気心の知れた友人・知人と馴れ合うのは楽しい一方で、その楽しさの裏にある不自由さや、暗黙の了解の多さ、馴れ合いの空気を崩さないために守るべきことなどにうんざりして、他人と馴れ合わずに一匹狼になる人がいるものです。
こうした馴れ合いを好まない人は、「ノリが悪い」とか「空気が読めないやつ」と非難される一方で「他人に左右されない自分の軸を持っている」とか「普通の人とは何か違う人」とカリスマ性のある人として見られることが多いものです。
とくに、勉強、仕事、スポーツなどの他者との競争が必須な場面では、周囲と馴れ合わず黙々とやるべき努力に熱意を注げる人は、大変魅力的な人だと感じる人が多いものです。
今回は、そんな馴れ合わない人の心理についてお話いたします。
なぜ、馴れ合わないのか
暗黙の了解が多すぎて不自由である
馴れ合いの雰囲気は非常に心地よくて、いつまでもどっぷり浸かっていたいものではありますが、その雰囲気を維持するためには、守るべき暗黙の了解が多数あります。
例えば
- ゆるい雰囲気を保つためにも、鋭い指摘やツッコミは指摘をしてはいけない。
- お互いの自己肯定感と承認欲求を満たすために、とにかく褒めて認めあう。
- 馴れ合いの外の辛い現実やネガティブな話題は持ち込まない。
- ポジティブ思考などその馴れ合いで流行っているノリや考えに自分を合わせること。
- 馴れ合いの雰囲気に対して疑問を持つことすらも、雰囲気を壊すおそれがあるのでNG。
など、妙な居心地の良さは、これらの暗黙の了解として守ることと引き換えに維持されているのです。
そもそも、馴れ合いは辛い現実から逃れて休憩できるための場所として作られる側面を持つために、馴れ合いの場に辛い現実を持ち込むのは御法度という理屈は理解できます。
しかし、その結果として自分自身や他人を堕落に導いて、馴れ合いの外以外の関係が持ちづらく感じるまで堕落させてしまうことには疑問を隠せません。
馴れ合いの中の上下関係にうんざりする
なお、馴れ合いの中でも空気を読まず、比較的自由に行動をしている人もいますが、彼らは馴れ合い内部にて一定の立場を手にしており、自由に振る舞えるだけの立場がある人だから、自由に振る舞うことができるのです。
言い換えれば、彼らはスクールカーストの上位層を占める生徒と同じで、馴れ合いという閉じた関係の内での下位層の人間に対しては自由(というか横暴)になれるのです。
明確な上下関係がある馴れ合いは、上位層にとっては自分にとって非常に居心地がいい場所であり、且つ自分達にとって都合のいい暗黙の了解作って、下位層に守るように指示することができます。
しかし、下位層にとっては確かに雰囲気の良さは感じるあるものの、精神的な負担を強いられたり、上位層の目に余る行動を受け入れなければ敵視されて、いじめや嫌がらせを受ける対象となる辛さがあります。
なお、下位層が馴れ合いの中でのし上がるには、スクールカースト同様に上位層の人とお近づきになり、集団内での影響力を高めると営業努力が必要になります。
辛い現実から逃げるために馴れ合いにはいったのに、気が付けば馴れ合いの中でも辛い現実と似たような人間関係が繰り広げられているのがわかってしまうと、馴れ合いそのものに加わることがアホらしくなり、馴れ合いに加わらなくなるのです。
興味のない身内ネタばかりで退屈
馴れ合うだけの仲の良さがあるので、身内ネタ、内輪ネタが馴れ合いでは好まれます。しかし、身内ネタはその身内を知っていない人からすれば、何のことを言ってるのかさっぱり理解できないのが欠点です。
そして話している身内に対して自分が興味や関心がなければ、たとえ話されている身内の人となりをざっくり知っていても、話題に対して全くひき込まれず退屈な時間を過ごすことになります。
馴れ合いの輪に加わって間もない人からすれば、身内同士で通じるネタばかりを話されることは、延々と自分の興味のない話を聞かされているようなものなのです。
なお、身内という一人の人間の行動や生き様を話のネタにしているため、話の内容がマンネリネになると、新たな刺激を求め、身内のプライベートや恥ずかしい過去を掘り下げて笑いを取りに行こうとしたり、過度にいじってその様子を笑い者にしようとすることがあります。
お笑い芸人やタレントでもないのに一時の話のネタとして、自分の恥ずかしい話題が馴れ合いの関係を維持するために消費されてしまう怖さも、馴れ合いに加わらない原因の一つです。
仲良しアピールとか友情確認ごっこがめんどくさい
