人と関わる事が苦手…というか、そもそも他人の存在そのものが怖かったり、面倒くさく感じたり、ストレス源に感じるなどして、他人と関わる事を拒んでしまう。
いわゆる「人嫌い」を悪化させてしまう原因・背景、及び人嫌いの人が抱く心理について考察したことをお話しいたします。
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人嫌いな人に見られる思考
人嫌いの人は、「人間そのものが生理的に無理」…というような、人間の存在そのものを否定する思考ではなく、他人と関わる事に関する不安や恐怖、不快な気持ちを抱いているために、ますます他人と関わることを避け、社会から孤立した生活を送ると考えられます。
では、具体的にどういう不安や恐怖を抱いているのか、その時の心理はどうなってるのかについて、以下で詳しく説明します。
人と会うときに最悪のシナリオを想定して不安になる(予期不安)
人嫌いの人は、他人と関わる場面にて
- 恥をかくこと。
- 他人から低く評価される、馬鹿にされること。(=嘲笑、侮蔑を受ける)
- 普通とは違う特徴、社会から見て不適合な特徴を持っていると思われること。
- コンプレックスなど隠しておきたい事を見透かされる事。
- 自分のせいで他人を失望させてしまう事。
など、あらゆる不安をイメージしてしまいます。
もちろん、こうした不安は多少であれば誰もが感じるものではありますが、人嫌いに悩む人は、この不安の度合いが非常に強い。
すなわち、他人と会うときにいつも最悪のシナリオをイメージしてしまい、いざ人と関わる場面になると過度な恐怖感を抱いてしまうのです。
なお、心理学では、このように「○○になったらどうしよう…」という類の不安を予期不安と呼びます。
予期不安を感じた時点で、実際に不安が現実のものとなっていなくとも強い緊張感を抱く。場合によっては心拍数が増加したり、嫌な汗が出てくるなどの身体的な変化が出てしまい、ますます不安を強めてしまうこともあります。
そんな文字通り身の毛もよだつ不安に悩まされるぐらいなら、最初から不安を感じる状況に近づかなければいいと考えるのは、ある意味理にかなって行動と言えます。
しかし、この調子では社会生活を送る上でトラブルが絶えないであろうことは、容易に想像できることでしょう。
「他人から嫌われているに違いない」と偏った考えをしてしまう
人嫌いの人に目立つのが「自分は他人から嫌わているに違いない」「自分なんて他人から好かれるはずがない」という、偏った考え方の強さです。
この考えの強さ故に、相手の何気ない言動の中に、自分を嫌っていることが読み取れる要素を憶測込みで見つけ出すと同時に、「あぁ、やっぱり。相手はなんとなく自分の事を遠ざけようとしている」と自分で自分を納得させて、他人と距離を置きたがるのです。
このように、思い込みに沿って物事を偏った視点で見てしまうのは、心理学の「確証バイアス」によるものだと考えられます。
「自分は相手から嫌われている」という、偏った思い込み(=バイアス)があり、その思い込みに都合のいい情報ばかりを集めて思い込みを強化する。
「(自己否定的なものだが)自分の思い込みは間違ってなかった」という確証を得ると同時に、思い込みがエスカレートしてしまうのです。
他人と会った後に、過度に自分を責めてしまう
人嫌いの人がますます人と会うことが億劫になってしまう癖として、誰かと会った後に
- 「あの時にあんな事言うべきじゃなかった」
- 「もっと気の利いた事を言えるようにしなければいけない」
など、自分で自分を過度に責めてしまう事です。
いわゆる、誰かと会った後、行き過ぎた一人反省会をしてしまうことが、人嫌いを招くと同時に、悪化っせてしまう考え方になるのです。
自分で自分を過度に責めるうちに「こんなに程度の低い自分が、普通に他人と関わる事自体、おこがましいことだ」と自己卑下するあまりに、自ら人付き合いを遠ざけるようになる。
また、自分で自分のことを低く見積っているからこそ、他人と合えばいつも自分の未熟さやいたらなさを(思い込みもふくまれているが)痛感してしまう。その苦痛を避けるためにも、自然と社会との接点を絶ってしまうのです。
他人に対する諦め、無気力感がある
