様々ことを抱え込んでしまい、精神的な負荷が大きくなってしまう傾向が、精神的な脆さを招くと考えられます。
今回は、そんな仕事を抱え込んでしまう人と精神的な脆さとの関連性についてお話しいたします。
目次
抱え込む人は他人に相談できなくなるので詰みやすい
真面目で責任感が強いということを更に見ていくと、「自分が抱えている仕事で起きた問題は、自分ひとりで解決しなければいけない」と言った、視野狭窄を招きかねない思考があります。
責任感が強すぎるがゆえに、他人の手を煩わせることや、他人の時間や労力を奪うことに強い忌避感がある。そのため、仕事で他人の手を借りることが必要な場面が出ても、自分ひとりでどうにか対処しようとする方法ばかり模索し、精神的に追い込まれやすいのです。
なお、一口に相談と言っても、直接的に仕事を手伝ってもらうというより問題解決に近い相談もあれば、なんとなく愚痴を聞いてもらうとか、精神的な拠り所なり安心できる時間を手にすると言った、間接的にでも問題解決につながる相談もあります。
後者は間接的であるため、仕事で万策尽きそうになっている場面で大きな効果を発揮することは見込めないにしても、「困っても相談できる人がいる」という実感が得られたことにより、仕事への活力の源となり、精神的なタフさへとつながるだけの実りをもたらす相談と言えます。
しかし、抱え込むせいで他人に相談しない人は、間接的ながらも効果を発揮するような相談すらできないため、強い緊張感やストレスに晒される時間も長くなってしまいます。
「直接的な解決には繋がらなくとも、困ったときに相談できて自分を受け入れてくれる、まさに安全基地となるような存在が身近にいる」という実感すら得られないのが弱点です。
いつも自分の能力のみで困難に対処するだけでなく「仕事のみならず自分のメンタル面まできっちり管理しなければいけない」という強迫観念に駆られやすいことが、精神的な脆さを生む原因になるのです。
相談のためのコミュニケーションが苦手で相談まで至らない
また、中には他人の手を借りるために行うお願い、交渉といった、コミュニケーションそのものを苦手としているために、相談したくてもできなくなり、自らを詰みの状態へと追い込んでしまう人もいます。
- 正直言って他人の手を借りたいとは思っているものの、実際に他人に頭を下げてお願いすることに抵抗がある。
- お願いした結果、断られてしまったり、嫌な顔をされて煙たがられることを恐れている。
- 交渉する能力が未熟を露呈し、自分のコミュニケーション能力の無さを他人に知られることが怖い。
- 口下手なので、相手に対して自分がどういう助けを求めているのかを伝えるだけの自信がない。
などの理由で、他人に助けを求めることの心理的なハードルが高くなった結果、誰にも相談せずに自分一人で対処したほうがまだマシである…という考えに至ってしまうのです。
もちろん、傍目には一人で抱え込んでいる人が、コミュニケーションが苦手であるがために、相談したくてもできない状態でもどかしさを感じている…という葛藤を抱えていることは、あまり想像しにくいものです。
むしろ、「詰みそうになっても相談しない協調性に欠ける人」だとか「他人に対して心を開こうとしないので、こちらも心を開く義理はない」と感じて、一人で抱え込む人に対して、否定的な印象を持つようになってしまっても、なんら不思議ではありません。
こうなると、一人で抱え込む人からすれば、ますます他人の助けを借りることは難しくなる。また、否定的な印象を受けている雰囲気をそれとなく察したことで「自分のコミュニケーション能力の低さや不器用さが他人に迷惑をかけている」という罪悪感を抱いてしまう。
相談できない葛藤の他にも、集団内で孤立していること、自責感情が強まってしまうことも重なって、精神的な脆さが強まってしまうのです。
自己評価の低さのせいで、真面目な自分を見せることに躍起になってしまうケース
一人で抱え込んでしまう人の中には、自分で自分を低く見積もり過ぎている。つまり、自己肯定感や自己評価がやたら低く、自分は仕事において他人の手を煩わせてしまう恥ずべき存在という自覚を持っていることがある。
そんな職場でお荷物扱いされてもおかしくない自分にできる精一杯のこととして、真面目さや責任感の強さを売りにすることで、職場に貢献しようと試みる場合があります。それはまさに、ダメな自分なりに社会に適応するための生存戦略とも言えるでしょう。
もちろん、自分のいたらなさを自覚し、そしてそのいたらなさに甘んじず、自分を律していこうとする姿勢は賞賛に値すべきものでしょう。
しかし、この姿勢の問題点は、自分への過小評価癖が仇となり、とにかく自分の弱点や欠点を隠し通すことに熱意を注いてしまう。
つまり、仕事で自分一人ではどうにもならない状況に陥ったときに、弱く劣っている自分が白日の下にさらされることを恐れるあまり、自分一人で抱え込んでしまうことで乗り切ろうとしてしまう危うさがあります。
なお、この状況は「他人に迷惑をかけがち」という自己認識と「他人に迷惑をかけてはいけない」という道徳や社会常識が合わさった結果とも言えます。
抱え込んで詰む人と学習性無力感
自己評価が低い人にも言えることですが、「こんなダメな自分に対して他人は相談に乗ってくれるわけがない。むしろ自分を見放すような態度を取るはずだ」と、自分の中で結論づけてしまった結果として、他人に相談できずに詰んでしまうこともあります。
この状況を傍から見れば、「他人を信じれずにいる」とか「人間不信に陥っている」と見れますし、同時に人間不信に陥っている人に対して、わざわざ手を差し伸べるような真似はしづらいことから、必然的に孤立してしまうのも無理はないでしょう。
しかし、ここで「他人に相談しても無駄」と人間不信に陥ることを、心理学の「学習性無力感」を元に見ていくと、また別の見方により、抱え込む人を分析可能になります。
学習性無力感とは、自らの行動や力では、自分が期待する結果が得られないという経験を重ねることで「何をやっても上手くいかない」「やるだけ無駄なので、何もしない方がマシ」という経験に基づく無力感を学習する現象です。
なお、学習性無力感は、檻の中でベルトに繋がれた犬に電気ショックを与え続ける。そして、ベルトを外して電気ショックを受ける場所から逃げられる状態になったものの、犬はその場にとどまり続け、電気ショックを受ける場所から逃げなくなったという実験の結果により提唱された心理学用語です。
学習性無力感を元に考えると、抱え込んでしまう人は、他人に相談しても仕事が上手くいかなかった経験や、そもそも他人の手を借りるまでに至らなかった経験を重ねてきたことがある。
そんな経験を経て、「他人に相談しても無駄である」という知見を得た結果として、周囲の手を借りれる状況になっても、一人で抱え込むことを選んでしまっているのだという見方もできるようになります。
抱え込んでしまう人と関わる場合、どうしても抱え込んでいる今の状況にばかりに注目が集まるものですが、何ゆえに抱え込むことを選んでしまうようになったのか…という背景や過去を探る事の大切さを感じます。
そして、もしも自分自身が抱え込む癖がある場合、この癖が生まれるに至ったと想定できる過去の出来事や環境にも目を向けていくことで、抱え込み癖を突破できる糸口が見つかるやもしれないと感じます。
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