身内ネタをすることは、見方を変えれば「自分はどれだけ身内のことを知っているのか」ということをアピールする…すなわち、仲良しアピールや友情の確認とも考えられます。
しかし、わざわざ仲良しアピールのために、恥ずかしい話題を詮索されてネタとして他の人にばらされることは、プライバシーに敏感な人からすればあまり心地いいものではありません。
また、ネタのために他人の恥ずかしい話題を臆面もなく詮索して話題のネタにする品性の無さや無神経さは、同じ品性や感覚を持ち合わせていないとまともに付き合うのが非常にめんどくさく感じるものです。
(ゴシップ誌のように低俗で下衆な話題をネタとして消費し、且つ自分もそのネタを提供することに抵抗がないのであれば、馴れ合いも悪くはないでしょうが…)
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集団のノリに精神的に圧倒されて疲れるのが苦手
馴れ合い特有の不気味なノリは、まるで「その場にいる人なら全員がそのノリに参加すべきだ」「ノリに合わせることが絶対だ」と、迫ってくるような恐ろしさがあります。
仮に断ろうものなら嫌がらせや陰口を叩かれるおそれがあるので、渋々ノリに加わるものの、やっぱり慣れないノリなので精神的な疲労が強く、疲れがどっと残ってしまうのです。
人混みが苦手な人が、仕事の都合で飲み会に参加し、賑やかすぎて辛い雰囲気に圧倒されて飲み会終了後にひどく疲れたり、逆に神経が高ぶってなかなか落ち着けなくなるのと同じような苦しさが馴れ合いにはあるからこそ、無理に馴れ合わず消耗しない生き方を選んでいると考えられます。
注意や指摘すらNGとされる変な空気がある
馴れ合いで恐ろしいのが、必要な注意や指摘ですらも雰囲気を壊すものだとして強く禁じられる。むしろ、注意をしたほうが悪者扱いされて、ミスを見逃すように協力することが美徳として扱われる歪んだ認識があります。
正義感が強く、見たくない現実でもしっかり向き合うことを信条としている人からすれば、このような不正や不都合が放置され続ける環境は非常に居心地が悪く、また「自分が悪事に加担し、事実上共犯者になってしまうのでは?」という疑念があります。
こうした状況が仕事で起きれば、企業ぐるみで隠蔽をしていたとして会社の信用を下げたり、同業者への風評被害を招く恐れもあります。
共依存の関係に陥る恐れがあるから
馴れ合いは確かに雰囲気が合えば心地よいものですが、その心地よさに半ば精神的に依存するよう没入してしまい、気が付けば抜け出せなくなることがあるものです。
また、自分以外にも馴れ合いに依存している人がおり、関係を何としてでも維持すべく、馴れ合いから抜け出そうとする人を妨害し、お互いに馴れ合いというぬるま湯に浸かり続けるように誘導してくる人がいるものです。
これは、いわゆる「共依存」の関係ともいえます。
馴れ合いに所属する人同士で「本当は馴れ合いがしんどいからやめたい」と思いつつも「でも、やめたら漠然とした不安に苦しめられるから、やっぱりこのままがいい」と、お互いがお互いに締め付け合って身動きがとれなくなり、いつまでしんどさから開放されない怖さがあるのです。
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馴れ合わない人は決して冷たい人とは違う
上で馴れ合わない人の特徴・心理について話してきましたが、なんとなく冷たくて、無機質で、人間関係をビジネスライクに見ている人だと感じた人も多いかもしれません。
しかし、馴れ合わない人は決して冷たいわけではなく、自分にとってちょうど心地よい人間関係を把握することに長けていたり、馴れ合いが無い人間関係ではちゃんと社交的になる側面もあり、決して人付き合いに全般に興味がないわけではありません。
あくまでも「馴れ合い」の関係だけが嫌いであり、普通に言いたいこともビシビシ言える関係では積極的に言い合えるし、お互いに意見を尊重し合って話し合うことを追い求めます。
ですが、どうしても馴れ合いが多いコミュニティだと「馴れ合わない=冷たい人」というイメージがついてしまいがちですが、実は冷たいのは馴れ合いの人間関係に対してだけです。
なんとなく「あの人は冷たいなぁ」と感じたら、それは貴方が他の人とズブズブな馴れ合いにはまっており、傍から見れば”馴れ合っててあまり関わりたくない人”として見られているだけなのかしれません…。
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