素直じゃない、考えすぎる、ネガティブ思考が強い…など、いわゆる「ひねくれている」と表現される性格の人と付き合うのは、心身共に疲労することが多いものです。
しかし、かと言って「ひねくれているから、あなたとは関わりません」と言えるほど、人間関係をブロックすることは現実的に考えれば難しいものです。
例えば、ひねくれている人が自分の上司・同僚・部下・クライアントなど仕事の都合上切るに切れない間柄の人や、自分の友人、好きな人、パートナー(及びその親族・親戚)、子供などとなれば「あなたはひねくれているからブロックします」と言おうものなら、自分の人間性が疑われてしまうのは想像に難くないものです。
それゆえに、ひねくれている人との上手な付き合い方は、身につけておいて損はありません
ひねくれた性格の人との付き合い方で気をつけるべきこと
ひねくれたものの見方を真っ向から否定しない
ひねくれている人に対して
- 「ひねくれた考え方は直すべきだ」
- 「後ろ向きな考え方よりも、前向きで建設的な考え方をすべきだ」
- 「ひねくれた考え方なんかつまらないから、今すぐやめるべきだ」
など、相手の考えを真正面に否定する発言を避けるのが大前提です。
もちろん、ひねくれた考え方のせいで日頃からストレスを抱えている人からすれば、鬱憤を晴らす意味合いを兼ねてストレートに言ったほうが気分が楽になるかもしれませんが、その場合自分だけが満足すると同時に、強く否定された相手は深く傷ついてしまいます。
下手をすれば、強く否定されたことで余計にひねくれ度合いを強めてしまい、逆効果になることも起こりえます。
どうしてひねくれてしまっているのか、ひねくれた言動の裏にはどういった心理や思惑が隠されているのか…という、相手の視点に寄り添うことを放棄した関わり方は、自分の傲慢さをより強めてしまい、ひねくれている人との衝突を招く原因になります。
「ひねくれている人を正す」という正義感に溺れず、しっかり自分が向き合う相手の考えに寄り添って、理解や興味を示すことが大事です。
「世間一般的に見て~」「常識的に考えて~」という言葉で説得するのを控える
ひねくれている人は、ひねくれているがゆえに世間一般や常識的なものの見方とは食い違うことが多いものです。
一般的な常識とは食い違うことが多いために、正しい常識とは一体何なのかを説明するように「世間一般的(常識的)には~」という言葉を用いて接してしまうのも、無理はないものです。
しかし、ひねくれている人はただ自分の意思で常識に反発しているのではなく、自身が持っている強い思い込みや不安、恐れなどが引き金となった結果としてひねくれているために、世間や常識などを振りかざしても響きにくいのです。
ですので、相手と関わる場合は「私はあなたに○○して欲しい」と私(自分)を主語にして、話かけることを意識するのが大事です。
「ひねくれている性格は世間一般から見て変えて欲しいのではなく、私が変えてほしいと感じている」と、自分を主語にして変わってもらいたい気持ちを伝えること。そして、変わってくれたら「私はあなたの事を認めますよ」と受け入れる態度を持つことが大事です。
ひねくれている人を見下しの目で接しないように心がける
ひねくれている人と関わる場面にて、その人の事を「ひねくれている=自分の考え方を改善する気がない怠け者である」と結論づけて、見下しや軽蔑の目で見ない事が肝心です。
どうしても、ひねくれている人は
- 子供のように拗ねていて情けない人
- ひねくれた考え方のせいで人に迷惑をかけている自覚ができない残念な人
- 素直じゃないせいで、いつも誰かをイラッとさせる迷惑な人
- かわいそうな考え方に縛られていて見ているだけでも哀れに思えてくる人
と、非常に否定的な印象で語られることが多く、つい無意識のうちに見下しの目で見てしまうことが多いものです。
しかし、かと言って見下しの目をしたまま相手と関わるとなれば、相手を一人の対等な人間として扱おうとしない行動を肯定してしまう。つまり、見下した相手には容赦しない、自分の横暴で傲慢な態度そのものを肯定してしまう原因にもなります。