上で触れたものとは性質が違いますが「所詮他人は他人だし、自分の期待通りにはならないし、期待を寄せる事自体間違っている」という具合に、他人に対する諦めや無力感も抱くことも、人嫌いな人に目立ちます。
いじめ、虐待、ハラスメントなど、他人と関わってショックを感じた経験が強く響いている。そして、その経験と似たような苦痛を繰り返さないためにも、あえて他人に対して冷たく諦めた態度をとっているのです。
最初から他人に期待しなければ、傷つくことはないし、もしも傷つけらるようなことがあってもショックを軽減できると学習したからこそ、他人に対する無力感を持っていると考えられます。
人と関わりを持たない自分を自己正当化する
人嫌いがエスカレートしてしまうと、他人と関わりを持とうとしない自分自身を正当化する言動を取ることがあります。
たとえば
- 「社会的な成功を収めている人は、皆は孤独者だ」
- 「一匹狼の方がかっこいい」
など、他人と関わらないために感じている劣等感を払拭するために、孤独であることそのものに価値があるという考えを持ち出して、自分で自分を奮い立たせるようとする。
ただし、自己正当化することは傍目には単なる強がりや負け惜しみに見えてしまい、どうしても冷ややかな視線が集まりやすいのが特徴的です。
また、冷ややかな視線が孤独である自分に向けられても「あいつらは、自分に嫉妬しているに違いない」と、更に自分に都合良く解釈して、他人と折り合いをつけることが難しくなるのがたいへん厄介です。
人嫌いを悪化させてしまう悪循環
他人と関わると色々不安に悩まされるこそ、積極的に他人と関わる場面を避ける…この対処法は、単純明快且つ合理的であり、問題はないものだと感じるかもしれません。
しかし、この対象方が逆効果となり、人嫌いを悪化させてしまう要因になっているという考え方もできます。
どうして人嫌いを悪化させるのかについて、順を追ってまとめると…
- 人と関わって不安を感じる経験をする。
- その経験を味わなくても言いように、人と会う場面を避けようとする。
- 人と関わらない方法は身につくが、人と関わる事への不安にうまく対処する技術は身につかない。
- どうしても人と関わらなければいけない場面に置いて、また同じような不安に襲われるも、うまく処理できないので感じる不安は変わらないまま。
- (2)へ…
となります。
ここでいう「人と関わる事への不安へうまく対処する技術」とは、たとえば「自分は行き過ぎた思い込みで過度に不安を感じているから、もうちょっと冷静になったほうがいい」と、考え方の柔軟性を得ること。
ほかにも「人と会って不安に襲われても、その後の振る舞い方次第では、不安を軽減することができる」と考え、不安と向き合う方法を探る事などです。
不安を感じる場面を積極的に回避してばかりでは、不安の源から速やかに逃げる技術は身についても、その不安とうまく付き合い対処する方法は身につきません。
また、不安の源が人間関係である以上、自ら社会との接点を無くしてしまうことで、別の生きづらさを抱える問題がつきまといます。
人と関わらない事を正当化することの功罪
上でも触れましたが、人嫌いがエスカレートしてしまうと、他人から距離を置く行為そのものを自己正当化することがあります。
自己正当化は、自分が感じている不都合な感情(劣等感、社会から逸脱している苦悩、焦燥など)から目を背けさせてくれるものですが、やはり目を背けているだけで不都合な感情と向き合っているとは言えません。
また、社会との接点を絶つことそのものは、精神衛生上は好ましいことであっても、実際に社会生活していく時に大きな問題になります。
たとえば、学生時代に人嫌いから他人と関わらず孤独な学生生活を送ってしまったことで、就職活動及び、就職後の社会人生活で苦労する。
他人と関わる経験の乏しさ故に、就活で苦戦するだけでなく、それ以前のゼミや卒論でつまずいてしまい、学生であることすら危うくなる…など、孤独な「ぼっちライフ」しかできない自分を正当化することは、手放しに推奨できるものではないと強く感じます。
社会と折り合うこと自らを放棄すれば、社会の中で生きていくのが辛くなるのは、まさに必然と言えます。
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