建前でするような当たり障りのない会話や世間話が苦手で、何かと「腹を割って話そう」という具合に本音で話したがる人というのは、どこか親近感を抱く一方で、下手をするとその人のペースに飲み込まれてしまい、ついうっかりと余計なことを喋ってしまいそうに不安を感じることがあるものです。
今回は、そんな本音で話したがる人の心理について、お話いたします。
本音で話したがる人の心理
自分の言動に嘘や矛盾を抱える苦痛から開放されたい
本音を捻じ曲げて、周囲の空気に合わせて意見を変えること(=建前)について、まるで自分に対して嘘をついているように感じている、言行不一致で自己矛盾な自分のままでいることに苦痛を感じてしまう。
もちろん、この苦痛は多かれ少なかれ感じるものではありますが、どこまで許容できるか…つまり、自分の本音を抑えるだけの苦痛に耐え切れるかには個人差があります。
何もかも本音で話したがる人は、自分の言動に嘘や矛盾が混じることに非常に強い苦痛を感じると同時に、その苦痛を我慢することが苦手であるため、それから逃れるべく本音を口にしたがるのです。
こうした態度は、言い方を悪くすれば協調性がない、我が強い、自己主張が激しいと表現できますが、一方で自分に嘘をつけない人、正直者、素直で誠実な人と好意的な表現可能です。
会話の主導権を握りたい
建前に則った会話が行われている場というのは、あくまでも建前に沿うように自分の意見(本音)を変えたり、場合によっては本音そのものを極力言わないことが求められます。
会話の主導権を握りたい人から見て、このような建前尽くしの会話はたいへんじれったいものであり、「話したいこと(本音)があるのに話せない」ことで葛藤を覚えます。
そんな葛藤を感じなくても済む、そして会話の主導権をしっかりと自分が握るためにも、頼まれてもいないのに、自分から本音をどんどんに口にしたがるのです。
なお、自分で会話の主導権を握りつつ、本音が言える空気を作りたがる人に多いのが「ぶっちゃけ」というフレーズです。
「ぶっちゃけ」という言葉そのものが、建前ではなく本音で話すのを求めていることを端的に表す日本語(一応若者言葉の一種である模様)であり、その便利さゆえに若い人だけでなく、中高年の方でもよく口にしている言葉です。
また、本音を話すとなるとどこか畏まって真面目なムードになってしまうような人でも、「ぶっちゃけ」と言うと、フレンドリーな空気を維持しつつ気兼ねなく本音を話せてしまうので、非常に便利な言葉です。
(ただし、便利すぎるあまりに、なんでも話す前に「ぶっちゃけ~」と言えばそれっぽく聞こえてしまうフシもある。「ぶっちゃけ」を頻繁に使えば、そのあとに続く言葉が本音なのか建前なのかがわかりにくくなることもありますが…)
内容のある会話や交流を求めている
建前に則った当たり障りがない会話は、する分としては建前を逸脱した内容になることはまずないため、たいへん心穏やかな時間を味わえます。
ただし、当たり障りがないために、そもそも会話としての内容は乏しく、実のある会話をする人からすれば「話してて心地良い気分に浸れるけど、後から振り返ると一体何を喋っていたのかまるで記憶に残っていない」ことで、虚無感を感じる会話となります。
そんな、虚無感に苦しみたくない。もっと内容があって充実している会話や交流を求める気持ちが強い人ほど、感情的でやや乱暴な口調になってもいいので、本音で話して実りのある会話をしたがるのです。
…なお、こうしたガツガツとした態度ゆえに、なんでも本音で話たがるという人は、疎まれてしまうのと考えると、腑に落ちるものがあります。
こちらとしては当たり障りのないローコストな会話で抑えたいのに、それを無視して「本音で語ろうぜ」「もっと意識高い会話をしようよ」と暑苦しく迫ってくる。もちろん、最初のうちは対応できたとしても、いつも本音でガチなトークばかりでは、次第に話す行為そのものに余計な疲労を感じて、どっぷり疲れてしまう。
まるで会うたびに体力を吸われているかのような感覚に陥るからこそ、本音ばかりの人との会話を苦手とする人は多いのかもしれません。
