困っている人を助けようとするものの、それがどこか偽善者のように見え、ありがた迷惑になってしまうという特徴を持つ「メサイアコンプレックス」と、自己愛(=ナルシシズム、自己陶酔といってもいい)が強くて尊大で傲慢な態度をとる特徴を持つ「自己愛性パーソナリティ障害」には、いくつかの共通点がみられます。
今回は、自己愛性人格障害から見るメサイアコンプレックスについてお話しいたします。
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目次
他人を助ける行動そのものに特別意識を見いだせる
ボランティアや募金活動など、あらゆる形で他人を助けようとする行為は、ただそれだけで素晴らしいものであり、賞賛に値するものとして浸透しています。
ましてや人助けをする人が、個人的な欲望や打算など、俗世間的な願望で人助けをしている…と、いうひねくれた考え方は持つべきではないですし、もしもそんなひねくれた考え方を持とうものなら他人から批判される危険性があるものです。
従って、他人を助けるという行為に出る人は、ただ「素晴らしい」という高い評価を受けるだけでなく、その人の内面は清らかで、慈愛に満ちていて、多くの人が見習うべき特別な素養を持っている人だ…と無批判に見られやすく、尊敬や賞賛の声が自然と出したくなるほどに特別な人だと見てしまいます。
こうした「特別な人」として見られることは、メサイアコンプレックスおよび自己愛性人格障害の人が強く執着するものでもあります。
メサイア(救世主)という言葉の意味からもわかるように、メサイアコンプレックスは救世主という特別な役割に対して強い執着を持つ。そして、自己愛性人格障害の人は肥大化した自尊心により、自分が特別扱いされることを強く望むので、他人を助ける行為に出て賞賛を浴びることはまさに好都合です。
しかし、どちらも人助けをする際に、自分の個人的な願望を優先するあまり、善意の押し売りのようなありがた迷惑な救済になるので、あまり好ましい救済とは呼べません。
助けたい人が今何を求めているのかを聞こうとせず、ただ自分が特別な人間であるとして注目を浴びたいために、困っている人を不当に利用する点が、彼らが「偽善者」と呼ばれる所以です。
救済する相手に問題があればあるほど「自分は特別」という意識が強められる
救済をする相手は誰でもいいというものではありません。例えば、とくに悩みや困り事がない人を助けても無意味ですし、むしろ困ってない分「結構です」と拒絶されて、不安定な自尊心が傷つけられる恐れがあります。
そのため、(当然といえばそうなのですが)救済する対象となるのは、災害の被災者、貧困に困っている人、障害や疾患を抱えている人、子供、女性、老人…など、社会生活において問題を抱えている人や、いわゆる「弱者」として扱われて保護や配慮が求められる人がメインになります。(なお、野良犬や野良猫など、救済の対象が動物にまで及ぶこともある)
こうした問題を抱える人たちに寄り添う姿勢こそ、多くの人が関わろうとしたがらない人に関わる自分が特別であることを強く実感させてくれるものになるので、自分に対する特別意識が強い自己愛性人格障害の人には好都合です。
「弱者に寄り添う自分の素晴らしさ」を思う存分アピールできる
また、特別意識の他にも自己愛性人格障害の人の言動には「他人を不当に利用する」という特徴があります。
ただし、他人を利用するにしても、その人が自己主張が強くて反発されるおそれがあったり、自分の支配下から逃れるだけの行動力や知識が持っていては、利用できなくなります。
そのため、どうしても利用する相手は、上でも触れた人たちのように困っていて精神的に追い込まれている人、力も言葉も弱くて他人に抵抗出来ない人がターゲットになります。
もちろん、「他人を不当に利用するために「弱者」を餌食にします」という邪な願望は口が裂けても言えないものですし、他人にそんな願望を持っていると勘繰られては賞賛が得られなくなるので避けようとします。
このように、自己愛の強い人は
- 「他人を利用したい」
- 「でもそのことがバレるのは嫌だ」
という相反する気持ちのぶつかり、つまり葛藤に苦しむ人でもあります。もちろん、葛藤状態が長引けばストレスを抱えて苦しむので、なんとかして葛藤を何らかの形で解消しようとします。その解消方法として有効なのが、ボランティアをはじめとした他人を救済する行為です。
他人を助けるという行為は社会的に認められ賞賛されているので、本心は他人を利用して自分を満たすという邪な目的があったとしても、それを難なく覆い隠すことが可能です。
そして「まさか人助けをする人が悪いわけない」という考えで見る人が多いので、自分に疑いや批判の目が向けられる心配も少ないし、むしろ善意にあふれる人として高評価を得られます。
こうして、表面的には「弱者に寄り添う自分の素晴らしさ」をアピールしつつ、裏では弱っている人を利用して、肥大した自尊心からくる個人的な願望を満たす事をやってのけるのです。
なお、「まさか人助けをする人が悪いわけない」という考えは、心理学で言うところの公正世界仮説(または公正な世界の信念)の一種と言えます。
慈善活動という立派な事をやっている人や組織が、人には言えない後ろめたい事をやっていると考えようものなら「世界は公正である」という仮説や信念が揺らぐ不安があります。
そして、もしも自分が困った時に不当に利用してくる人の存在を怯えて、助けを求められなくなる恐怖があります。
そうしたことに苦しまないためにも「立派なことをする人は内面も立派であるに違いない」という公正さに基づいた認知を持ち、それにこだわることが私たちにあるのです。(ただし、この認知こそが自己愛の強い人が持つ邪悪さを覆い隠す手助けをしているのは、なんとも皮肉です…)
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権威や権力にこだわりが強くボランティア活動でそれらを得ようとする
最後に、自己愛性人格障害の人は、権力のある人・組織や権威のあるものに対して強いこだわりを持つ傾向があります。
ボランティア活動の場合は、国や地方自治体などの公的な組織がバックについていることはもちろんのこと、ユニセフなど世界レベルで活躍している組織の権威を借りて活動できます。
自己愛性人格障害の人からすれば、ただ名前も知らない組織の小さなボランティア活動に夢中になるよりも、なるべく多くの人が知っている組織や公的な存在がバックにいる方が「自分は誰もが知っている組織と関係を持っていますよ」と、自慢げに語って注目を集めることができます。
…もちろん、権威ある組織が関わっている以上、厳しいチェックが入ってうかつな行動は簡単に取れなくなるので、そこまで心配する必要性はないとは思います。
しかし、東日本大震災の後にNPO法人の「大雪りばぁねっと」がずさんな運営を行っていたことが明らかになり、代表者が逮捕に至った件を見てもわかるように、油断は出来ないと思います。
人助けをしていて且つ国家のお墨付きがあり、何も疑うような悪材料がないからといって、相手を心酔してはいけない…と、世界は公正ではないという不都合な事実を、自己愛性人格障害およびメサイアコンプレックスについて調べていく中で強く感じた次第です。
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