優しいけど冷たい印象を与えてしまう人の特徴

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自分に対して好意を向けてくれているのが分かり、ぱっと見は「優しい人」のように感じるものの、関係が長くなるうちにどこか余所余所しさや、あまり心を開いていないように思えて、冷たさを感じてしまう。

仲が良いように思えて、実は「そんなに仲が良いわけではないのでは」「仲が良いと思っているのは自分だけなのでは?」と、不安な気持ちに襲われてしまう事は、誰にでも起きておかしくないと感じます。

今や優しくない人は、ネットの世界で勝手に写真や動画が晒されて、炎上のネタとして消費されてしまう。

そのほかにも各種ハラスメントに対する知識の広まりや、政治的・社会的正しさ(ポリティカルコレクトネス)が叫ばれる昨今だからこそ、表面的にでも優しくならなければ社会からこぼれ落ちてしまう不安がある。

そんな、正しくも世知辛い世の中だからこそ、表面的には優しいけれども、冷たさも同居させている人の存在が、目立つようになっているのやもしれません。

今回は、そんな一見矛盾しているようにも見える、優しいけれども冷たい人の特徴についてお話しいたします。

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優しいけれども自分の話をしない、心を開こうとしていない

他人に対して優しい対応をするものの、優しさを振舞う当人が自分の事を話そうとしない。プライベートな話や、個人的な主義・主張・思考など、その人らしさを感じさせる内面にあたる部分を見せようとしない。

つまり、優しさは見せるものの、自分の心を開く気配は全く見られない。そのため、優しさから感じる親密さの他に、どこか余所余所しさのようなものも感じてしまい、違和感を覚えてしまうのです。また、相手の本心感じ取れないことから、どこか不気味さを感じてしまうことも見られます。

なお、この状況は心理学で言えば「相手に心を開いていない=自己開示を行っていない」と用言できます。

自己開示とは、自分のプライベートな部分や内面を相手に正直に見せることを指します。加えて、自己開示は相手と親しくなりたい気持ちを示す行為とされています。

優しさを見せつつも自己開示をしないとなると、優しさを受け取る側からすれば「この人は親しくなりたいのか、親しくなりたくないのかがわからない」という気持ちになってしまう。

「優しさを見せる」という親しさを想起させる行動と、「自分の内面を見せない」という親しさを感じ取れない行動の二つが同時に行われているために、優しさと冷たさの双方を感じてしまうのだと考えられます。

他人と衝突を避けることに強く囚われてる

「他人と衝突しないこと」を目的にして、とにかく優しく振舞うことに囚われている人もまた、優しさのなかに冷たさを感じさせてしまうことが目立ちます。

衝突しないように相手を気遣う優しさはたしかにあるものの、その一方で他人との衝突を未然に回避するために、自分の意見や主張を簡単に変えてしまう。

このことは、他人を思いやる気持ちの強さとも見れますが、一方では他人から自分が否定的に見られてしまうことに敏感、自分が他人からどう思われているかに強く囚われており、自己中心的、自意識過剰であるとも言えます。

また、優しくされる方からしても、嫌われるのを避けるためにコロコロ意見や態度をかえる人とというのは

  • 「その優しさは本当に本心からくるものなのだろうか」
  • 「大勢の人から優しく見られるために、意図的にキャラを演じているのではないか?」

という、優しさそのものに対する猜疑心を抱きやすいものです。

優しく接する相手の話を聞こうとせず、自分本位な優しさを振りまくことに酔っている

他人に優しく振舞うことは出来ているものの、その優しさは相手が求めているものとは全く違う。

「こういう態度で接すれば、相手は自分のことを優しい人だと思ってくれるに違いない」と、優しさを振りまく対象となっている人のことを、知りも調べも尊重もせず、格下に見ているい。「こうすれば相手は喜び感謝するに違いない」とタカをくくり、他人を侮った上で雑な優しさを振りまいている。

そんな優しい自分を演出することに酔っている人もまた、優しいけれども冷たさを感じてしまう人と言えます。

やたら自分は寄り添うことが得意だとか、困っている人の助けになりたいだとか、立派なことを述べているものの、優しさを見せる相手との双方向のコミュニケーションをせず、自分本位で一方的に優しさを与えることに徹している。その姿は、まさに「善意の押し売り」と表現できます。

なお、こうした上から目線の優しさを振りまく人に関連しているのが、メサイアコンプレックス(救世主コンプレックス)という概念です。

メサイアコンプレックスについては、以下の記事で解説していますので、興味がございましたらご覧ください。

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損得や利益のために戦略的に優しさを振りまいている

多くの人から優しい人だと見られた方が得である。優しい自分を演じておけば、自分にとって大きな利益をもたらす人といい関係が築きやすい…という、打算的な優しさもまた、冷たさを感じてしまう優しさです。

もちろん、大抵の人は自分に害を与えるような凶暴な人よりも、人畜無害でしかも優しい人の方を好むでしょう。ましてや、金銭や名誉など社会的な評価が絡む場面であれば、リスク回避のためにも優しくて無害な人を高く評価すること行為そのものは、実に合理的です。

しかし、その優しさも結局は自分の利益に関わるものがあるからこそ見せている仮の優しさであり、利益を感じられないと感じてしまえば、あっさり他人を見捨ててしまう…そんな、冷酷さを内に秘めているように感じる優しさと言えます。

なお、社会人ともなればこうした利益絡みの優しさというのは、ある意味避けては通れないものだと感じます。

(自分の中で矛盾を抱える心苦しさもありますが)優しさを見せてくる相手が、何かしらの利益や得を自分に見出しているからこそ、近寄っている可能性を考えておき、それを踏まえた上で、人間関係を上手く渡り歩くこともまた、大事であるように感じます。

優しさを振舞う対象が調子のいいときは優しいが、そうでない時は無関心な態度を取る

利益絡みの優しさを重なるところがありますが、優しさを見せる対象となった人が、仕事やスポーツ、芸術など各分野で輝かしい功績を叩き出し、まさにいい感じの波に乗っている時は非常に優しく親近感を出す。

しかし、波が終わって不調の時期に差し掛かると、その不調の煽りを受けないために、それなく距離を置こうとしたり、無関心な態度を見せる…という二面性がある人もまた、優しさと冷たさを同居させている人と言えます。

窮地に立たされている人こそ、優しくし甲斐があるように思えますが、むしろ優しさをこれっぽちも見せず冷たい態度をとる。優しさに対してとやかくいう筋合いはありませんが、じつに薄情な優しさであると感じます。

厳しいことを言わず、むしろ甘い言葉で肯定してしまう

優しくしていた人が自身の過失でミスを起こしてしまった時に、ガツンと厳しいことを言わない。

むしろ「自分の過ちと向き合わなくてもいいんだよ」とか「今回はたまたま運が悪かっただけだよ」と甘い言葉をかけてしまい、相手に反省や改善をするチャンスを奪ってしまう人もまた、優しさの中に冷たさを感じる人と言えます。

上でも触れたように、他人との衝突をひどく恐れている人に、この行動はよく見られます。

怒らず、厳しいことも言わず、むしろ励まして味方でいてくれるので安心感を得られるかもしれません。しかし、この優しさは自分の未熟さと向き合い、学習し、成長する機会を奪うという恐ろしさがあります。

下手をすれば他人に迷惑をかけていることに自覚できなくなり、平気で他人に迷惑をかけてしまうだけでなく、自分を諌める言葉を述べる人に強く当たってしまう。そんな、裸の王様を生んでしまうような、リスクのある優しさ…というか甘やかしであるように感じます。

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