人間関係において仲良くなるためには、物理的にも精神的にも距離感を近づけることが肝心です。
しかし、あまりにも急に近づき過ぎると不気味さを感じてしまったり、まるで相手の価値観や考え方に自分が飲み込まれるかのような恐怖を覚えてしまうものです。
近づくを通り越して、相手の心身の一部として自分が取り込まれてしまうような距離感のない人間関係は、非常に苦しくて居心地が悪いものなのです。
距離が限りなく近い(というかほぼ0)ので、外から見れば非常に仲が良く見えるかもしれませんが、内情はまるで自分の自由を奪われて、相手に支配されているような関係ともいえます。
今回は、そんな距離感がない人の違和感に気づく意味も込めて、彼らの行動や特徴についてお話しいたします。
距離感がない人の行動・特徴
他人を利用することに戸惑いがない
距離感の無い人は、自分のためなら他人を利用したり、命令することに対して抵抗感が薄く、戸惑いなく他人に指示を出すことができます。
…と、書くと、リーダーシップがあって社会に役立つ人材というイメージがありますし、確かにビジネスや人と協力する場面においては、この戸惑いのなさが利益に結びつくというメリットがあります。
しかし、距離感のなさゆえに、指示を出す相手を一人の人間として尊重する姿勢が薄く、まるで望めば自由に動かせる自分の手足の一部のように、こき使うことがあります。
また、自由に動かせるものだと思っているので、他人が抵抗して自分の思い通りに動かなかった時にはひどく不機嫌になったり、攻撃的な態度で相手を無理やり自分の指示に従わせようと強硬手段に出ます。
他人と言って、嫌なことや苦手なこと、納得できないことなど、感情があるのは自然なことです。しかし、距離感のない人はそうした感情を汲むのが苦手などころか「他人は自分の思い通り動く」という自己中心的な考えが目立ちます。
他人の持っている物を勝手に使う・パクる
他人に対する距離感の近さは、他人の所有している物の扱いによく現れます。
例えば、
- 他人の家に遊びに行くと、すぐに自分の家のようにだらけてくつろぐ。
- 他人が食べているものをすぐに味見したがる、勝手に食べようとする。
- 他人の金銭や金目のものを勝手に使おうとする、パクろうとする。(道徳的にも法律的にもアウトだが…)
- 他人の交友関係にズケズケと入っていき、人間関係を自分好みに変えようとする。
など、既に他人が持っている物、場所、関係などに対して遠慮なく侵入し、まるで自分が最初から持っているかのように横取りをします。
アニメ『ドラえもん』のジャイアンのように「お前のものは俺のもの」という言葉が非常によく似合う行動が目立ちます。
距離感云々の前に、こうした目に余る行動は育ちの悪さやロクな教育を受けてこなかったことが、行動から丸分かりであり、自然とこちらから距離をとって関わらないほうがマシだと感じさせる行動ともいえます。
価値観や考えの押し付け・自己主張が激しい
自分の価値観や考えかたこそ、至高であり、絶対であり、他の人も取り入れるべきものである…と、言うかのごとく、価値観や考えの押しつけ及び同意が多く、自己主張の激しさが目立ちます。
まるで「相手も自分と同じ価値観や考えを持っているに違いない」と、自分と他人が別の人間であるという事実を理解せず「自分=他人(なお、立場関係は自分>他人)」という態度で接してくるのが象徴的です。
自分同様に相手の何らかの価値観を持っているものの、それが自分のものとは一致しないからこそ、お互いに話し合って価値観を理解しようと努めたり、尊重して認めることが大事です。
しかし、距離感のない人は相手を一人の人間として尊重できず、価値観に対して正誤や優劣をつけて比較したり、自分の価値観と一致しない人に対してひどく排他的です。
他人は自分の一部分という考えがあるためか、その一部が自分とはそぐわない考えを持つことをひどく嫌う。あくまでも自分の一部だからこそ、他人の価値観という内面の自由までも自分の管理下におこうとする強行的な姿勢が見られます。
TPOをわきまえず、すぐに連絡を取りたがる
