強盗や殺人などの犯罪、セクハラ・パワハラ・モラハラなどの各種ハラスメントやいじめ等の被害に遭った人に対して、
- 犯罪に巻き込まれるような状況(例えば金の貸し借り、犯罪への加担)を自分から足を踏み入れていたのではないか?
- 人から嫌がらせを受けても仕方がないような態度を日頃からとっていたのではないか?
- 嫌がらせを受けていたのにどうして拒否しなかったのか?
などの、被害者を更に追い込むような言葉、つまり「被害者叩き」をする人はよくいるものです。
被害者叩きは自分の立場を明かさず匿名で話せるSNSやネット掲示板などで盛んになる傾向が置く、ただ被害者を深く傷つけるだけで済まず、被害者に関するデマの情報を流されてしまうことがあります。
また、そのデマがまとめサイトやSNSで拡散され、デマの情報なのに真実だと思い込んだ人たちが更に被害者叩きに加わり、被害者叩きがエスカレートすることもあります。
もちろん、どんなケースであっても「被害者に何一つ落ち度が無い」というケースがあるわけではありませんが、被害者に対する憶測や噂が一人歩きするのはSNSやブログなどのネット上でも、リアルの人間関係やTVや雑誌などのマスメディアでも同じです。
今回は被害者叩きの心理について、お話いたします。
目次
被害者叩きの心理と公正世界仮説
被害者叩きに関する心理学用語として「公正世界仮説」という言葉があります。
公正世界仮説は
「努力は報われる」などの良い行いをすれば良いことが起きるという、この世は公正であるという考え方に基づいた人間の心理を指す
ことであり、言い換えれば因果応報の価値観を信じている人に見られる心理です。
そのため、公正世界仮説を元に何かの被害者になった人を見ると
- 犯罪に巻き込まれても仕方がない環境で育っていたに違いない。(例:貧困・家庭内不和など)
- 普段から何かしら恨みや妬みを買うようなことをしていたに違いない。
と、被害者が被害者になってしまう妥当な理由を見つけ、被害者になるのはある意味仕方がないことだと考えてしまうのです。
実際に被害者に関する情報は今やネット上で簡単にわかりますし、(デマを含む)拡散のスピードもネットのない時代と比較したら格段に早くなっています。
また、被害者本人のSNSアカウントなどの個人情報を特定して情報を掘り起こせば、被害者叩きにふさわしい理由が簡単に見つかることもあり、ネット上では被害者叩きがエスカレートしやすい状況が整っている考えることもできます。
被害者を叩くのは自分の不安を払拭するため
公正世界仮説のような、「世界はこうあるべき、正しくあるべき」という価値観を持っている人は、もしも被害者が自分と同じごく平凡な人間だと認めたら、何かの拍子で「平凡な自分でも被害者になってしまうでは?」という恐怖を抱いて過ごすことになります。
何の落ち度もない人がいきなり犯罪の被害者になるという、物騒な世の中を自分も生きていると考えれば、さすがに精神的にも落ち着かず強い不安を感じるのは無理はありません。
その不安を回避するために「被害者は被害者になる特別な理由があるはずだ」と考えて、自分が抱く公正で因果応報な世界の見方を保とうとしているのです。
外を歩くだけで自分の身体・財産・社会的地位が脅かされるような世界で生きることは、できれば避けたいことですし、平和で公正な世の中を臨むことはなんら間違ったことではありません。
しかし、その平和で公正な世の中を切に願うあまりに、無意識のうちに何らかの犯罪に巻き込まれた被害者や社会の歪みによって生まれた犠牲者に対して、そうなるべき妥当な理由を見つけ辛辣な言葉を投げかけてしまっていないか、振り返ってみることが大事だと思います。
被害者叩きの例
セクハラの被害者を責める
セクハラの被害に遭った人に対して
- 本当は自分から誘っていたのではないのか?
- 同意の上でセクハラを認めていたのではないのか?
- 擦り寄るのが失敗したから、その腹いせにセクハラを訴えたのではないのか?
などの、被害者を責めるコメントはリアルでもネット上でもよく見られます。
また、被害者本人がこれらのコメントの根拠となるコメントを何も言っていないのに、セクハラ騒動をニュースやSNSで見聞きした第三者が憶測や偏見で被害者を責めるだけにとどまらず、加害者を擁護する声も出てくることもあります。
とくにセクハラのように、比較的な馴染みのある(と書くと、なんだかげんなりしますが…)事柄に対しては、第三者も口を挟みやすく、被害者叩きがエスカレートしやすい傾向があります。
いじめの被害者を非難する
学校や職場でいじめの被害に遭った人に対して
- いじめられても仕方がない事をしてたのではないか?(例:集団の和を乱す、孤立している、人付き合いが悪い等)
- 本当に被害者が悪いと言い切れるだけの根拠はあるのか?
