明るく賑やかで陽気なキャラの人のことを陽キャラ(略して「陽キャ(ようきゃ)」)と言いますが、この陽キャラの人が実は周囲に対して無自覚のうちに威圧していたり、怖さや不安を与えているという事があるものです。
もちろん、
- 「怖いと感じているの方(この場合は陰キャラの人)がおかしい」
- 「そんなの多々のいいがかりで自意識過剰なだけ」
- 「陽キャラになれない残念な人が嫉妬しているだけw」
と、言われればそれまでかもしれません。
しかし、「怖い」と感じてしまう心理を紐解いていくと、怖いと感じる理由に共感できるものがあったり、ハッと気づかされるものがあるものです。
今回は、そんな「陽キャラに感じる怖さ」について、お話いたします。
目次
集団で行動しているために数で圧倒される恐怖がある
陽キャラの人は、陽気で明るい性格(たまに行き過ぎて悪乗りや雑な身内いじりが走ることもあるが…)のため、周囲には何人かの友達ができたり、「陽キャラグループに所属したい」という人を自然と集めて、大きな集団となる傾向があります。
遊びに行くにしても、勉強しに行くにしても、どこに行くにしても集団で行動する。そして、その集団を率いることこそ、陽キャラが陽キャラとしての自分の人としてのランクの高さや学校内に対する(=スクールカースト)立場の高さを誇示する要素です。
一方で陽キャラが怖いと感じる人は、人間関係から浮いてしまい孤独に苦しむ人…つまり、ぼっちな人であることが多いものです。
ぼっちの視点からすれば、たとえ自分に対して危害を加えない相手だと分かっていても、集団で近づいてきたり、何気なく横切る陽キャラグループの存在は、自分が孤独であるという弱点を背負っていることを思い起こさせる驚異として感じるのです。
ぼっちの人が持ち得ないパワー(数の暴力)を持っているのが陽キャラグループなのです。
当然、1対多数の圧倒的な数の差を前にしては、ぼっち一人でグループに立ち向かって異論や反論は言いにくいものであり、つい数の暴力の前に圧倒されてしまい、陽キャラグループのいいなりになるか、彼らとなるべく関わらない生活を選ぶことで、安心できる環境を得ようとします。
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不良、ヤンキーっぽい言葉遣い、態度が怖い
陽キャラと言っても、全員が全員、爽やかかつ穏やかで人当たりが良い人ばかりではありません。
例えば
- 賑やかというより、とにかくうるさくて騒々しい。
- 喧嘩が強く荒々しい態度で威圧するように接してくる。
- 集団になったことで、自分が強くなったと勘違いしているかのような行動が目立つ。
というような、いわゆる不良・ヤンキーと呼ばれる人も「陽キャラ」にカテゴライズされるとがあります。
不良やヤンキーは、陰キャラのような陰気さよりも、アグレッシブさがありそれなりに社交的で人間関係が築けるコミュ力がある点では、ざっくり「陰」や「陽」かで言えば、陽キャラにカテゴライズされます。
しかし、陽キャラと言っても、その中身は不良やヤンキー。荒々しく暴力的な態度や恐怖により、他人とコミュニケーションをとっているために怖さを感じるのは自然なことだといえます。
もちろん、こうした乱暴で暴力的なコミュニケーションは、社会人であればパワハラとして処罰の対象になったり、場合によっては威力業務妨害や脅迫などの犯罪扱いされる可能性があるので、忌避されるのは公序良俗や道徳から照らし合わせて、こうしたものを「怖い」と思うのは実に最もな意見だと思います。
しかし、生まれ育った環境や教室といった閉じた空間において、暴力的なコミュニケーションそのものが日常茶飯事と化し「当たり前」になってしまうと、暴力的なコミュニケーションが問題であるという考えすら抱けなくなる。
むしろ、自分の所属している集団では暴力的なコミュニケーションこそ評価されて、集団の一因として認めてもら得るためには身につけなければいけないと考えてしまえば、自分が行っているコミュニケーションの方法が客観的な視点で見れば、異様であり改善の余地があるということすら気づけなくなります。
こうした陽キャラという名のヤンキー的なコミュニケーションが、集団内で評価され増長し、より暴力的なものになっても評価され続ける…という姿は、どこかチキンレースのような度胸試しを見ているかのよう。
ビクビクと震えるような怖さではなく、思わずゾッとして鳥肌が立つような怖さを感じさせるものであります。
過激なノリや勢いに巻き込まれそうになって怖くなる
陽キャラが陽キャラとしてその立場を確固たるものにしたいのであれば、自分が属するグループ内の会話のノリや勢いに自分を合わせるだけでなく、それらをより大きくさせるための努力が必要です。
いわゆる、場を盛り上げるために(中身はないけど)なんとなく面白く盛り上がれる話題を提供したり、場合によってはグループ内でいじられキャラを買ったりなどして、一度出来たトレンドの波をより大きくしていくことが肝心です。
しかし、そうして出来たノリや勢いや、グループの部外者から見れば「ただ、奇声を上げているようにしか見えない」とか「悪ふざけが過ぎていて、もはやおふざけの域を超えている」と、そのノリを異様なものとして見てしまい、肯定的に見れなくなることが多いものです。
