ひねくれた性格・考え方で感じるメリット

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この記事は「ひねくれた性格・考え方で感じるデメリット」の続編です。

ひねくれていることがあまりにも悪玉視されているように見られがちな現代において、そんなひねくれた性格や考え方だからこそ感じられたメリットについて、筆者自身の経験も踏まえてお話し致します。

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ひねくれた性格は、一般的には好ましいものとして見られることがないことは、社会生活を送る中で多くの人が実感しているものだと思います。

ひねくれた性格・考え方で感じたメリット

皮肉や風刺を楽しめる

ひねくれていることのメリットとして、社会風刺や皮肉を楽しんだり、それらを理解してしみじみとした気持ちを味わえることは、メリットの一種と感じます。

わかりやすい例を言えば、笑点の大喜利にて、ブラック団団長のトップである六代目圓楽師匠、そして今は亡き回答者時代の桂歌丸師匠がしていた毒のある社会風刺の回答には、毎度のことながら心の中で座布団を進呈したくなる気持ちを抱いておりました。

なお、かつては木久扇師匠のおバカキャラや小遊三師匠の下ネタで笑っているばかりで、圓楽師匠や桂歌丸師匠のような堅苦しく毒のある回答は、一体何が面白いのかさっぱり理解できない過去もありました。

しかし、年齢を重ねて、ひねくれた性格がよりひねくれていくにつれて、両師匠の毒のある回答の裏に込められた意図や思惑を理解し、そしてそれらを遠まわしに言うことで、派手で無いにしても見ている人にしみじみとした笑いを誘う芸の素晴らしさ、言葉の奥深さ知ることができたのも、ひねくれた性格のメリットであると感じます。

年の離れた人と会話をしやすい

ひねくれた性格をしていることは、よくもわるくも若者らしいを感じさせないためか、年の離れた先輩方からすれば「いまどきの若者」として、変に緊張することなく話せる相手と見られていたのではないかと感じることがあります。

(なるべく)肯定的に言えば、若いけれども落ち着きがある。冷めた部分があって嫌な奴ではあるものの、冷静かつ鋭い意見が欲しい時の話相手として、ありがたがられていたのかもしれません。

人間の美しいところも、醜いところもどちらも味わって来た先輩方からすれば、若くて人間の美しさを信じていたり、希望や夢に目を輝かせている綺麗な若者よりは、ひねくれていて目の輝きなんぞとうの昔に消え失せている筆者のような若造の方が、変に意識しなくとも話せる相手だったと思います。

かくいう筆者自身も、同年代との若々しい会話よりも、ご年配の方との落ち着いた会話の方が心地よかった。会話の内容は夢、希望、人間の美しさなどとは無縁でしたが、それでも充実した時間を過ごせていたのは紛れもない事実です。(もちろん、話かけてもらっているという考え方自体に、自身の傲慢さがある可能性も否定はできませんが…)

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他人の話に対して注意深く聞けること

他人の話に対して素直に受け入れないひねくれっぷりは、言い換えれば他人の話をそれだけ注意深く聞くことや、慎重に聞けるというメリットだとも表現できます。

特に大事な契約であったり、金や信用が絡む話のように、慎重になって話の内容を聞き、すみずみまで理解する必要性がある場面においては、ひねくれた性格でよかったと感じることが多々あります。

損得が絡む話の場合、人によって目先の利益欲しさに、話を聞く人にとって不都合な話をあえてせずに、話を進めようとすることがあるものです。(わかりやすい例を言えば、儲け話、投資案件など)

そうした話に対して違和感を抱くだけでなく、しっかり話の内容を確かめて行き違いが内容に確認をとるというスキルは、特にお金が絡む話題であればこそ、身につけて置いて損はないものだと感じます。

もちろん金銭的な利益だけでなく、仕事における地位・立場に関わるもの、誰と誰とが仲がいいとか悪いとかの人間関係を円滑に送る上での好材料など、あらゆる損得に関わる話について、一歩引いた目線で見れることは、メリットの一つであると感じます。

ただし、ひねくれた見方が災いして、円滑な人間関係を築けなくなることと表裏一体であるので、メリットしかないと断言できるものではないことは頭の片隅にもで入れておくのが賢明だと思います。

ひねくれた考えゆえに、良くも悪くも目立てる

物事を違った目線や角度で語れることは、場合によっては意見そのものに斬新さがあるとして評価されたり、いい意味でも悪い意味でも注目の対象となる可能性が高いとも言えます。

集団全体がある意見について偏りすぎた為に閉塞感や停滞感が漂っていたり、停滞しすぎた為に馴れ合いのような澱んだ関係に陥りがちな場面にて、その空気を打破する為に多少ひねくれていてもいいので毒のあるツッコミを言える役割というものは、決して損な役回りばかりではないものです。

ただし、停滞感を打破したことで図に乗ってしまったり、話題から大きく外れて見当違いなことを言ってドン引きされている自分の恥ずかしさに気づけなくなるリスクもあるので、ひねくれ具合の調整には要注意すべきです。

なお、役割の都合上、自分が集団内において先輩であり、後輩に対してビシッと言うべき立場であることが前提です。

自分が後輩で先輩方に対してビシッと言おうものなら、反感を買うリスクが高まり、集団内における居場所を失うだけでなく、同年代の人からも距離を置かれてしまうリスクについては、知っておいて損はないでしょう。

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ひねくれている人が感じる辛さに対して共感できるものを感じられる

ひねくれている人と付き合うことは、思考や感情を理解しづらくどうしてもめんどくささを感じることが多いために、敬遠されがちです。

わざわざそんな人と付き合ってお互いに苦労するぐらいなら、自分も相手を変に関わりを持って傷つかないように、そっとしておくことが人間関係をうまく渡り歩くための方法であると同時に、優しさであり、気遣いであると言えます。

しかし、こうした優しさは、悪意とは違って優しさであるがために、ひねくれている人にとっては堪えるものがあります。自分がめんどくさい人だと思われているだけでなく、めんどくさい人だからこそ、お互い不愉快な思いをしないように…と、変な気遣いされて、よそよそしくされていることに辛さを感じるのです。

「あの人はめんどくさい人だからブロック」とバッサリ切って捨てることはしないだけの優しさは見せるものの、その優しさは相手のためを思っている優しい一面もあれば、自分の体裁や世間体を毀損しないためという目的もあることは、ひねくれているがゆえになんとなく理解できてしまう。そんな複雑で理解されづらい辛さ、ともすれば自意識過剰や思い込みとして軽く流されてしまいそうな悩みや辛さを理解できることは、ひねくれた性格のメリットだと感じます。

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国立大教育学部卒、専攻は心理学。発達心理学、教育心理学、スポーツ心理学、社会心理学を中心に心理学に関する記事を執筆中。そのほかにも、人間関係やコミュニケーション、性格、スマホ、SNS、ゲームなどのあらゆるテーマを心理学の知識を用いて詳しく、面白い記事を書くことを心がけております。

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