学校、部活、職場、SNS上などでお互いがお互いに甘えたり、依存したり、入り浸ったり、してしまうこと…つまり「馴れ合い」がうざい、めんどくさいと感じる人は少なくありません。
一般的に、馴れ合いが起きると、
- えこひいき(身内びいき)
- 褒め合うだけで進歩がない(→駄サイクル)
- 同調圧力が強く、自由に意見をいえない。
- 同調圧力の強さ故に、馴れ合いに参加しない人に対して排他的になる。
- ノリが暴走して過剰ないじりからいじめへとつながる
- おふざけ、茶化し合い、身内受けのための寒い行動が目立つようになる。
などの、厄介事に巻き込まれるリスクがあります。
もちろん、趣味や遊びで交流目的の人間関係としてやるのなら話は別ですが、仕事や部活などのある目的のために集まっている人間関係で慣れ合いが発生すると、サボりや仲間割れの原因となります。
また、馴れ合いの仲といっても、皆対等ではなく、上司と部下、先輩と後輩などの立場差がある人間関係での馴れ合いは、とくに馴れ合いによって恩恵を受ける人と、損害を受ける人が明確に出やすく、心理的な負担を抱えるものです。
今回は、そんな馴れ合いをうざいと感じる人の心理についてお話いたします。
どうして馴れ合いがうざく感じるのか
常に気を遣わなくてはいけない
馴れ合いというのは一見すると非常に仲がよく、穏やかな人間関係が繰り広げられているように思えますが、その裏では「馴れ合いの雰囲気を崩してはいけない」という暗黙の了解が働き、常に雰囲気を崩さないために空気を読み、他人に気を遣わせてしまいがちな人間関係なのです。
何かをするにしても、自分の発言や行動が馴れ合いの雰囲気を崩すおそれが無いか、自分の行動が同じ集団に属する人の機嫌を損ねないか…そんな細かいことを気にしなければならず、非常に窮屈で動きづらい人間関係なのです。
また、馴れ合いでよく見る人間関係は、
- 意見の衝突や、衝突が起きそうな行動(例えば疑問を持ったり、変だと疑うこと)はNG。
- 誰も否定せずなにがあっても受け入れ肯定することこそ望ましいと考えている。
といった、集団全体の和(あるいは集団内で力のある立場の人の機嫌)をいかにして保つかに焦点が置かれています。
喧嘩が起きたり、すぐに否定する人が出てくる人間関係と比較すると馴れ合いの人間はなんて平和で和やかものだと感じることもありますが、その平和を維持するためには守るべき暗黙のルールを守らなければいけません。
馴れ合いのあの独特の雰囲気は、集団に属する各個人の自由をガチガチに縛っているからこそ生まれる一種の連帯感、一体感と言ってもいいでしょう。
部外者に対してやたら排他的だから
馴れ合いに所属している人は、馴れ合いに迎合しない人や馴れ合いの輪から抜け出そうとする人に対して、やたらと排他的な行動を取ることがあります。
馴れ合いの人間関係では集団心理(群集心理)が働いていることで「自分達の集団は素晴らしい、優れている、他の人から認められるべきである」という、増長した考えを持ってしまうことがあります。
その結果、他の集団や馴れ合いに属さない人を下に見たり、自分たちの集団が優れていると勘違いして失礼で場違いな態度やイキった言動が目立つようになるのです。
また、馴れ合いは基本的に集団で発生するので、他人を失礼な目で見ることに対する罪悪感や責任感が薄れてしまい、失礼な行動がエスカレートしやすいのも特徴的です。(=責任の分散)
もちろん、これはリアルの人間関係に限らず、ネット上の人間関係(SNS、匿名掲示板、youtubeのコメント欄など)でも同じです。
顔が見えない電子画面上の人間関係の場合、馴れ合いの様子が他の人からも簡単に覗かれてしまうので、アンチに付きまとわれたりや炎上の火種になることもあります。
認めてくれ、褒めてくれアピールが鬱陶しい
馴れ合い人間関係にハマる人の中には「自分のことを認めてほしい」とか「(些細なことでもいいから)自分のことを褒めて欲しい」という、いわゆる承認欲求に飢えている人が目立ちます。
承認欲求は人間なら誰しも持っている欲求ですが、とくに馴れ合いで見かける人は、とにかく認めて欲しい、受け入れて欲しい、自分のことを尊敬して欲しい、という自分の欲求ばかりを押し通そうとします。
しかし、認めてもらう一方で自分から誰かを認めるために何か行動を起こすわけではなく、ただ自分は承認や賞賛を受け取るだけの立場であると居直ってで居座ろうとするので厄介です。
友達や恋人、仕事の人間関係を長続きさせる上で大事な「ギブ&テイク」の関係を無視して、一方的にギブの立場で居座り続け、認めてもらうために自分勝手な行動をするので面倒です。
また、いくら褒めても満足せず更に褒めて来ることを要求する。そして、褒めている割には褒めてくれる人への感謝の気持ちやコメントが足りない(あるいは皆無)なので、付き合っているうちに「自分はこの人の承認欲求を満たすための依存先として利用されているのでは」と感じて精神的に疲れてしまいます。
上にも述べたように、馴れ合いはお互いに否定せず(表面的には)穏やかな人間関係として成り立っていることがあります。
承認欲求の強い人はそれをいいことに、自分の要求を押し通し、入り浸り、付け上がるので、うざがられるのだと言ってもいいでしょう。