そして、その(悪)ノリが何かの拍子で部外者である自分まで巻き込まれて、笑いものにされて恥ずかし思いをしたり、気が大きくなっていることで辛辣で乱暴なセリフを投げかけられて傷つけられてしまうのではないか…という怖さを、陽キャラグループの人たちを見て感じるのです。
距離間の近さが怖い
陽キャラの人は、人と交流することに普段から慣れているために、気になった人と簡単に距離間を近づけるのが得意です。
しかし、距離間の近づけ方が、急に距離を詰めて迫り来るような近づき方で、近づかれる側のペースや心の準備を無視した一方的な近づき方になってしまい、そのことに怖さを感じてしまうのです。
ここでいう距離感とは、物理的な距離(パーソナルスペース)だけでなく、親密さや打ち解け具合などの精神的な距離間も指します。
急に精神的な距離間を詰めてくる例としては…
- いきなり呼び捨てで呼ぶ。ニックネームで呼ぶ。
- SNSなどの連絡先を交換してすぐにタメ口で話してくる。
- 会って間もないのに秘密やプライベートな話を聞きたがる。
- 聞いてもいないのに、過去の辛い思い出(例:いじめられていた)を話してきて共感を求めてくる。
などがあります。
どれも、ある程度親しい間柄になるだけの準備が必要(=ゲーム風に言うなら好感度・親密度を上げる作業が必須)なコミュニケーションなのに、その準備を省略していきなりぶつけてくるところに恐怖を覚えるのです。
親しくなりたいに相手だからといって、相手の気持ちやペースを無視した一方的なコミュニケーションは、仮に距離間が縮まったとしても主従・支配の関係になり、対等な人間関係とは異なります。
そして、距離を近づけられる側は、主従で言うところの「従」です。たとえ、好意で近づいてくる相手であっても、自分の自由が脅かされる相手は、まるでストーカーのような不信感や恐怖心を抱く相手だとみなしてしまうのです。
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スクールカーストの立場差から怖さを感じる
陽キャラの人は明るく陽気なだけでなく、他の人のコントロールする発言権や影響力を持っている、いわば権力者でもあります。
いわゆるスクールカースト(学校内ヒエラルキー)でも、陽キャラは上位。陰キャラと呼ばれる人の立場と比較しても「陽キャラ>陰キャラ」となることがほとんどです。
立場の差ゆえに、ぼっちやコミュ障など、一般的にスクールカーストの下位に所属すう人からすれば、陽キャラの存在は立場の弱い自分を気分次第でどうとでもできる生殺与奪の権を持っている絶対的な権力者のように感じます。
権力を持っている陽キャラの人は、その気になれば、立場の弱い陰キャラの生活を煮るなり焼くなり好きにできてしまう権力を持っている。
既に自由を奪われていることを自覚している立場の弱い陰キャラは、陽キャラの存在をただ「怖い」というだけでなく、まるで暴君のような存在だと認知しているのです。
そんな怖さを感じる暴君から逃れるために、ネットの世界に逃げたとしても、今や若者の9割がスマホを所有している時代であり、SNSやyoutubeなどの動画投稿サイトにて、いつでも暴君である陽キャラの存在をいたるところで見れてしまう。
今や自分の避難場所だったネット上ですらも、陽キャラが侵略(というか参入)してきており「ネットの世界も安心できる場所ではない」と感じていることもあるのです。
陰キャラから成り上がって陽キャラになった人に感じる恐ろしさ
最後に、虐げられがちな陰キャラの人が、見事成り上がって陽キャラグループの一員になった場合に感じる「怖さ」についても話しておきます。
そもそもが陰キャラという黒歴史を背負っているために、陽キャラとしての行動の中に、やたら陰キャラな人を敵視して煽りや挑発などの攻撃的な態度を取る。
これは、ただ陰キャラな人を無価値なものとしてレッテルを張っているのではなく、レッテルを貼ることで、より陽キャラな自分が以下に優れているかを周囲に誇示する効果もあります。
「(自分はただの陰キャラではな)あの無価値とされ虐げられても仕方ない陰キャラから努力して陽キャラになったんだ!どうだ、すごいだろ!」という話の展開は、自己啓発本などでよく見かけるサクセスストーリーの亜種とも見て取れます。
しかし、こうした成り上がりで増長した態度は、そもそも挑発や煽りをしている時点で陰キャラの人はおろか、同族の陽キャラの人からも行き過ぎた行動として非難されてしまうリスクがあり、あまり安心できるものとは言えません。
また、自分が抱えているコンプレックスのせいで冷静さを失い、ところかまわず攻撃的な態度を取って不特定多数の人間にケンカを売り続ける姿は、さながら狂人のようです。
その姿に対して、人間の業の深さというか、闇の深さというか、得体が知れないモノを見たときに感じる…ゾッとするような怖さを感じてしまうのです。
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