自己犠牲をされるのが嫌いな理由

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自分のために懸命に尽くしているくれる相手というのは、それだけでたいへんありがたいというか、愛されているというか、大事に思われていて尊さを感じる…という人もいることでしょう。

しかし、中には、まるで自分が相手を自己犠牲せざるをえない状況に追い込んでいるかのように思えて罪の意識を覚えたり、愛の重さに押しつぶされて圧迫感や息苦しさのような気持ちを感じる人もいるものです。

今回は、自己犠牲に感じる嫌悪感や苦手意識についてお話しいたします。

自己犠牲をされるのが嫌いな理由

断れない状況に追い込まれているように感じる

自己犠牲をしてまで自分と付き合いを持とうとする人は、自己犠牲を一種の交渉術として使っているように感じることがあるものです。

言うなれば、自己犠牲は自分から粗品を送りつけて「粗品を差し上げたのですから、NOとはいわせませんよ」と暗に迫ってくる、セールス術の一種と言い表すことができます。

「自己犠牲をしてまであなたに尽くしたのですから、それに対して無視をするわけないですよね?」と、こちらの逃げ道をふさいで誘導するかのように迫ってくる。自己犠牲に見合うだけの報酬を求めようとしてくるところは、なんだか押し売りをしてくる悪質なセールスマンのようです。

しかし、自己犠牲は常に金銭が絡むものではないので、セールスマンではなく、感謝の押し売りをしてくる人や「こんだけ犠牲にして頑張ったのだから認めてよ!」と承認を求めてくる人と言った方が良いかもしれません。

いずれにせよ、こうした自己犠牲を材料にして相手に自分の要求を押し付けてくる人は、他人のお願いを断るのが苦手な、お人良しの人からすれば強いプレッシャーを感じる相手のように感じて、関係を持つことが辛くなるのです。

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被害者ぶってこちらを加害者扱いしてくる

自己犠牲をする人の中には「私はこんなに自分を犠牲にしているのに!」と、被害者ぶって周囲からの同情を誘いつつ、尽くしている相手を加害者として責め立てて来る人がいるものです。

例えば、子供のために自分のやりたいことを我慢している親という関係の場合、親が

  • 「やりたいことを我慢してあなたのために子育て(仕事)をしている」
  • 「睡眠時間を削ってまであなたのお弁当を作っているのよ」

と被害者ぶれば、子供を加害者に仕立て上げることが可能です。

こうした関係は子供からすれば、自分のせいで親は苦しんでいるという罪悪感を抱くと同時に、自分は親を困らせている加害者と感じて、自己肯定感を失います。

自分が加害者であると思い知らされれば、子供は親に対して「自分は迷惑を与えている」と強迫観念を覚えて苦しみます。

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何も悪いことをしてないのに罪悪感を抱かせてくる

上の例でも触れていますが、自己犠牲を行われることで「自分は他人に自己犠牲をさせてしまうほど罪深い人だ」という罪悪感を抱いてしまうことがあります。

罪悪感があるために、自己犠牲をしてくる相手に対して「償いの意味でお返しをしなければいけない」と、強迫的な考えからくる人間関係が生まれてしまいます。

こうした関係が親子関係なら、いつまでたっても自己犠牲をしてくれた親の顔色を伺い、社会人になってからも親から精神的に自立できず、生きづらさを覚えることもあります。

傍から見れば、親孝行ができる立派な子供のように見えますが、その実態は親の自己犠牲のせいでいつまでも子供が精神的に自立できず、強迫観念に苦しんでいると見ることもできます。

日本では「(形はどうあれ)親孝行は尊くて素晴らしいもの」という価値観が強いためか、生きづらさがある親孝行ですらも無条件に肯定されて、抱えている辛さへの理解が進みにくいことが問題のように感じます。

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向き合ってコミュニケーションをすること放棄されているように感じる

自己犠牲をしてくる人の中には、自己犠牲をしなくても済むために行うコミュニケーションをすることを放棄している。勝手に「この人は話しをしても無駄だから、私が我慢(自己犠牲)するしかないよね」と、相手を決めつけて接していることがあります。

「話しても無駄」という一方的な決めつけをされて、こちらの話を聞くまでもなく勝手に自己犠牲をして、それでいて感謝などの見返りを迫ってくる人と接すると、まるで自分の事を一人の人間として尊重されていないように感じて、腹立たしさや虚しさを感じるのです。

とはいえ、自己犠牲をしてもらっている以上、それに対して強く言い出すことはしづらいものです。

仮に文句を言おうものなら「あの人は自己犠牲をしてもらった人に対して、なんて非常識な態度をとるのだろうか?」と、品性を疑われる視線を浴びてしまうために、渋々相手の自己犠牲を受け入れている人が多いのではないかと思います。

自己陶酔している姿が見ていられない

自己犠牲をする自分に酔っている。まるで、自分を悲劇のヒーローorヒロインかのように感じて、他人を自己満足のために利用しているように思えて、苦手意識を感じるのです。

自分は自己犠牲をする人の引き立て役程度としか見られていないのにもかかわらず、「私(俺)はこんなに自分を犠牲にして頑張っているんだ」と、過剰な感謝や賞賛などの見返りを求めてくる。

とはいえ、やっていることは自己犠牲であり、反発や文句を訴えづらくて非常にめんどうです。

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自己犠牲で傷つくのは自分だけではない

自己犠牲をしてしまう人の中には「他人は傷つけたくないけど、自分が傷つくのは構わない」という、まるで悲劇の主人公かのような考えを持っている人がいるものです。

もちろん、他人を傷つけず、自分が傷つく事を厭わない姿勢は素晴らしいものではあります。しかし、自己犠牲という行為も決して完璧ではなく、結果として他人に余計なプレッシャーをかけてしまったり、他人を加害者に仕立てる、罪悪感を抱かせるなどの負の側面もあります。

また、「他人は傷つけたくないけど、自分が傷つくのは構わない」という考え持っている事すらも、自分を慕ってくれる人に対して「そんな悲しいこと言わないで欲しい」と失望を招き、他人を傷つけてしまうことがあります。

…こうした話は、つい自己犠牲をしてしまう人からすれば、受け入れたくない不都合な真実かもしれません。

…もちろん、互いに傷つけあうことを肯定し、殺伐とした関係を良しとするつもりはありませんが、自己犠牲は決して万能ではなく、場合によっては人間関係をより辛くすることがあるという知識を身につけておくことが、気づかないうちに他人に辛い目をさせる事態を防ぐためにも大事なことのように感じます。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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