からかわれるのが嫌いという人の悩み・心理について

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2018年の冬アニメに「からかい上手の高木さん」というタイトルの深夜アニメが放送されました。

このアニメはのあらすじは、主人公である男子中学生の「西方くん」とその西方くんに恋心を抱いているものの、うまく表現できずにからかうという手段でコミュニケーションを取ろうとするヒロインの「高木さん」とのやり取りを描いたラブコメ作品です。

中学生で思春期真っ只中の時期だと、自分の好意を素直に他人伝えることができずについからかってしまった経験を思い出してアニメに共感したり、「学生時代にそんな淡い青春を経験をしてみたかった」という叶わない願いを胸に抱きながら、アニメにキュンキュンしながら見入っていたという人もいることでしょう。

しかし、ネット上を見ていると「好意ゆえにからかう」「愛情表現としてのからかい」について嫌悪感を抱いている人も多く見られました。

いじりが暴走するといじめになるように、好意からくるからかうであっても、そのからかいを不快に感じたり、過去にからかわれたことでひどく傷ついた経験を思い出されることから、嫌悪感を抱くのだと感じています。

今回はそんな「からかう」ことを嫌いと感じる心理やその背景についてお話致します。

からかわれるのが嫌いと感じる理由

ただ馬鹿にされているように感じるから

からかうことは、仮に裏に愛情表現が隠れていいたとしても、表面的には相手を怒らせるような行動をすることと同じです。

裏に愛情があったとしても、その愛情をしっかりと理解出来るほど仲でなければ、からかいはただのいじめや嫌がらせと同じになり、不快感を抱かせるのも無理はありません。

また、からかう様子を見て笑う、面白がるという行動をとれば、それは自分のからかいが成功して相手が怒った反応を見て喜んでいるという、なんとも醜くただ相手を馬鹿にしていることにほかなりません。

からかわれている本人からすれば、理由もなく理不尽にからわれるだけでなく、その姿を笑われたり、他の人にも見られて惨めな自分の姿を晒していることになるので、怒りを抱くのは何も間違っていません。

いじめの経験を思い出すから

過去に容姿や行動を材料にしていじめられた経験がある人だと、例え自分がからかわれているわけではなくとも、誰かがからかわれる場面を見ると過去のいじめの経験を思い出して憂鬱な気分になることがあります。

もちろん、からかう人はいじめられた経験を知っているということは滅多になく、好意からのからかいであっても気が付けば相手の古傷をえぐったりトラウマになった記憶を刺激することになります。

触れて欲しくないデリケートな話題でからかってくるから

からかう対象として挙げられるのは

  • 見た目:背が小さい、太っている、メガネをかけている
  • 性格:神経質である、天然、不思議ちゃん、真面目
  • 行動:落ち着きがない、子供っぽい、オドオドしている
  • その他:恋人がいない、友達がいない、頭が悪い

などの、特徴があります。

しかし、これらの特徴は他人からあまり触れられたくないその人自身のコンプレックスとなっていることもあるので、仲良くなりたいがためのからかいであっても必要以上に相手を傷つけてしまう恐れがあります。

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見下されている、おもちゃにされているように感じる

からかわれるという事に対して、自分は見下されていると感じたり、自分は人間ではなくからかう人のおもちゃのような存在にされていると感じることがあります。

仲のいい人同士でじゃれあう様にからかう人もいますが、からかう人とからかわれれる人の立場がいつも対等とは限りません。

大抵はからかう人の方が立場が上、からかわれる人の方が立場が下であり、からかっても反撃してこない、自分が傷つく恐れがないという立場の優位性を活かすことで、相手をからかい支配することは容易です。

しかし、からかわれる人にとっては立場差を利用して嫌がらせ受けたり、支配されるのはいい迷惑です。

からかう相手は親しい関係や友達という対等な関係を匂わせて接してくる、やってることは、立場を利用した嫌がらせという矛盾を感じて不快感を抱くのです。

「仲良くなろうとして近づいてきたと思ったら、結局は自分の楽しみだけに他人を利用していた」と気づけば怒りを抱くのも無理はないでしょう。

何をしてもからかってくるという理不尽さを感じるから

からかう関係でよく見られるのは

からかう
→やめてと訴える
→その様子を見て面白がってさらにからかう
→やめてと訴える…

と、からかう方は一方的にからかい続け、からかわれる方は一方的にからかわれて逃げ場がなくなるというパターンです。

このパターンにはまると、からかう方は安心して楽しむことが出来るかもしれませんが、からかわれる方からすれば理不尽極まりないの一言につきます。

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からかうことと防衛機制の反動形成

心理学について知識がある人だと「好きな人をついていじめてしまう」という行動を見て、自我防衛機制の反動形成を思い出す人も多いことでしょう。

反動形成とは、自分の抑圧された感情とは真逆の行動をして自我を保とうとする心の動きのことであり、

  • 好きな人に対して冷たくしたり、いじめてしまう。
  • 腹が立つ人に対して、不自然なほどに優しく接してしまう。
  • 自分がやりたくないと感じている仕事でも、つい進んで引き受けてしまう。

