現在絶賛恋愛関係中ではあるが、いざ結婚だとか、家庭を持つだとか、お互いに助け合うだとか、子供を授かるだとか、自分の親の介護をするだとか、そして天寿を全うするだとか…と、将来のことや現実的なことを考えてしまうと、途端にめんどくささや、煩わしさを感じてしまい、恋愛関係への熱が冷めてしまう。
このような心の動きや姿勢は、一般的には責任感のなさそのものであり、およそ褒められるものではないでしょう。
恋愛の先には結婚が、結婚の先には問題のない家庭を築くことや子育てをすることが待っていると考える人からすれば、結婚から先に待ち受けている責務を放棄する姿勢に対して、肯定的な評価は得られないものでしょう。
草食系という言葉が揶揄の意味でも用いられるケースがあることからもわかるように、このように責任を持つことに臆病な姿勢に対して不満や不快感を示している人の存在は、決して少ななくありません。
…しかし、そんな責任を放棄する姿勢を持つ人の心理や考え方を知っておくことは、決して無駄ではないと感じます。
むしろ、責任を逃れたがる心理を知ることにより、刹那的な関係を望む人に対するまた別の見方ができるようになり、彼らに対する理解ができてり、彼らと似たように責務から逃げたがる人との付き合い方のヒントを学べるようになるのでは…と感じます。
今回は、そんな恋愛において現実的な場面になると逃げたくなる人の心理について、お話しいたします。
恋愛関係で「現実的になると逃げたい」人の心理
深い関係になると窮屈さから逃げたくなる
恋人と今以上に深い仲になる。このことは多くのカップルにとっては望ましいものであり、何ら拒むべき要素がないことと感じるでしょう。
しかし、現実的になると逃げたくなる人は、ある一定のラインまで仲良くなることは求めていても、それ以上先に関係が進展してしまうと、途端に窮屈さや不自由さを感じてしまうために、ある一定までの関係にとどめておきたい気持ちを持つようになります。
例えるのなら、遊びとして刹那的に付き合う関係でいることを求めつつ、そこから先に進んで家庭を持ち支えるというった現実的な関係になることは求めない。
もしも、先に進んだ関係になってしまえば、今まで以上に深い愛情や安心感を味わえるかもしれないが、それらを味わうために自分が果たすべき責務(働いて収入を得る、他の人と関係を持たない、親戚や親への配慮等)を強く感じてしまい、苦痛やめんどくささの方が上回ってしまう。
これが刹那的な関係であれば、収入なり、遊び人気質なことなり、親族・両親への配慮なんて気にせず、気楽で居られ苦痛も少ない。
そんな気楽で身軽であること強く求めると同時に、義務や責任を背負うことを極端に嫌がる性質が、現実的な関係に進展することを拒む原因になってしまうのです。
結婚により生じる責任や義務を重荷と感じてしまう
上で触れたものと重なりますが、現実的になると逃げたくなる人には、結婚によって生じる責任や義務を、過度に重いものとして受け止めてしまうことがあります。
結婚すれば、甘く蕩けるような場面ばかりでなく、パートナーと家庭を支えるために仕事や家事、ご近所&親戚付き合い、金銭管理など、心地よい家庭環境維持のために、すべき責務を長期間に渡って果たす必要性が生じてきます。
加えて子供を授かったとなれば、育児はもちろんのこと、子供の教育、子供の人間関係、子供の健康や安全に細心の注意を払う…など、やるべきことは今以上に増加する。
もちろん、支えるべき人が増えたことで、今以上に収入を増やす必要性が生じたり、自分の自由な時間を子供のために費やす場面も生じてくる。
こういった現実的な場面を想像すると、恋愛というお花畑のようにほんわかとした今の関係も、途端に重く苦しく思えてめんどくさいもののように感じてしまう。恋愛に対する熱も冷めしまい、これ以上関係を進展させる気すら起きなくなってしまうのです。
関係を進展させれば、たしかに幸福や喜びを感じることもあるかもしれません。しかし、その幸福や喜びを感じるためには、自分がすべき責務はあまりにも重く、めんどくさく、しかも長期に渡るものなので、強い苦痛を感じてしまう。
そんな苦痛を味わうことを避けるためにも、将来のことを考えなくてもいい、刹那的且つ享楽的な恋愛関係にとどまり続けることを求めてしまうのです。
他者との手続きや交渉が極度に苦手で、結婚後の意見のすり合わせに強いめんどくささを感じる
深い関係に進展するとなれば、自分の願望や希望を相手に一方的に押し付けるのを控える必要性も出てきます。
深い関係になるためには、相手の意見や願望を聞く耳を持ち、尊重することが大事。加えて、自分の意見と相手の意見の落としどころを見つけて双方が納得できるように、上手に意見をすり合わせる技術(=交渉術)が求められます。
もちろん、場合によっては意見が噛み合わなくなり衝突するリスクもありますが、その衝突を乗り越えることで関係が進展するという「雨降って地固まる」的な展開も、深い関係に進展することに一役買うものです。
しかし、現実的になると逃げたくなる人は、他人と意見をすり合わせることや衝突することをひどく嫌がる。
他人との交渉事が非常に苦手であり、家庭環境を維持するために、パートナーや家族、自分と関わる大事な人達と意見をすり合わせることに強いストレスを感じてまうので、現実的な関係に進展することを拒んでしまいます。
現実についてどうこう考える必要性がまだ無い関係なら、交渉事に対峙する場面も比較的少なく、気楽でいられる。
しかし、関係が進展してしまうと、自分の一存で家庭に関わることを何もかも決めることは難しく、加えてパートナーや家族だけでなく、部外者からもツッコミが入ることも想定できる。
恋人関係としてできた大胆な行動も、家庭をもつ夫や妻、子供をもつ父や母の立場になれば、推奨できるものではなくなってしまい、他人を納得させるために話し合いをしたり、場合によっては妥協点を探ることも必要になる。
こうした交渉事に立ち向かい、妥協点を探ることそのものをひどく嫌がる性質が、現実的な関係に進展するのを嫌がる原因になるのです。
余談 現実的にならなくていいのでのめり込む、架空・二次元の恋愛関係
余談ですが、現実的な関係をイメージして「めんどくさいなぁ…」と感じてしまい、急に関係が冷めてしまう傾向がある人にとって、架空で擬似的な恋愛関係を提供してくれる存在は、非常に魅力的なものだと感じてしまいます。
たとえばアニメや漫画、ゲームのキャラクターのように、二次元の世界の人物に恋愛感情を抱くと同時に、その作品内の中で擬似的な婚姻関係を結ぶこと(「ケッコンカッコカリ」とか)は、面倒な責任や義務を背負うことなく、交渉事をすることもない。
もちろん、アイドルや声優、ネット上の有名人(youtuber,コスプレイヤー,クリエイターなど)のように三次元の人間でも同様の現象は起きるが、それもまた架空の恋愛に浸れることが魅力であり、煩わしさを感じなくても済む。
言い方は悪いですが、これらは所詮は理想や妄想、画面の中で完結する世界の話なので、現実の恋愛関係のような煩わしさや窮屈さに悩まされる不安はありません。
とは言え、冷静に見れば現実以上に不自由で融通が効かない関係に思えるものの、現実的な関係に進むことを求めてない人からすれば、その関係こそが非常に自由で心地よい関係のように感じてしまう。
こうして見ると、現実的な関係になるのを拒む人は、自分の想像の範疇を脱しない関係においては居心地の良さを感じるという、他者との関わりよりも自分自身を重視する個人主義が広まった現代社会を象徴する人物そのものであり、現代っ子(死語)であるようにも感じます。
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