一般的にコミュ障といえば、
- 人見知り
- 人前で話すのが苦手
- 緊張しすぎて小声で話したり挙動不信になる
など、喋るのが苦手な人のことを指す言葉として使われています。
しかし、コミュ障の人でもぱっと見は違和感なく話せているように見えて、実は全然人の話を聞いていない、一方的に話してばかりで周囲を疲れさせてしまう…つまり、よく喋るタイプのコミュ障もいます。
よく喋れているのでコミュ力が高くて何も問題ないかと思われがちです。
しかし、
- 根本的に自分以外の他人に興味がなく人と深く交流できていない
- 人との適度な距離感がわからず一方的に詰め寄るように接してきてお互いに疲れてしまう
などの人間関係をうまく築けないトラブルを抱える点では、一般的なコミュ障と共通しています。
今回は、そんなよく喋るタイプのコミュ障の心理や特徴についてお話いたします。
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よく喋るタイプのコミュ障に見られること
相手に話す隙を与えないほど一方的に話してしまう
よく喋りすぎるあまりに、相手に話をする隙を与えないほど一方的に喋ってしまう傾向があります。
理想的な会話がキャッチボールと例えられるのと比較すると、よく喋るコミュ障の会話は、ピッチングマシーンのように一方的で立場が固定された会話になります。
まるで政治家の該当演説を聞いているかのような感覚に陥りますが、根本的に喋る相手のことを意識したり気遣っているわけではない。他者と深く交わろうという姿勢が、喋る姿からは感じられないのが特徴的です。
隙あらば自分語り、自慢をしたがる
話す内容も、自分の生まれ育った町や交友関係、家族関係などの自分を中心とした語りであったり、自慢話に偏る傾向があります。
話の流れを無理やり変えて自分語りや自慢話を開始し、それを延々と繰り返してしゃべり続けるため、聞く方からすれば非常に疲れる相手となります。
聞いてもいないのに勝手に自分の話をしたがる行動からは、人と話をしたいから喋っているのではなく、ただ自分の話を聴いて賛同、賞賛、共感、承認が欲しいから話しているという、独りよがりで自己中心的な気持ちの強さが伺えます。
また、自分語りの内容も、いきなり過去の暗い話や挫折した話など、その場の雰囲気をどんよりさせる、言い方を悪くすれば周囲をドン引きさせるようなネタを選びがち。
親しくもないのにいきなり重い話題を降ってきて急に距離を詰めてくるところが、よく喋るものの人と関わるのが苦手なコミュ障らしさを感じさせます。
「こんな暗い話題をしたら周囲はどう思うだろうか」という、他人の立場に立って考えることをせず、ただ自分が話したいことを一方的に話しているばかりなのが目立ちます。
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場の空気が読めない
自慢話をすべき場面ではないのにしてしまう。今までの流れを無視して、一方的に話題を変えてしまう行動からは、場の空気の読めなさの強さが伺えます。
コミュニケーションは一人ではなく相手がいてはじめて成り立つものである以上は、場の空気を読んで、その場に応じた行動を取ることが大事なのは言うまでもありません。
しかし、いつでも自分が中心であるという自己中心的な一面のせいで、場の空気よりも今の自分の気持ちばかりを優先してしまい、自分勝手に話をしてしまうのが、よく喋るのにコミュ障だと思われる根拠となるのです。
話題がよく変わる、脈絡のない話が延々と続く
よく喋るわりには、話題がコロコロ変わって結局何を言いたかったのかが、話を聞いていてもよくわからない。脈絡のない退屈でよくわからない話が続くばかりで、聞く側が話についていけなくなり脱落してしまうことがよくあります。
よく喋っているので、コミュ力があるようには見えますが、話したい話題や内容が転々としており、まとまりが無いのが特徴的です。
なお、喋っている当の本人も、自分の考えていることをしっかり伝えたい気持ちがあるものの、それが空回りして必要以上にしゃべりすぎてしまっている。
または、ボキャブラリー(=語彙力)が少なく、自分が考えていることをうまく言葉に変換できないのを補うために、とにかく知っている言葉や文章を口に出した結果、脈絡のない話が延々と続いてしまうことも考えられます。
その場合は一度話す前に、自分が話したいことを文章にして整理したり、推敲する癖を身につければ、端的に自分の考えていることを伝えられるようになります。
相手に過度な期待や反応を押し付ける
一方的に話をするだけでなく
- 「私の話は面白いでしょう?」「私はコミュ力あるでしょう?」という反応をするように期待を押し付けてくる。
- とにかくしゃべった内容を全面的に肯定するようにプレッシャーをかけてくる。