他人に対する配慮が乏しい、他人が「一人になって自由になりたい」という気持ちを持っていることが想像できないために、TPOをわきまえずすぐに連絡をしたがる癖があります。
SNSや携帯電話などで、相手の事情を良くも調べも考えもせず「今会える?」「今話してもいい?」と、既に連絡を取れることが決定事項であるかのように話を進め、相手に拒否権すら与えず一方的に連絡を取ろうとします。
傍から見れば単に非常識な人だと片付けられますが、この裏には他人に対する依存心の強さや孤独になり見捨てられる事への不安に対して、過剰に反応する心理が影響していると考えられます。
他人のプライベートを詮索したがる
他人のプライベートな話や、人前では言いにくい秘密にしておきたい話題について、やたら詮索して知ろうとする行動が目立ちます。
プライベートなことに対して興味を示しているので、「外面ではなく自分の内面を見てくれている」と、他の人とは違うセンスを持っているように感じることもあるでしょう。(ただし、そのセンスが良い方向に働くかは別)
また、ある程度打ち明けて来た仲で、プライベートな話題をするのならともかく、初対面でいきなりプライベートな話題に踏み込んでくるのが特徴的です。
初対面で一気に距離を詰めてゼロ距離になるまで近づけてくるかのような行動は非常に不気味で、まるでストーカーにまとわりつかれているかのような感覚に陥ることもあるでしょう。
また、プライベートを詮索するのではなく、自分の方から一方的にプライベートで初対面では言いにくいような、ズッシリとくる”重い”話題を切り出してくることもあります。
例えば
- 「過去にひどいいじめを受けていた」と打ち明ける。
- 「家庭環境が悪くて、幸せな生活を送れなかった」と、重い話題を切り出す。
- 金銭感覚や恋愛に対する、だらしなさをぶっちゃけて話す。
など、初対面でいきなりヘビーな話題を切り出して、相手と急速に距離を縮めてくる言動が特徴的です。
こうした言動は、下で述べる自身の依存心の強さが引き金となっており、相手が話題を受け入れてくれて、依存できる対象か否かを判別する意味合いも含まれているとも考えられます。
他人への依存心が強い
距離感の近さは親密さや好意ではなく、ただ自分が都合よく依存できる相手に依存しきるためのものです。
だからこそ、積極的に距離を近づけては相手を飲み込むかのようにくっつきたがり、そして自分のもとを離れないように、束縛したがるのです。
誰かに、甘えたい、頼りたい、愛されたい、辛いことがあったら支えてもらいたい…などの願望を抱くことは誰でもありますが、その願望が常に叶えられるものだという姿勢で依存する相手に接していれば、相手は期待やプレッシャーに押しつぶされてしまいます。
また、願いを叶えても「叶えられて当然」という態度で感謝の気持ちがなければ、依存される相手はまさに寄生虫に体力をジワジワと奪われるがごとく、疲労やストレスを抱えてしまい、次第に関係を持続するのが辛くなるのは言うまでもありません。
距離感がない人と付き合うことは、自分が支配される可能性がある
こうした距離感がない人は、人によってはどこか普通の人とは違う要素が多くて、カリスマ性があり魅力的に見えてしまうこともあります。
普通の人なら常識や世間の目があるからやってないだけのことを、いとも容易くやってのけるために、良くも悪くも注目を浴びてしまい、中には熱狂的なファンになるかのごとく、心酔してしまう人もいるものです。
そんな魅力的(だと自分が感じている)人と友達として、あるいは恋人として付き合うことは、確かに充実した日々が送れるかもしれません。
しかし、距離感のなさゆえに一人の人間として尊重せず、貴方の時間や労力、私物や財産を横取りされる危険性があります。また、依存先として付きまとわれることもあり、あまりおすすめできるものとも言えません。
(良いか悪いかは別にして)確かに魅力があるのは認めますが、その魅力に従って付き合うことが、本当に自分のためにも相手のためにもなるのかをよく考えた上で、付き合うのが好ましいでしょう。
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