他人に対してたいへん好意的&肯定的な態度を取る。もちろん、暴力や暴言など恐怖によって支配するようなことはしない。
そんな非常に優しい人そのものであるのにもかかわらず、どこかその優しさに重さというか違和感というか、秘めたる暴力性、攻撃性、支配欲求のような、優しさを打ち消すような矛盾した要素を感じてしまう。
一見すると安心感を覚えて心地よい関係が築きやすい人のように見えて、実は付き合うだけでジワジワとメンタルを削られてしまう。優しいけれども、関係を保つことそのものがストレスになってしまう、厄介な問題を抱えている人と言えるでしょう。
今回は、そんな優しさが重い人に感じる不快感、違和感についてお話いたします。
優しさが重い人に感じるストレス・不快感の正体
「優しさを拒否してはいけない」と圧力をかける、善意を押し付けてくる
プレゼントやサプライズ、お褒めの言葉や感謝の気持ちなど、ポジティブで優しさを感じる行動を自分に向けてくるものの、その行動がどこか押し付けがましい。
まるで「私があなたに向けている優しさを拒否することは認められない」と、笑顔で圧力をかけているように感じて、優しさに感じるありがたさや幸福感・満足勘よりも、「相手の優しさを受け取らなければならない」という義務感の方が上回ってしまい、優しさを受け取ることに疲れを感じてしまう。
要するに相手がやっていることは、優しさを他人に提供しているのではなく、他人の要求や意見を無視して自分の都合で善意の押し付けていることに過ぎないと言えます。
だからこそ、本来ならありがたさや幸福感などが味わえるはずの優しさに、精神的な負担や義務感といった「重さ」を感じてしまうのです。
優しさを拒絶することに罪悪感を抱かせる態度・素振りを見せる
高圧的な態度であったり、暴力や暴言など攻撃性を露骨に醸し出している態度であれば、相手の拒むことに対してそこまでストレスを感じることはない。むしろ、堂々と断ることができます。
しかし、優しさの場合は、拒絶することそのものがどうしても難しいものです。下手に優しさを拒もうものなら、相手の善意を拒絶したことで相手を深く傷つけてしまうことに恐怖心を感じたり、自責の念や良心の呵責を感じてしまう。
加えて、優しさが重い人の中には、言い方は悪いですが他人に余計な罪悪感を抱かせるのが得意であり、「私の優しさは真剣なものですよ」とか「優しさを断ると自分はひどく傷つきますよ」という態度を見せることが目立ちます。
代表的な例を言えば「あなたのためを思って…」という言葉を口にしながら、断ることに罪悪感を抱かせるような優しさを押し付けてくる。
そのほかにも「せっかくなので…」「私の優しさなんて…」など、断り辛い雰囲気を作りながら、優しさを拒む選択を奪ってくるために、優しさに重さを感じてしまいやすいのです。
「優しさを受け取らなくてもいいですよ」と言いつつも、結局は優しさを受け取るほかない方向に導こうとする
「優しさを無理に受け取らなくてもいいですよ」「優しさがいらないのなら遠慮なくおっしゃてください」という言動を見せることで、優しさを拒否することをあらかじめ相手に提示してくるケースです。
相手に受け取るか拒むかの道筋を丁寧に示しているので、一見すると親切に思えるかもしれません。しかし、そのまま素直に優しさを目の前で拒もうとするのは気が引けてしまい、逆にストレスを感じてしまう羽目になります。
「優しさを受け取るも、受け取らないもあなた次第ですよ」と自由に選ぶことを提示しているのにもかかわらず、むしろ先に提示されたことで選択することに不自由さを感じてしまい、結局は優しさを受け入れることを渋々選んでしまうのです。
なお、こうした「受け取らなくてもいいですよ」という優しい提示に反発してしまうのは、心理的リアクタンスという心理学用語で説明できます。
心理的リアクタンスとは、自分の態度や行動の自由が制限された時に、その自由を取り戻そうとする心の働きの事です。
(例)
・「勉強しなさい」と言われるとますます勉強へのモチベーションが失われる。
→人間には自分のやることを自分で決めたいという欲求があり、「自分で勉強をしよう」と思っているタイミングで「勉強しなさい」と言われると、自分で決めたことではなく誰かに決められたことを強制されていると感じて、無意識のうちに抵抗してしまいます。
相手からの褒め言葉を素直に受け取れず、「どうせ、お世辞で言っているだけだろ?」とひねくれたものの見方をする人は少なくありません。 例え
初対面なのにいきなり優しくしすぎて妙に距離を詰めてくる
初対面なのに妙に優しさ見せてくる人もまた、その優しさに重さや違和感を抱きやすいものです。
ぱっと見は優しいので、初対面で「この人は安心できそうだ」という好印象を持ちやすいものの、その優しさがどこか初対面の相手を侮っているような要素があるように感じてしまう。
具体的に言えば、
- やたら褒める、おだてるように誉めそやしてくる。
- 妙に大げさに褒めたり、肯定的な態度を見せる。(=優しさが芝居っぽい、嘘くさく感じる)
- 今あったばかりなのに、もうその人のことを全て知ったかのような雰囲気で優しく肯定的に接してくる。(=ナチュラルな失礼さを感じさせる。馴れ馴れしい。)
- 「初対面で優しくしとけば相手は自分のことを気に入ってくれるはずだ」と、相手を尊重せず、自分本位な優しさを見せる。
- 妙に優しさをやたら見せてきて、こちらが話す機会を与えようとしない。まるで自分以外の他人が優しさを振りまくことを良しとしておらず、その場の空気を支配するかのごとく優しさを振りまく。
といった、暴走気味な優しさが違和感を抱かせる根本的な原因です。
しかもその優しさは、あくまでも相手を喜ばすものではなく、自分がよく見られたいだとか、相手から好かれたいだとか、恋愛関係になりたいだとか、個人的な願望からくるものであるからこそ、優しさの中に違和感を感じてしまいやすいのです。
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優しいけれども相手を尊重していない自己中心的な思考が目立つ
- 優しいけれども、その優しさは相手が求めているものとは違う優しさである。
- 相手が優しさを必要としていないのにもかかわらず、優しさを押し付けてくる。
など、独りよがりで自己中心的な優しさを振りまく。
いいことをしているように見えて、結局は自分本意な優しさを振りまき、自己満足することがメインであり、その優しさを受け取る人に対する配慮や丁寧さが欠いている。
ひとことで言えば「ありがた迷惑」や「よけいなお世話」でしかない。しかし、当の本人はそのことに気づいていない。自分は優しさ振りまいているのではなく、善意を押し付け他人に精神的な負担をかけていることに気づいていないので、関わると非常に面倒な人と言えます。
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