共感性羞恥とは、誰かが恥をかいたり、怒られて辛い目に遭っている場面を見聞きすると、自分までも恥かしさや気まずさを感じてしまう現象を指す心理学用語です。
その性質上、ドラマやバラエティ番組(ドッキリ系、やらせネタなど)、アニメやyoutubeの企画など、いわゆる画面の中で起きる出来事に対して過敏に反応してしまう。テレビ以外では、学校や職場にて誰かが怒られている場面を見かけると、共感性羞恥を起こしてしまうケースが目立ちます。
今回は、そんな共感性羞恥による不快感を減らす方法、および共感性羞恥そのものを防ぐのに役立つ方法について、お話しいたします。
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共感性羞恥を起こしそうな情報を前もって遮断する
テレビやネットを閲覧している時に共感性羞恥を引き起こしてしまう場合、共感性羞恥を引き起こしそうな場面が来そうだと感じたら、テレビやネットから離れる。アナログな方法ですが、共感性羞恥を防ぐ点においては有効です。
ただし、これを行うためには、自分がどういう情報や場面において、共感性羞恥を引き起こしてしまうのかを事前に調べておくことが欠かせません。
たとえば「自分はドッキリ番組のように、誰かが笑いものになってしまう場面を見ると強い恥ずかしさを感じてしまう」と、自分の共感性羞恥の特徴を知る。
そして、その特徴を元にTV番組やyoutubeの企画、記事や創作物など、ドッキリ要素が含まれているものをフィルタリングし、共感性羞恥が起きないものを好んで見るようにします。
また、もしも可能であればSNSのアカウントそのものを削除する、SNSは災害などの緊急時の連絡先の一種としてのみ利用するにとどめておくのも、共感性羞恥を防ぐ有効な方法です。
ただし、この方法は画面の世界のように、あらかじめどのようなことが起きるのかが予想しやすい場面のみに限定される方法です。
誰かが急に怒り出した、誰かがうっかりドジをして笑い者にされてしまったなど、予測不可能なものに対しては、使えない方法であることは念頭に入れておきましょう。
自分を客観的に見ることを意識する
事前に予測できない場面にて、共感性羞恥を起こしてた時の対処法としては、自分自身を一歩引いた視点で見てみる…つまり、客観的に見る癖を付けることで、乗り切れる可能性があります。
たとえば、誰かが笑いものになっている場面で自分も恥ずかしさを感じてしまった時に
- 「自分は他人から恥ずかしいと言われるようなことは、何もやっていない。だから、恥ずかしさを感じる必要性はない。」
- 「笑いものにされているのは○○さんであり、自分は笑いものにされているわけではないので、恥ずかしがらなくてもいい。」
と、今の自分が置かれている状況を冷静に分析してみる。
そして、どのような状況であるかを、自分なりに言葉にし、「恥ずかしさを感じなくてもいいんだ」と、自分に語りかけてみる事です。
なお、心理学では自分を客観的に見ることは「メタ認知」と呼ばれています。メタ認知能力の高いと、周囲から知性的な人であると見られやすいとされています。
ただし、一つ注意しておきたいのが、周囲の状況や雰囲気に飲み込まれて冷静さを欠いている時は、どうしてもメタ認知をしづらいという問題があります。
その場合は、深呼吸をして気持ちを落ち着けたり、少し長めに目を瞑るなどして、精神的な落ち着きを取り戻す時間を自分で作ったあとに、メタ認知を試みるのでもいいでしょう。
共感性羞恥に陥ったら、心の中で自分や状況にツッコミを入れてみる
メタ認知にも重なる要素がありますが、共感性羞恥を引き起こす場面に巻き込まれた時に、その状況に対して心の中でツッコミを入れてみることも、有効な方法です。
共感性羞恥に陥ると、どうしても自分と状況が渾然一体になったというか、恥ずかしさを感じる状況そのものの一部に、自分が溶け込んでいるかのような感覚を感じるものです。
その感覚を断ち切るという点では、状況に対してツッコミを入れる事が効果的です。
例えるのなら、恥ずかしさを強く感じているときは、漫才で言えば自分は観客席にいながらも舞台に上がって漫才を行っている芸人のように感じてしまう。自分を芸人だと考えている観客だからこそ、感じなくてもいい恥ずかしさや緊張を感じていると言えます。
しかし、ここで心の中でツッコミをすることを意識すれば、自分は芸人ではなく観客席にいながら芸人に心の中でツッコミを入れている観客そのものになれる…というか、観客という本来の役割に戻ることができ、余計な恥ずかしさや緊張を感じる必要性はなくなります。
共感性羞恥を起こす場面に巻き込まれたら、その状況に対して心の中でツッコミを入れる。自分は恥ずかしさを感じている誰かと同じ立場にいる人ではなく、あくまでもその様子を見ている一傍観者であると認識することが、ツッコミを入れることで可能になるのです。
共感性羞恥を感じる場数を踏んで慣れる
最後に、共感性羞恥を感じる場面を何度も繰り返して味わう。つまり、場数を踏んで慣れることもまた、克服する方法の一種です。
ただし、場数を踏むと言っても何の考えもなく踏むことを目的とするのはお勧めできません。
目指すのは「共感性羞恥を感じる場面は、実はそれほど恥ずかしがることもなければ、不安を感じることもない」という至極最もな知見を、回数を重ねていく中で得ることです。
また、回数を重ねていくうちに「恥ずかしさこそ感じたものの、上手く切り抜けることができた」という具合の成功体験を得ることもあるでしょう。
こうした不安との上手な付き合い方を経験によって学んでいくこともまた、共感性羞恥の克服には有効です。
- 「共感性羞恥が起きたら何もかも終わりである」という考え
- 「共感性羞恥が起きても、何かが終わるわけではないし、むしろそこまで心配することは起きない」という考え
の両者では、後者の方が精神的な余裕が大きく、不安に対して柔軟に対応できる考え方と言えます。
…少々荒療治かもしれませんが、場数を踏んで慣れるというスパルタ色の濃い方法も、有効な方法なのです。