一般的に人間関係において距離感を近づける事は良いことだとされていますが、やたらと距離感が近い人であったり、ベタベタとくっつくように接してくる人ははどうしても苦手と感じることがあるものです。
まるで他者に依存したいために、あえてべたべたとした関係を築いているように感じたり、恋愛や金銭などの下心で近づかれると、どうしても相手に対して不信感を抱いてしまうことでしょう。
また、友達として近づいてきている事はわかるものの、どこか自分のことを見下しマウントを取る目的で近付かれているように感じて辛くなったり、他人のプライベートを覗こうとする下世話な気持ちで近付かれているとも感じて、不信感を抱いてしまうものです。
今回はそんな距離感が近い人が苦手に感じる理由についてお話しいたします。
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目次
自分の内面をつい出しすぎてしまって後悔の念に駆られる
他人と心理的な距離感が近づくと、お互いに自分の内面の部分…
例えば
- 自慢話
- 個人的な主義・主張・持論
- 好き嫌いにまつわる話題
など初対面ではできないようなくだけた会話が出来るようになります。
もちろん、こうした話題は仲が良いからこそできるものではありますが、一方で自分の個人的な感情が入るために、つい自分の持論押し付けるような会話になってしまったり、下手をすれば相手の好みや主義主張も間接的にしてしまうことが起こります。
内面をさらけ出して相手に自分のことを知ってもらった充実感や安心感がある一方で、「ちょっと個人的な話を言い過ぎてしまったのではないのか…」と反省や後悔の念に駆られことがあるものです。
もちろん、距離を近づけてきた相手に悪気や悪意がないにしても、自分の中で「ちょっと言い過ぎてしまったなぁ」という不快感が強く残り、今度会うときはあまりベタベタとせず、ある程度距離をおいた関係の方が楽だと感じるものの、一度近づいてしまった以上なかなか離れることができず、ズルズルと関係を続けてしまう。
しかし、だんだん関係を続けるのが辛くなり、最終的には人間関係リセット癖のようないきなり相手と関係を切ってしまうことで、自分が抱えている丸ごと放り投げてしまいたくなるのです。
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自分のプライベートを覗かれている気がして怖い
やたらと距離感を近づけてくる人には、自分のプライベートな部分覗くこうとしたり、人には言えないような恥ずかしい部分にズケズケを踏み込んでくるような人がおり困りものです。
他人の噂話が好きな人であったり、パパラッチ根性で他人の日常(例:休日何しているのか、異性の好みは何なのか、どういう家庭で育ってきたのかなど)を知りたかろうとする人は、その無神経であまり近づきたいと言う気持ちにはなれないものです。
また、近づく際に相手の方からいきなり自身のプライベートを打ち明けてきて「私のプライベートを話したのだから、あなたのプライベートを話してよ」と、聞く側の事情を無視して迫ってくるような姿勢は、まるで強引なセールスマンから執拗に契約を迫られているような緊張感があります。
「自分が自分が」とプライベートを打ち明けてくる自己中心的な言動。そして、プライベートを話さなければ、こちらが非難されるような状況作ってしまうしたたかさ。
確かに相手とは会話をしているのではあるもの、キャッチボールのような掛け合いではなく、ピッチングマシンのように一方的にボールを受け続けて会話がまるで楽しめないので、関係を持つ気になれなくなるのです。
なお、こうした行動は、よくしゃべるタイプのコミュ障にも通ずるものがあります。
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精神的に依存されているような気がして不穏
自分1人では物事を決めることができず、何でもかんでも誰かに決めてもらって楽をしたいとか甘えていたいと言う依存心が強い人には、距離をやたらと縮めてくる傾向があります。
最初は自分に興味を持っているから近づいてきているのだと感じるものの、付き合っていくうちに、少しでも離れる時間や状況があればひどく困惑様子を見せたり、束縛して自由を奪うかのような行動とってきます。
こうした依存心には、自分に対する無力感や自己肯定感の低さが影響していると考えられ、自分が無力で一人では生きていけないと言う思い込みがあるからこそ、他者に対して過剰に依存してしまうのです。
適度且つ複数人に依存するのならまだしも、自分がこれと決めた一人だけに徹底的に依存するので、共倒れになりやすく関係を持続しづらいのが欠点です。
「こいつなら距離を縮めても大丈夫」と舐められているように感じて辛い
やたらとベタベタくっついてくる人は、相手がはっきりと「嫌だ」と言う姿勢や態度を取れるかどうか見極めているように見えることがあります。
もしも、はっきり「嫌だ」と言ば、それ以上近寄るのを近づくのをやめて、普通の関係に戻れば良い。一方で、はっきり「嫌だ」と言ってこない相手であれば、多少強く出れば自分の思い通りに利用できる相手とみなして、自分に都合よく利用しようとします。
距離感を近づけるのは、相手がお人好しであり自分が調子に乗っても許される相手であるかどうかを見極めるためのもの…つまり、舐めてかかっても問題ないかを見極めていると言っても良いでしょう。
なお、最初から「この人はなめてかかったら痛い目を見る」と外見や態度から明らかにわかる相手に対しては、あえて試すような真似はしないものです。
試されるのは、おとなしかったり、優しくて真面目に見えるなど、マウントを取り主導権を握りやすいと思われる相手です。
もちろん、相手からマウントをされる事は非常に不愉快です。しかし、それ意外にも自分が舐めても大丈夫な人間だと他人から見られていることを悟り、何とも言えない辛い気持ち襲われる辛さあります。
自分が他人からどう見られていることが気になる人からすれば、自分が格下だと思われていることを認めるのには、精神的な苦痛が伴います。
自分の承認欲求を満たすために、都合よく利用されている気がして不愉快
都合よく利用する目的の1つとして、自身の承認欲求を満たすための都合のいい相手を止めていることが考えられます求めていることが考えられます。
単刀直入に言えば、他人と一方的に距離を近づけ、自分のことを褒めてたり、ちやほやしたり、「すごいね」「さすがですね」ともてはやしてくれる人を求めているのです。
自分の承認欲求を満たすために他人を利用しますが、あくまでも自分の承認欲求だけを満たすことが目的であり、褒めてくれている人を認めてねぎらったり、いたわることはまずありません。
また、もしも承認欲求を満たすためだけに利用されるとなれば、何があっても相手のご機嫌をとり続け、明確な上下関係に基づく関係になります。
しかし、立場が上の人に尽くしても、それに対する見返りはない。他人の自己満足のために、こちらが自己犠牲を払い続けるという、不毛な状況に苦しむことになるのです。
下心で近づいている気がして不気味
もう一つ都合よく利用する目的としてあるのか、金銭的な利益、人脈目的、あるいは恋愛関係求めている…要するに下心です。
相手は自分の内面や人となりに興味があるのではなく、自分が持っている資産や金銭、人間関係、異性としての魅力、といった別の物に魅力を感じており、それ欲しさのために下心で近づいているように思われて嫌悪感を抱いてしまうのです。
また、下心で近づいてくる人と言うのは、自分が持っている近づく対象が持っている利益、人脈、異性としての魅力がなくなった場合、まるでゴミを見るかのような視線で素早く距離を置こうとする薄情さが象徴的です。
自分にとって利益がないのであればすぐに捨てる。自分勝手で相手のことを一人の人間として尊重しない姿勢を敏感に感じ取ってしまうからこそ、やたら距離を近づけてくる人に対して警戒してしまうのです。
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