ぶっちゃけ馴れ合いのノリが身内ウケばかりで辛い
馴れ合いでよくあるのが、身内ウケだけを狙った寒いノリのギャグや、執拗な身内いじりなどのごく狭い人間関係でのみ通用するネタでコミュニケーションをとることです。
経験した人なら理解できると思いますが、馴れ合いのノリは身内しか知らないコア話であったり、身内だけが笑えるマニアックすぎるネタに偏るので、笑いを呼ぶネタとしてはかなり人を選ぶネタと言えます。
また、場合によっては、下ネタや下衆なネタ(金銭にまつわるネタ、犯罪スレスレのグレー行為、色恋沙汰など)といったように、笑うに笑えない身内ネタも目立ちます。
これらの人を選ぶネタに対してやっぱり笑えないものの、かと言って「本当は下ネタは苦手なんだ」と言えば「ノリが悪いと思われ嫌われるのではないか?」というジレンマを感じることが、馴れ合いをうざいと思う人によく見られます。
また、仮にそのネタを受け入れて笑ってしまうと、今度は自分の恥ずかし過去や人には言えないプライベートなネタまで話されてしまい笑い者になってしまうという不安も、馴れ合い属する人ならではの悩みと言えます。
…もちろん、そんなに大体的に言えないネタやごく少数の知ってる人とだけで共有できるネタを理解できるからこそ深まる仲もあると言えるので、一概に否定できるものではないと補足しておきます。
仲良くもないのに仲良しアピールしているから
馴れ合いは表面的には仲良く見えるものの、
- 実際は派閥があり決して仲が良いとは言えない関係である。
- お互いがお互いに完全には信用していないことが伺える関係である。
- 仲良しアピールの割には表面的な付き合いだけにとどめている。
という矛盾のある関係が繰り広げられていることがあります。
表面的にはさも私たちは「仲が良いですよ」と仲良しアピールをしているのに、実はそこまで仲良くない事が内にいても、外から見ても感じてしまうのが、馴れ合いをうざいと感じる理由の一つと言えます。
また、仲良しアピールは何度もしつこく繰り返されるものであり、恋人のノロケを見せつけられているかのように鬱陶しさを感じるのも無理はありません。
なお、馴れ合いにおいて、しつこく仲良しアピールをする理由としては、
- 友達が多いという自分をアピールしたい。
- 自分の交友関係や人脈の広さを自慢したい。
- 今の関係が壊れるのを防ぐために、必死にアピールしてつなぎ止めようとしている。
- 本当は寂しがり屋で、いつもべったりくっつくような人間関係じゃないと不安を感じる。
などが考えられます。
上下関係のある関係の馴れ合いはもっと厄介
馴れ合いが上下関係の無い友達や同僚といった立場ではなく、上司と部下、発注先と受注先、先輩や後輩、コーチと部員といった上下関係のある人間関係で行われると非常に厄介です。
この場合、馴れ合いの雰囲気は立場が上の人にとって都合がいいものになり、立場が下の人はその雰囲気を崩さないために、自分を犠牲にして付き合わなければいけません。
部活動でよくある理不尽な場面のように、後輩は先輩のミスや不正は指摘できず、悪ノリにNOとは言えず付き合わなければいけない。
逆に後輩なら何のミスをしていなくても、何かと理由をつけて先輩の気に障ったという理不尽な理由で罰を受けることを認めなければいけない。
それを拒めば部内で自分の居場所をなくしてしまうので、辞めたくなければ渋々馴れ合いを受け入れて我慢し続ければいけないという由々しき人間に陥りやすく、ダメなことだと分かっていても見て見ぬフリをしてしまうのが、馴れ合いの真の恐ろしさと言ってもいいでしょう。
馴れ合いとギャングエイジ
馴れ合いに関する言葉として、発達心理学では「ギャングエイジ」という言葉があります。
ギャングエイジは8歳頃から思春期までの子供の時期を指す言葉です、
- 自我が芽生え始めたことで親や教師などの大人よりも、同世代の人間関係を重視する。
- 親や教師から心理的に離れて感じる不安を、同世代の子供同士でつるんで安心感を得ようとする。
- ただし、同世代の子供であっても誰でも言い訳ではなく認められた者とだけつるむ。
- そのため、非常に閉鎖的な人間関係になる。
といった特徴があります。
例としてあげるのなら、小学校高学年頃になるとよく見かける、
- よく先生の目を盗んで悪ふざけをして反抗したがる子供
- 同じクラスメイト同士で交換日記や秘密を共有する関係を持ちたがる子供
- 親や先生との決まりよりも、友達との約束を最優先したがる子供
が、ギャングエイジのいい例です。
なお、ギャングエイジは字面から悪く思われがちですが、芽生えた自我や社会性、自主性を育てる意味では重要な時期とも言えます。
しかし、一方で限度がわからず過度に閉塞的な人間関係を作ったり、同世代で集団になることで悪ノリに発展することも多く、馴れ合いとの共通している点もあります。
こうして見ると、馴れ合いに関する嫌悪感やウザさは、いい年をした若者や大人がギャングエイジの頃のような、幼稚さを感じることからくる嫌悪感が原因とも考えることができます。
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