などの、自分が抱いている感情とは真逆の行動を取ることが例に挙げられます。

冷静に考えれば「好きな人からかう」というコミュニケーションの仕方だと、からか割れたことが原因で相手は自分のことを嫌いになるかもしれない、というリスクがあります。

しかし、かと言ってストレートに好きだと自分の気持ちを伝えるのは恥ずかしくてできない、または周囲の目があるから好きだと言いにくいという葛藤を解消させる方法として、からかったりあえて冷たい態度を取るのです。

とくに自分の好意の裏返しとしてのからかいには

  • どんな形であれ自分に興味を持ってもらえる可能性がある。
  • 冷たくされたことで自分のことを気にかけてくれる可能性がある。

などの、何もアタックしないよりはマシという状態を作ることが出来るの、それなりのメリットがあるという点においては有効なコミュニケーションなのです(その分相手だけでなく同性からも嫌われるリスクもありますが…)

「からかうこと」とマインドコントール

また厄介なのが、たまにからかってくる方が優しくなるというケース。

DV(ドメスティック・バイオレンス)でパートナーに対する暴力や暴言に波があるように、からかいの度合いにも波をつけることで、からかわれている人も「今日は優しいからいつもの様に強くやめて欲しいって言えない…」という罪悪感を抱かせることができます。

そして、その罪悪感を利用してからかう相手の気持ちや行動をコントロールできてしまうのも、からかうという行動の恐ろしさでもあります

いわゆるDVやモラハラの加害者が被害者をマインドコントロールするように、からかうという行動を匠に使うと、相手の考えをコントロールして、自分の思い通りに動かすためのコミュニケーションになってしまうというリスクがあるのです。

からかうというのは子供っぽい行動なんだから…と甘く見られがちですが、その子供っぽい行動の裏に潜む、相手の意見や感情を無視した自己中心的で身勝手で、自分の欲望のためには他人を傷つける事を厭わないという邪悪な側面については、よく知っておくことが大事だと感じています。

からかわれるのが嫌いな人は相談するのも一苦労

からかわれるのが嫌いな人は、その悩みを誰かに相談して

  • 自意識過剰なだけじゃないの
  • 好きだと思われいるんだから喜べばいいのに
  • (男性の場合だと)そんなことで悩むのなんて男らしくない

と無神経なコメントから、自分の悩みが全然受け入れてもらえない経験で苦しんだり、「こんなことで悩む自分の方がおかしいのだろうか」と自分を責めてしまうことがあります。

上にも書いたように、からかうというのは一種の愛情表現や親しみの意味を込めて行われるコミュニケーションでもあるので、からかうという言葉を良い意味で見ている人とは話が合わず衝突することがよくあるのです。

また、からかう言とえば、子供同士で行う可愛いらしい嫌がらせのように軽く考えている人も多く、「そんな軽いことで強く落ち込む方が間違っているのでは?」「あなたの考えすぎではないのか?」と無神経なコメントを言ってしまう人も少なくありません。

加えて、過去にからかった経験をしてきたことがある人だとに、からかう人の悩みを小さくして自分のからかいは大したことがない、問題になるようなことではないと、考えることもあるので。

このように、からかうという言葉が多くの意味や寄らえ方を持つために、悩みを相談するのは苦労が絶えないという現状があるのです。

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からかわなくても仲良く出来る人間関係を大切に

最近では芸人やyoutuberを見ていると、やたらと体を張っていじられることで注目を浴びる芸であったり、怒った様子で笑いを取るキレ芸のように、からかわれるポジションやいじられキャラが、人間関係において美味しいポジションになっているように感じます。

体を張って果敢にいじられキャラに徹することで、盛り上げ役として役立つメリットはありますが、誰しもそのキャラが出来るとは限りませんし、ましてや苦手な人にからかわれるポジションを強制することは許されることではないと感じています。

また、自分の欲求不満や葛藤の解消のために「からかってるのはお前のことが好きだから」「これは愛情表現の一種だから」と自分の嫌がらせを正当化することも、社会において豊かな人間関係を送るためには認められるものではありません。

たとえ愛情や友情であっても、相手が嫌がっているのなら自分の行動を反省できるように努力することが大事です。

また、いじりやからかいといったコミュニケーションがなくても、普通に相手の気持ちを尊重したり、相手を大事にできる人間関係を築くことも大事だと感じています。

いじりやからかいなどの方法に頼らずとも、相手に自分の気持ちや好意を伝えられるようになるためには、見たくない自分の暗い感情と向き合って成長していくことが大切だと感じる今日この頃です。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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