- 実はいじめではなく、親しみを込めていじったり、からかっているだけではないか?
などの、言葉でいじめ被害者を叩くことがあります。
また、言葉のニュアンスの面でも「いじめ」と「いじる・からかう」の境界線は曖昧です。
その場の雰囲気や相手との関係によっては、攻撃するという意味ではなく、仲の良い者同士でのコミュニケーションとしていじったり、からかうことがあり、被害者にも落ち度がある理由としても、それなりに説得力を持つ傾向があります。
なお、学校におけるいじめで被害者を叩く場合には、関係者が事態を大きくするのを避けたい、学校の評判やマスコミに情報が知れ渡るのを避けたいという思惑や、いじめられる子が大人しい性格ならば「少し強く迫ればいじめはなかったというコメントが得られ隠蔽できるのでは?」という隠蔽ありきで話を進めようとするケースもあります。
また、いじめの被害者自身も何かしらいじめを受ける心当たりを感じており、「いじめはやめて欲しいけれど、自分にも反省しなければいけない点はある」という責任感や罪悪感から、被害者叩きにより自分の非を認めて更に叩かれてしまうこともあります。
もちろん、非を認めずにあくまでも被害者であることを主張することもありますが、そうすると今度はその頑として落ち度があることを認めない姿勢そのものが非難の材料となり、さらに被害者叩きがエスカレートすることもあります。
いじめの被害を周囲に訴えにくいのは、
- 被害者叩きに屈して叩かれる
- 被害者叩きに屈しなくても叩かれる
という、どっちに転んでも叩かれる場面は避けられないことが予想されることが影響していると考えることもできます。
なお、いじめに関しては公正世界仮説の他にも、「傍観者効果」や「集団心理(群集心理)」などの心理学用語も参照するといいでしょう。
被害者叩きは加害者擁護もセットになる
被害者叩きは、ただ被害者の落ち度を責めるだけでなく、加害者に対する擁護もセットになることが大半です。
例えば、
- 加害者 : 立場の高い人や有名人・芸能人
- 被害者 : 立場の低い人や無名な人、一般人
という事例では、「立場が高い人、有名な人がそんな悪いことをするはずがない」という公正世界仮説も影響して、加害者を擁護する意見が出やすくなります。
また、有名なだけあって普段からハロー効果によって自分の印象をよくするイメージ戦略をしていることも多く、そのイメージを崩さないために熱狂的なファン自らが加害者擁護と被害者叩きを先導する空気が生まれることもあります。
ファンからすれば、いままで期待を寄せて応援してきた相手が、実は犯罪の加害者になるような問題のある人だったと認めるのは苦痛ですし、そのことを認めてしまえば自分のファン活動も否定され「今までの努力は一体なんだったのか」と感じることになります。
なお、公正世界仮説は「努力すれば必ず報われる」という因果応報に基づく考えも含まれており、ファンが今までの応援や活動を無駄にしたくないという気持ちのために、加害者擁護と被害者叩きに走ってしまうとも考えることができます。
被害者叩きに陥らないためにできること
被害者に対して何らかの落ち度があって欲しいという考えは、公正な世界を臨む人なら抱きがちな考えですが、「あって欲しい」という願望が次第に「あるに違いない」「あるはずだ」という強い確信や推測に変化してしまうことがあります。
普段から被害者に対して何らかの落ち度を見つけようとする人は、自分が持っている「何らかの落ち度があって欲しい」という考えが癖になっていないか自覚して、その願望が歪んだものの見方(認知の歪み)を招いていないか、確認しておくようにしましょう。
公正世界仮説による「被害者叩き」の因果応報は自分も例外ではない
被害者叩きをする人は、大抵は被害者にも加害者にも関係がない第三者であり、ヤジを飛ばすように被害者叩きをしている人が大半です。
被害者を叩いても、所詮は他人事なので無責任に適当なことを言いやすく、普段から鬱憤が溜まっているのなら被害者叩きをして溜飲を下げることもできるでしょう。
しかし、被害者叩きをする人は、もしも自分が何らかの不運で被害者になってしまった場合に、今まで自分が言っていた言葉がブーメランのように返ってきて自分を苦しめてしまいます。
散々被害者のことを悪く言ってきたのに、いざ自分が被害者になって弁明したら、まさに「どの口が言うか」という被害者叩きを食らうのも無理はありません。
ある意味ブーメランが返ってしまうのは、公正な世界に基づきいままで被害者叩きをしてきた因果応報を、自分も例外なく受けている…と考えることもでき、なんとも皮肉なことのように感じる次第です。