また、他人を見下しそれでうまく人間関係をやってのける自分を周囲にアピールすること自体、たいへんリスクのある行為とも言えます。
「私は見下した相手には容赦しませんよ」と威圧しながら緊張感を与え続ける間関係は、決して上手な人間関係とは言えないことは、この記事を読んでいる方であれば自ずと理解できることだと思います。
短期間でひねくれた性格が急激に変わることを期待しない
ひねくれた人に対して、性格を変えて欲しいと願うこと自体は否定しませんが、その願望が「短期間で急激に変わってほしい」と急な変化を求めてしまうものになると、関わりを持つことそのものに苦しさを覚える原因になります。
ひねくれたものの見方が、その人の生育環境や学生時代の人間関係・環境など、数年~十数年単位で育まれたものであるのに、それを無視して数日か数週間でガラッと変わることを期待しても、それはあまりにも現実離れした自分に都合のいい期待です。
当然、そんな期待では「どうして性格を変えようとしないの?」と、自分の都合のいい期待が裏切られたことで相手を問いただしたくなったり、見放したくなる気持ちが出てきてしまい、関係を続けるのが辛くなるのは無理もありません。
また、ひねくれている人からしても、「勝手に期待をかけられて、それが叶えられなかったら手のひらを返して否定する困った人」と感じて、お互いにその後の関係がギクシャクする原因になりかねません。
こうならないためにも、性格が急変することを望まず、ゆっくりと少しずつ変わっていく姿を穏やかに見守る姿勢を持つことが大事です。
(なお、ひねくれたものの見方が短期間で変わることの難しさが影響して、ひねくれている人と好き好んで付き合う人は出にくい…というのも、残酷なようで妙にしっくりくる事実と感じます。)
「ひねくれた性格が完璧に変わらなくてもいい」という姿勢を持つ
ひねくれた性格を変えて欲しいと願う人に多いのが、ひねくれている部分が全てなくなって、完璧に素直な性格になることを期待している人です。
ひねくれている言動が10種類あったら、その10種類が全て無くななる。ひねくれ要素が全部消え、完全に浄化されてはじめて「ひねくれていない」と認識するような人がこれにあたります。
こうした相手に完璧を求める姿勢は、相手が精神的な負担を感じてしまって関わりづらさを抱く。そして、他人が完璧に変わらないことに対して自分が苛立ちや不満を感じてしまう原因になります。
繰り返しますが、ひねくれている性格を変えて欲しいと願うことは否定しませんが、その願望が「完璧に変わってくれる」というエスカレートしたものにならないように心がけておくことが大事です。
むしろ「完璧に変わらなくてもいい」という姿勢を見せておき、相手に余計な緊張感を抱かせず、相手の考えを尊重する姿勢を持つ方が、上手な関係を続けていくためには大事と言えます。
お互いに適度な距離感を保つようにする
ひねくれている人に対するNGな行動について数多く触れきましたが、かと言ってひねくれている人の言いなりになることを推奨しているわけではありません。
当然ながら自分がされて嫌なことや困ることをされたら、それに対して毅然とした態度で対応し、「ここは譲れませんよ」という姿勢を見せて、距離感を適度に保つことが大事です。
距離感は相手の言い分をなんでも受け入れてしまえば近すぎて苦しくなり、逆になんでも拒絶し続ければ、離れすぎて関係を続けることに意味を見いだせなくなります。
- 相手の要求をなんでも飲み込まない。逆に、自分のペースに相手を飲み込ませようとしない。
- 要求を聞く場合も妥協点を探ることを意識する。逆に、自分が要求をする場合も、相手に無理強いをしないようにする。
などを意識して、ひねくれている人と適度な距離感を探るようにしてみましょう。
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