他人とうまく会話をすることをはじめ、人付き合い全般に悩みやコンプレックスを抱えているコミュ障の人は、普段から不安を感じやすい人でもあります。
とくに、コミュ障の人の中でも特に大きな不安となるのが、自分の将来に対する不安です。これは、学生でも社会人のみならず、主婦の人や無職の人など、所属や立場関係なく、強く感じる不安であると同時に、そう簡単に解決できるものばかりではない不安です。(だからこそ、不安を自覚してしまうと、非常に厄介で生きづらさに繋がってしまうのだが…)
では、具体的にどのような将来への不安をコミュ障の人は感じているのか…今回はこのテーマについてお話いたします。
コミュ障の人が感じる将来への不安
進学・就職後の人間関係でうまくやっていけるかという不安
なんとなくでも「自分は人付き合いが苦手でコミュ障と呼ばれる人間である」と自覚をする中学から高校(いわゆる思春期)にかけては、進学した後にうまく人間関係に馴染めるか…という、不安を強く感じます。
友達とうまくやっていけなければ、学校内で孤立してしまう。ただ孤立するだけにとどまらず、孤立していることをほかのクラスメイトから笑いのネタにされて恥をかいたり、いじめのターゲットとなって惨めな思いをして苦しむなど、人間関係にうまくなじめないことから派生した不安を強く感じるようになります。
また、高校や大学にかけては進学だけでなく就職も視野に入れる時期でもあり、ここでは就職後の人間関係で馴染めるか…という、不安を感じます。(もちろん、コミュ障すぎて就職できないという不安もある)
進学とは違い、就職すれば生活のため(人によっては奨学金の返済)に、お金を稼がなければいけない。しかし、自分がコミュ障であり人とうまく関わることを苦手としているので、無事に就活で内定が取れるかすら危うい。
もちろん、就職が決まったからといって不安が綺麗さっぱりなくなるとは限らず、コミュ障であることを見抜かれて職場の人から低く評価されることへの不安や、人間関係が苦手なのに営業職のように人と関わる頻度の多い仕事を任せられることへの不安など、今後起きうるかもしれない人間関係の不安に悩まされることが目立ちます。
更に仕事の場合は、プレゼンテーションや会議のように、大勢の人がいる前で何かを発表する場面が出てくることもあります。
この時もコミュ障の人は、人前で自分のコミュ障っぷりを暴露してしまう…つまり、
- 「緊張から挙動不審な行動を取ってしまうのではないか」
- 「頭が真っ白になって、しどろもどろな話し方をしてしまうのではないか」
- 「大事なプレゼンテーションなのに、失敗して失望されるのではないだろうか」
など、ヘタこいて自分の信用や評判を下げる不安。そして、自分が所属している組織や自分と関わりのある人の顔に泥を塗ってしまうことへの不安を感じます。
無事に恋愛・結婚できるかという不安
恋愛や結婚など異性との関係も立派な人間関係の一種であるため、コミュ障の人からすれば大きな悩みの種となります。
コミュ障で人間関係が苦手だからといって、誰もが孤独に耐えられるとは限りませんし「コミュ障だけど恋人が欲しい、結婚はしたい」という願望自体は、至って自然な願望でもあります。
しかし、いざ異性と関わるとなれば、
- コミュ障という欠点故に相手を幻滅させてしまうことへの不安。
- うまくコミュニケーションができず扱いづらい人間だと思われて、相手から嫌われてしまうことへの不安。
- 「面白いことが言えない」など会話に限らず、気の利いたことができない、察しが悪いなど、行動や態度の面でもぎこちないところがあると見透かされてしまう不安。
- 空気を読めない行動をしてしまったとして、相手に不快感を与えてしまうだけでなく、セクハラなどの各種ハラスメントの加害者として見られてしまうのではないか…という不安。
- (特に男性の場合は)コミュ障であることが見透かされて「男らしくない」と言われる不安。あるいは、「男らしくない」と言われて、ほかの男性よりも劣っていると評価をされる不安。
など、コミュ障である自分が異性関係にてヘタをこくイメージが容易に想像できてしまい、自分で自分が嫌になる陰鬱とした気分に悩まされます。
もちろん、人間関係が苦手なのであえて恋人を作らず、結婚願望も持たずに独身で生きていくこともあるでしょう。
今や晩婚化や若者の結婚離れなどの影響もあってか、独身で生きていくこと自体は一昔前よりも市民権を得ているとはいえますが、それでも「長年恋人がいないor恋人ができない」人への偏見は強く、生きづらさが全くないとは言い切れません。