間接的に相手の本音を聞き出そうとしている
自分から本音を語りだすのは、ただ自分の本音を話したいだけではなく、関節的に相手の本音を聞き出そうとしていることも考えられます。
この心理については、心理学の社会的交換理論をもとに考えると理解しやすくなります。
社会的交換理論では、お互いに居心地のよい人間関係はギブ&テイクの関係であり、ギブとテイクの量が等しい(ギブ=テイク)の関係こそ長続きしやすいとされています。
自分から本音を話した場合、本音を聞く側からすれば「自分は相手から本音を聞いたのに、私だけ本音を言わないのは居心地が悪い…」というように、相手と自分との関係が不均衡であることに違和感を覚えます。
「本音」という相手からギブされたものを受け取ったのに、自分は何もギブせず、そのまま居座り続ける関係は、なんとなく落ち着かない。
そうした違和感を解消するためにも、自分もギブをする…つまり、自分の本音を相手に話すことで、お互いに対等でギブ&テイクの関係になるように動いてしまうことが、社会的交換理論で説明できます。
言うなれば、本音で話たがる人が話す本音は、他者が本音を話しやすくするための呼び水のようなものであり、他者が本音を話しやすい雰囲気作りの為に、最初に本音をいう役を買って出ているのです。
ただし、本音を話しやすくすると言っても、そもそも「本音を言わない状態ではなんだか申し訳ない…」という消極的な理由で本音を聞き出そうとしているため、素直に「本音を聞きたい」と申し出る場合と比べると回りくどさ、卑怯で姑息な一面も目立つ方法と言えます。
建前ではない本当の自分を認めて欲しい欲求が強い
建前として見せている自分は、あくまでも仮面をかぶった仮の自分であり、それが受け入れられても仮面の下にある本当の自分が認められ、受け入れられているという実感は得にくいと感じている。
認められているのは、建前に則っていい子ちゃんと演じている自分、周囲から求められているお利口さんとしての猫をかぶった自分であり、本当はいい子ちゃんでもないお利口さんでもない、多少乱暴で自己中心的な本当の自分を認めて欲しい…という願望の強さが、やたら本音を口にしたがる行動を招いていると考えられます。
ぶっちゃけると「ありのままの自分を認めて欲しい、受け入れて欲しい」という承認欲求の強さゆえに、本音を話たがるという行動に反映されていると言えます。
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本音をぶつける人に感じる他人への支配願望
やたら本音をぶつけてくる人の中には、(本人が意図していなくても)知らないうちに他人に本音を話すように強要していたり、「私の本音を我慢してでも受けれて欲しい」というような、他人を自分の思うようにコントロールしたい心理、つまり他人への支配願望を持っているように感じることがあります。
本音を語り合えば、相手との心理的な距離感が近づいて親しくなれる、というポジティブに表現できますが、言い方を悪くすれば相手の腹の中を探って弱味を握る、というネガティブな表現も出来てしまいます。
また、どうしても本音を喋りたくない人、本音を知られたくないと感じている人に対して、自分からあえて本音を口にし、間接的な方法で本音を聞き出そうとする行為もまた、相手の腹の中を探って自分に対して秘密や嘘はつけないように支配したい…という、願望の強さとも解釈できます。
本音で語りあえる関係というのは、確かに心地良いものかもしれません。
しかし、本音を積極的に言い合い心理的な距離感を近づけすぎた結果、知られたくない自分の過去や恥ずかしいことまで知られてしまって悩んだり、別れたくても他人に恥ずかしい過去を暴かれているため別れられずにいることで悩むことも想像できるので、無批判に良いものとして推奨する気になれないのもまた事実です。
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