人と関わることが苦手なあまり、誰かと関係を持ったとしても、自分の方から関係が自然消滅するように動いてしまう。
また、自然消滅して後味の悪さが残ってしまうのを避けるためにも、最初から他人と関係を持つことから逃げて孤独の道を歩んでしまう生き方は、気楽なように見えて相応の苦労や苦悩があるものです。
人間関係から逃げた結果、人間関係という経験を積み重ねていないからこそ起きるトラブルや自分の心理や物の味方の変化については、知っておいて損はないように感じます。
今回は、そんな人間関係で逃げてばかりで起きる事について、お話しいたします。
人間関係で逃げてばかりだとどうなるのか
常に先回りして考える癖で消耗する
なるべく人間関係を避けることを優先するあまりに、仕事、学業、ご近所付き合いなどで、他人と関わる可能性がある場面を常に先回りして考える癖が身につく。そして、その癖のせいで抱えなくてもいい悩みやストレスを抱えてしまう苦悩があります。
たとえば、職場においてこれから自分を待ち受けている環境のなかに、他人と嫌でも顔を合わせる場面(歓迎会・送別会など)はないかと、先回りして不安の種をみつけようとする。
そして、不安の種が見つかったら、それが現実とならないためにあれこれ頭の中で策を練って、他人と関わらなくてもいいために準備をする…という、苦労を強いられる事になります。
人間関係の悩みから解放される楽になれると思いきゃ、逆に人間関係を避けるために将来起こるかもしれない悩みの種を見つけては取り除くために労力を捧げ続ける…という別の悩みを抱えてしまいます。
一口に「逃げる」と言っても、バックレるように逃げてしまっては、自分の立ち位置が危うくなるのは明白です。なるべく自分の立ち位置が悪化させず、そして人間関係から逃げるという二つの目的をかなえるために、抱えなくてもいい苦悩を抱えるハメになるのです。
他人から信用を得られない、心を開いてくれなくなる
自分から人間関係を避けているので、当然ながら相手に自分のことを深く知ってもらうことは難しくなります。
そもそも、他人と深く関わるまで関係は進展しない。仮に相手から近づいて来たとしても、自ら拒んで逃げてしまう。そのため、相手から信用を得ることもなければ、相手の方も次第に心を開いてくれなくなり、そっけない態度を返されてしまう事になります。
このように、自分から人と関わるような態度をとったことで、相手もそれに呼応して距離を置かれるような態度を返されることは、心理学では嫌悪の返報性と呼びます。
嫌悪の返報性は相手に対して嫌悪感を示すと、相手の方も自分に対して嫌悪感を返してくるという因果応報な現象を指す、(心理学の中でも割と身も蓋もない)現象を指す言葉です。(まさに「やられたらやり返す」という某ドラマの名言そのもの。相手からすれば、やられっぱなしでは損した気分になるからこそ、嫌悪感をお返しするのである。)
逃げた過去を全て自己正当化するようになる
最初のうちは人間関係から逃げた事に対して屈辱感、敗北感、罪悪感などの不快な感情を抱いているものの、次第に不快感そのものを味わなくてもいいように、逃げた過去を自正当化して捉えてしまうことがあります。
たとえば、「過去に所属していた人間関係はたいへんストレスフルであり、そんな場所に居続ける方がどうかしている!」と考えを変える。
それと同時に「そんな劣悪な環境から逃げ出した自分は正しい選択をした!決して間違っていない!」と、逃げた過去を反省や後悔のあるものではなく、むしろ褒め称えるべき英断であると自画自賛する。
実際は、嫌悪の返報性でも触れたように、自ら人間関係を避けたことで、相手の方も自分を避けるようになってしまい、居心地の悪さを作った大元の原因は自分にあることも考えられるのにもかかわらず、そのことを無視して自分以外の誰かや何かに非を押し付けて、開き直ってしまうのです。
自己正当化に走ると「今の状況は自分にも落ち度がある」と反省し、学習する機会そのものあからも逃げてしまう。
そして、逃げることで起きたトラブルは、全部自分以外の何か責任転嫁することで、直面したくない不都合な事実からも逃れようとする癖が身についてしまうリスクがあります。
逃げてばかりなので人間関係に関わる自己評価は低いまま
人間関係で逃げてばかりであるために、苦手ながらも人間関係から逃げず、相手とそれなりでもコミュニケーションができたとか、職務上の役目を果たせた…など、ポジティブな自己評価を得る経験すらありません。
いつまでも、人間関係に関わることについては成功体験がないので自己評価は低いままである。
そして、自己評価が低いために、余計に人間関係に対して苦手意識が強くなってしまったり、「人と話すと自分のコミュ力の無さや挙動不審さが隠せない!」と恐怖を感じて、ますます逃げたくなる衝動に駆られてしまいます。
「逃げることを絶対」とした偏った認知を身につけてしまう
自己評価が低くて自分に自信や価値などを感じられない辛さを打ち消すために、理想の世界にのめり込み、「逃げること=絶対的に価値があること」という偏った物の見方(=認知)を生み出してしまうこともあります。
自己啓発書やビジネス書などを読みあさっては「逃げるが勝ち」などの事例を蓄えて理論武装する。人間関係だけでなく、仕事や勉強から逃げて成功した事例をあさり、あくまでも自分の理論や価値観こそ絶対であることを証明するかのような言動が目立つようになります。
更に、逃げることに関して自分とは違う意見を持つ人に対して、自分の方が正しいのだと言わんばかりにマウントを取ることが見られます。
ここまで来ると、何が逃げるべきで何が逃げるべきでないかの区別をすることすら難しく、ただ単に自分の価値観の正しさ囚われてしまっている。
自分の物の見方偏りと向き合わず、「逃げることこそ正しい」という、偏った物の見方が正しいという確証を強める行動に逃げていると言えます。(=確証バイアス)
自分のお願いを他人に伝えることすら難しくなる
今までは、他人と関わるという嫌な出来事から逃げることについて触れてきましたが、人間関係を避け続けることは、自分のQOL(生活の質)を上げる場面でも悪影響を及ぼします。
人間関係を避けたいあまりに、たとえば今よりもいい場所に引越すために、不動産屋に相談したり、引越し業者に見積もりを依頼したり、大家さんに退去の旨を伝えたり、役所に転出届けを提出したり…など、必要な手続きで生じる人間関係にすらも苦痛を感じてしまい、渋々今の家に住み続けるという状況を招いてしまうことがあります。
このように、人間関係から逃げ続ける人は、他人に対して自分の願いや希望を伝え、動いてもらうコミュニケーションにまでも苦痛に感じてしまうことがあります。
他人の手を借りなければいけない場面になると、文字通り「詰み」の状態になり、よりよい生活や人間関係を得ることは難しくなります。
「他人に自分のお願いを伝える苦労>自分のQOLを上げる苦労」となるため、もしも自分を取り巻く生活環境が悪化しても、その状況から抜け出せなくなる恐怖があります。
最後に、もしも他人に自分のお願いを伝える場面が
- 自分が病気になった場面だったら…
- 自分が犯罪に巻き込まれた場面だったら…
- 災害に巻き込まれて誰かの助けが必要になった場面だったら…
と、考えれば、人間関係から逃げ続けて自分のお願いを他人に伝える技術を持てなくなることの恐怖について、よく理解できると思います。
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