他人に自分の主張をうまく伝えられないことへの不安
コミュ障の人は普段の会話において、自分の主張や要求を他人にうまく伝えることに対して特に苦手としていることが目立ちます。
たとえば、スーパーでお弁当を買ったときに「お箸は2本ください」「レジ袋はいりません」というような、何気ない会話(自己主張)ですらも苦手意識を覚えてしまう。
そんな、普通の人なら何ら苦手意識を感じることすらない、簡単なお願い(自己主張)すらできない自分が、学校や職場、恋愛関係などでうまくやっていける自信なんて無い…という気持ちが、将来に対する不安を強めてしまうのです。
自己主張をしなければ、学校では友達ができずに孤立し、職場では指示待ち人間としてお荷物扱いされ、恋愛ではめんどくさい人だと思われウザがられる…といった、あまり想像したくない姿が容易に想像出来てしまうのが、コミュ障で悩む人が抱える辛さです。
また、自己主張の中でも特に
- 「あれはやりたくないです」
- 「私は遠慮しておきます」
など、相手の要求や期待を否定する主張は、特に苦手と感じる事が目立ちます。
これは、コミュ障の人が相手から避難や批判、不快な態度を向けられることに強い不安を感じているために起きてしまうものです。
自分から相手にお願いするのは苦手。そして相手からのお願いを断るのも苦手という特徴ゆえに、仮に人間関係にうまく馴染めたとしても、今度は都合のいい人扱いされて、損な役回りを押し付けられてしまうことが、コミュ障の人が抱える苦悩です。
ほかの人と同じく自然に振る舞えるかどうかに対する不安
コミュ障の人にとって、人付き合いで自然に振舞うことは、非常に苦痛を感じる事です。
- 滞ることなく自然に話せるか。
- 自然に他人の話しを聞けるか。
- 緊張することなく、自然に振る舞えるか。
など、自然に振舞うことが求められる場面になると、油断をすれば自分は下手をこいてしまうかもしれない…という不安に悩まされます。
そして、この不安が現実となる場面が、
- もしもスポーツの試合中だったら…
- もしも学校の先生との面談中だったら…
- もしも就活の面接中だったら…
- もしも職場での大事な会議のときだったら…
- もしも恋人とのデートで食事しているときだったら…
- もしも知り合いの結婚式のスピーチのときだったら…
など、あらゆる場面で下手をこいてしまうイメージが想像できてしまい、自分がコミュ障である事実を感じて辛くなるのです。
なお、「自然に振る舞わなければ」という気持ちが強くなりすぎると、無意識のうちに自然に振舞うことが求められる場面を避けてしまうこともあります。
過度な緊張に苦しまないためにも、自然と他人と関わることを極力避け、社会との接点も限りなく少なくし、ひきこもりと対して変わりがない生活を営んでしまう。
そうなると、今度は普通に社会参加(あるは社会復帰)していくことが難しくなることで、頭を悩ませてしまうのもコミュ障ならではの苦悩です。
他人から低い評価を受けることへの不安
コミュ障を自覚している人は、普段から「自分は人よりコミュニケーション能力で劣っている」ことを強く感じるだけでなく、そのことを他人に見透かされ「コミュ力が低い」という評価されることに強い不安を感じてしまいます。
社会生活を送る上では、他人と関わることは避けられないので、コミュ障の人は嫌でも自分のコミュ力の低さを他人に知られてしまう場面に出くわしてしまいます。
「あの人はコミュ力が低い」という評価を受けたことで、学業・仕事・恋愛において、自分の居場所を失い、関わる人を不愉快にさせたり、見下されてしまうのでは…という不安を抱えてしまう。
とくに、受験や就活など、自分にくだされた評価が自分の将来にストレートに関わるものであれば、コミュ障の人が感じる不安が強くなるのは明白です。
なお、自分はコミュ障であることを隠すために、会話では聞き手に徹したり、雑談には加わらないようなどの対策で乗り切ることもあります。しかし、これらはあくまでもコミュ障であるとバレないようにしているだけ、コミュ障を根本的に改善するものとは呼べません。
むしろ、コミュ障だと悟られないように振舞っていた事実がバレてしまうことで、最初からコミュ障であることをオープンにしていた場合よりも、低い評価を受けてしまうことへの不安を強く感じることもあります。
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