などの、話した内容に対する反応までも「こうあるべき」と指定する傾向があります。
また、もしも期待通りの反応が返ってこなかった場合は、ひどく傷つけられたと感じて攻撃的な態度を取ったり、無視を決め込むことがあります。(=勝手に期待して勝手に傷つく)
自分から話をしておきながら、それに対する自由な反応を認めようとしない頑固さは、話し相手を一人の意見を持った人間として尊重していない。
まさに、自分の話を聞くためだけに存在している、モブキャラと感じている。そして話をしている自分は主人公であり、皆自分の言うことを聞くように感じている自己中心性や自己愛の強さが伺えます。
早口・大声になっていることを自覚できない
よく喋るだけでなく、話すことに夢中になって早口になっている、声が大きくなりすぎてうるさくなることもよく見られます。
そして、それらの聞きづらさの原因を自分が生んでいることに自覚ができず、更に声のスピードボリュームが上がり続けて迷惑がられることがあります。
もちろん、これはその場の状況(例:飲み会など人が多くいる場面で話しているなど)によるものもありますが、自分の声の大きさが不快感を与えている事実に鈍感であることが、よく喋るけど実はコミュ障であると思われる理由ともいえます。
他人の話題に興味がなくて愛想が悪い
喋る以外の場面でもコミュ障たる特徴は見て取れます。
基本的に興味があるのは自分のこと、あるいは誰かが自分に対して興味を持つ姿などの自分に関することばかりで、自分の出る幕がない話題や他人の話に興味や関心が薄い。
そして、誰かが話している光景を見ても興味のある素振りすら見せず、非常に愛想が悪いという点です。
自分が話せる場面やチヤホヤされる場面は大好物な一方で、他人の話には無関心な態度を示すため、周囲から反感を買われやすかったり「陽気だけどなんか嫌な人、近寄りがたい人」という印象をもたれることも少なくありません。
「よく喋る=コミュ力がある」わけではない
コミュ力(コミュニケーション能力)といえば、とにかくよく話すこと、おしゃべりができることをばかりが注目される傾向があります。
しかし、よく喋れるからといって、一方的に話をし続けて相手に会話の主導権を渡さないのであれば、それは一人で話すだけのスピーチや演説の能力があるだけであり、相手と言葉を交わし合うコミュニケーション能力があるとは言い切れません。
また、コミュ力は何も話す・喋ると言った行動ばかりが、能力の有無を左右するわけではありません。
- 相手に伝わりやすいように、自分の考えていることを整理してまとめたり、推敲を重ねること。
- 相手が聞きやすいように声のスピードやボリュームを調整すること。
- 相手の様子を見て話を振る側に回ってみたり、相手の意見を受け入れる姿勢をとること。
など、地味なように見えてお互いが快く話せる雰囲気を作ることも、コミュ力の有無を決める要素です。
コミュニケーションは自分一人で完結するものではなく、必ず相手の存在が必要であり、自分のペースでグイグイ引っ張っていくばかりでは成立しません。
よく喋るコミュ障の人は、コミュニケーションは相手がいてはじめて成り立つ、という視点がないために、独りよがりなものに陥ってしまう。
そのためよく話せてはいるものの、話の先には聞き手の存在を感じられない話し方になる、話すために話しているという本末転倒な話し方になってしまうのです。
(なお、こういった話し方をしている人が同僚や部下のように指摘がしやすい立場なら改善の余地はあります。
しかし、上司や圧倒的に目上の人となると、指摘するにしようにも立場上指摘できず、興味のない話を延々と聞かされた挙句、こっちが気をつかわなければならず、精神的な消耗が激しくなるのが困りものです…)
喋ってはいるけど根本的に人と関わろうとはしてないので「コミュ障」である
よく喋るコミュ障は、根本的なところで他者に興味があるわけではない。他者に興味を示してはいないものの、喋ることはそれなりにできてしまうので、一見すると社交的でコミュ力が高そうな人だと思われます。
しかし、話し方、話の内容、他者の話を聞く態度を見ていくうちに
- 「結局は自分が話したいだけで、他の人はどうでもいいと思っているんでしょ」
- 「自分さえ話せればそれで満足なんですね」
と周囲から判断されてしまい、孤立してしまうことがあります。
一般的なコミュ障同様に、他人に興味や関心が持ちづらい、人との距離感を取るのが下手という共通点はあるものの、「喋る」という点においてはそれなりにできてしまうが故に、「(コミュ障だけど)コミュ力があるように見えてしまう」という錯覚が起きると考えられます。
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